常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

梅雨明け前日の夕焼け

2021年07月16日 | 日記
梅雨明け目前の夕焼けは、こよなく美しい。暑すぎる夏の始まりだが、山登りをするものには、「梅雨明け10日」といってこころよく夏山を楽しめる。明日、東大巓、その後八ヶ岳が、梅雨明けの晴天にすっぽりと包まれる。去年から楽しみにした夏山の始まりだ。あたかも三ヶ島葭子が明日の逢瀬の前の日に見た夕焼けの心境のようだ。

君を見ん明日の心に先立ちぬ夕雲赤き夏のよろこび 葭子

この歌は大正2年に読まれた。三ヶ島は与謝野晶子から歌の指導を受け、瑞々しい感性で女ごころを詠んだ。そのころ、彼女の書いた一文に「時代におもねる先に己を尊重し、己を尊重する前に、己を知りたい」と心中を吐露したものがある。女性の自立はすでにこの時代から始まっていた。

夏の夕暮れのひとときは、詩人の心もゆさぶる。詩人立原道造が親友にあてた手紙が残されている。その文章は、そのまま詩になっている。

「一日の仕事のあとの水色の空、そして夕焼けが美しいレース編みで西の空を飾ること。もう、とほい思ひ出はいらなくなった。夢がひとりでやって来て、そのたそがれをやさしくする。またあこがれと望みにみちたたそがれを。そしてひとつのあかりの下で、くらい風のにほひが、ひろげた本を親しいものにする」

立原は昭和13年に東大工学部を卒業後、東京の設計事務所に勤め、遠く離れた親友にこんな手紙を書き送った。三ヶ島にしろ、立原にしろ、日本の近代の黎明期の心の瑞々しさにあふれている。今日、こんな時代から過去の詩の心をふり返ることは意味のあることだ。
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