コロナ禍の生活が始まって1年以上が過ぎた。この先の見えないパンデミックは社会の隅々に、暗い影を落としている。なかでも一人暮らしの老人や、持病を抱えた人には、コロナへの恐怖や不安が増している。病院や老人施設で療養されている人々の不安は想像をこえたものがあるに違いない。こんな中で、イギリスで孤独担当大臣が設けられて話題になっている。
時代は遡るが、江戸の文化文政のころ老中田沼意次の時代があった。江戸では商人の財力が増え、贈賄がまかり通る奔放な時代である。滑稽本、狂歌、黄表紙など人々の笑いをとる文化が勢いを増した。一方で、農村に飢饉、街で大火、疫病、浅間山の大噴火など大きな災害が頻発した時代でもある。
世の中は色と酒とが敵なりどうぞ敵にめぐり会ひたい 蜀山人
こんな時代には、ことのほか「笑い」が重要である。笑いは人々の憂いを払い、悩みを吹き飛ばしてくれる。笑いがあれば、涙も止まり、悲嘆は勇気へと変えられていく。余裕が生まれ、悩みは杞憂に過ぎないものに思えてくる。コロナ禍の時代は、この江戸の文化文政の時代に匹敵する激動の時代だ。都会では孤独死が増え、松将来を悲観した若い世代の自殺者が増えている。テレビはどのチャンネルでもお笑い芸人のオンパレードである。
昨日、仲間と連れ立って遠刈田の青麻山に登った。凍てつく山道であったが、急坂を汗をかきながら登って見たもの、里山の先の集落と青い空と重なる青い海の地平線であった。登りながら交わす、仲間とのとりとめのない会話には、絶えず笑いが含まれている。この開放的な景色こそ、心の憂さを払ってくれる宝物である。