先日受けた健診の結果通知が届いた。年に一度の健診だが、胃がんと大腸がんの健診が入っているので封筒を開けるまで緊張する。加齢とともに増えてくるのはがんのリスクだ。開けて見て、異常なしの記載にホッとする。他の健診項目もほぼ、再診などの必要はなく、この一年は平常心で過ごせそうだ。
黒沢監督の映画に「生きる」という名作があった。主人公役の志村喬が自分が作った公園でブランコに乗りながら、絞り出すような声で「命短し恋せよ乙女」を口ずさむシーンは、折に触れて思い出す名場面だ。この映画の主人公は、市役所の課長だ。毎日、決済のハンコを押すだけの仕事で、定年も間もない。人生の転機は、彼がその年になって医者から、がん告知を受けることで訪れる。すでに妻はなく、可愛がって育てた息子は結婚して同居している。
彼は胃がんで余命は3ヶ月、であることを息子に話すが、息子の関心は新しく建てる家に向いていて父の窮地に意外に無頓着であった。残された月日をどう過ごすか。自殺を試みたり、酒を飲む、パチンコ、キャバレーなどいろいろやってみるが、無論救われることはない。彼の前に訪れるのは、かっての役所の部下でお茶くみをしていた女子事務員であった。彼女は下っ端の事務員には愛想をつかし、おもちゃを作る工場の女工に転職していた。手におもちゃを持って、彼女は工場の様子を生き生きと話す。「こんなもんでも、つくっていると楽しいわよ、私、これつくりだしてから日本中の赤ン坊と仲良しになった気がするのよ」
この一言が、余命いくばくもない主人公を動かす。陳情を受けていた町の小さな公園を作ること。そのために彼は、残された時間の全てを使う。もうそこには、死の怖れもないように見えた。その最後の働きぶりを、語るのは、葬儀のお通夜に来た役所の同僚たちだ。「とにかく、あの渡辺さんの、熱意が通じないなら、世の中闇ですよ」。ブランコはその小さな公園の、遊具であった。