今日、気温が15℃まで上がった。午後からは、春の陽ざしが部屋いっぱいに入ってきた。逡巡していた春が、その歩みを速めている。散歩の道も乾いてすっかり歩きやすくなった。妻の回復と歩調を合わせるように、日常が戻りつつある。本のページも開く時間ができてきた。塩野七生のエッセイ『男たちへ』の辛辣な言葉に力がもらえる。
例えば、「男が上手に年をとるために」では、その戦術として、「優しくあること」をあげている。自分の可能性を信じている若者は、優しい筈はない。そんな若者は高慢で不遜であることが似つかわしいと述べ、人間には不可能なことがあると分かった年になって初めて自然に優しくなれるという。手術した妻に向きあっているいま、この言葉が痛いほど胸を打つ。人間が成熟するとは、こんな状態であるのであろう。
「不幸な男」の項では、原則や完璧であるこにとらわれいることをその原因にあげている。「原則に忠実に、理屈にさえ合っていれば自分の行為は正しく、それを変える必要を認めない男」、そんな男に不幸がおとずれる。対人関係において原則はさておいて、相手の気持ち慮ることを忘れてはならない、と説いている。
陽ざしが入りこんできた部屋にいて、こんな本を読む時間を持てることは、人生の幸せである。人生の時間は有限である。今の時間をいかに有効に使うか、それが今に自分に問われている。
手を洗いひをへて思ひぬ春めくと 相馬黄枝