梅雨末期の山の天気は皮肉だ。この日の天くらは、1週間ほど前から登山指数C、ゲリラ豪雨と雷が全国各地で発生、到底登山できる気候ではないものと諦めていた。ところが2日ほど前から天くらの指数は劇的に改善、BからAとなった。満を持して夏の吾妻へ、一行の期待は膨らむばかりだ。明けて当日の朝、山形の空には雲が残る。天気は好転するものと信じて、東北中央道を福島へと進める。栗子トンネルの辺りでは深い霧。福島市に出ても霧雨さへ降っている。福島から磐梯スカイラインへ、登山口の浄土平駐車場でも、深い霧。しかし、この霧を尻目に登山姿の若者姿が見えている。
一切経山が吾妻火山群の一つとして知られている。志賀重昂の『日本風景論』には吾妻山の明治26年の噴煙の図版が載せられ、その研究のため現地に入った理学士三浦宗次郎が噴火のなか落命したことを記している。そのなかで、吾妻火山の記載がある。「岩代国福島町の西5里、温湯温泉の西一里半にして吾妻富士(一名小富士海抜1734m)突起す。吾妻富士の東に東吾妻山(海抜1888m)あり。吾妻富士と東吾妻山の間、北に硫黄山(海抜1648m)あり。硫黄山の正北に吾妻山(海抜1860m)あり。吾妻山の北に一切経山(海抜1919m)あり。これら諸山の間より近年来時々爆裂す。」
志賀の書く通り、浄土平駐車場には一切経山の登山口があり、その向いに吾妻小富士への登山口もあり、登山道の工事のため現在はこちらへ登ることはできない。一切経山への登山口から、すぐに木道になる。霧のなかの湿原のなかを進むとほどなく丸太で作られた階段状の登山道になる。酢ヶ平の分岐まで、灌木の林のなかである。時折り現れるのは、咲き終わろうとしている石楠花だ。
ここは標高1600~1700m、この時期に夏の花が咲き競う。展望のきかない霧の中、頼みは高山の花に出会う楽しさだ。
石楠花に手を触れしめず霧通ふ 臼田亜浪
酢ヶ平避難小屋を過ぎると、ザレ場になる。小石の道をカラフルな傘をさした女性が降りてきた。頂上も霧で展望はないとの話だ。登山道の脇に丸葉シモツケ草のピンクや白の花が急に増えてきた。シャクナゲも雨に濡れて見ごたえがある。時折り見つけるウスユキソウが可憐である。今日は展望もないものとして、頂上を目指す。やがて森林限界を過ぎる。ハイマツの赤い花が珍しい。頂上への道には、ロープを張って道を分かりやすくしてある。頂上の着くと、さっと日がさす。見えないはずの五色沼の端が、霧が切れたあたりに姿を現す。仲間から、歓声が上がる。「岩手山の再来!」岩に座をとって昼食とする。食べている内に、霧が晴れることを期待した。しかし、晴れるはず霧が再び、五色沼を覆いつくす。本日の参加者8名(内男性4名)。筋トレの効果か、岩手山での苦行の成果か、登りも下りも歩きは順調だ。
帰路は酢ヶ平から鎌池の周囲を回った。登山道をふさぐように咲くコバイケイソウの群落。これほどこの花を近くにたくさん、まるで花をかき分けるように歩いたのは初めてである。コバイケイソウの花は毎年咲くわけではない。今年は当り年であるらしい。鎌池は近くに来ると想像以上に大きな沼だ。尾瀬沼ではこの花は6月中、下旬だだが標高の高いここではひと月ほど遅い。それにしても、頂上から得られるはずの磐梯、安達太良山、西吾妻の峰々など眺望の代償でもあるように、これでもか、これでもかと咲き広がっている。池の周りの道はほぼ木道。木道を離れると沢筋につけられた登山道を浄土平の駐車場をめざして下山する。12時頂上で昼食後、1時間半で駐車場に着く。