常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

土用の丑

2021年07月28日 | 日記
今年の丑の日はテイクアウトの鰻、年に一度の贅沢だ。土用の暑い日に、鰻を食べて英気を養うのは、日本古来の食の伝統だ。思い浮かぶのは、江戸の平賀源内である。本草学から始まった源内の学問は金石学、オランダ学へと幅を広げ、あまつさえ戯作の道へと進み、風流山人と号して、『根南志具佐』や『風流志道軒伝』などの戯作、浄瑠璃では『心霊矢口渡』を書き上げ、これが上演されて江戸中の評判をとっていた。この人気の戯作者が鰻に、「江戸前大かば焼」と名付け、この文字を看板にして鰻屋の戸口にかかげた。江戸で鰻が知られる端緒となった。

かば焼きの匂ひに暑き涼かな 貝寿

この句は元禄の頃だが、そもそも鰻は、焼く技術が難しい。蒲焼の語源は蒲の穂である。一尾の鰻を尾から一本の串で口にかけて貫き、蒲の穂に見えるためであったらしい。腹を割いて二本の串にしたのは後のことだ。江戸前の川や海でとれる鰻をうまく焼き、それに自慢のたれをつけて供する。江戸の人たちは、ご飯を持って鰻屋に行った。鰻は素人でも釣ったりしてとることはできるが、この自分で焼いては、この味をだすことはできない。

この鰻を大衆のものとして、人気を呼んだのが「うな丼」の発明である。文化の時代の江戸に大久保今助という男がいた。芝居の小屋の持ち主で、興行のときは忙しく好きな鰻を喰う暇がない。取り寄せたのでは、焼き冷ましになって味が落ちる。そこで考えたのが、丼に熱い飯を入れて持たせてやり、その飯の上にかば焼きを乗せて帰るという方法だ。今助は、この丼一回を百文に決めた。鰻が冷めず、喰い逃しても美味しいというので評判を呼んだ。これが、芝居町で広がり、やがて下町で丼ひとつ64文の鰻屋が現れる。今日のテイクアウトは、江戸の裏だなで人気のアイテムとなった。
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