常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

縄文の名残り

2021年08月12日 | 日記
先ごろ、北東北と北海道の縄文遺跡群がユネスコの世界文化遺産に登録された。特別史跡である青森の山内丸山遺跡を含む、広範な縄文遺跡が登録されたことは、ビッグニュースだ。私の生まれた北海道には、神居古潭のストンサークルがあり、ジャガイモを作付けした畑から、矢じりに使用されたと思われる黒曜石の破片を見るのは珍しいことでもなかった。石狩川を遡上する鮭を漁り、ムカシシカやナウマンゾウなどの獣を捕獲する狩猟生活は、縄文以前からここに住む先住の人種の間で行われたきたものであろう。

縄文から弥生は、人類の歴史の大きな転換点である。狩猟採集により山野を移動しながら生きてきた縄文人にとっては、狩猟が運に左右されることは多分にある。神の恵みとして食物を得るという意識は強いものであったであろう。定住して米を作り、家畜を飼育する弥生時代になると、野良に出て一日作物の成長を確認する生活は、計画的で合理的な考えで生きるようになる。土器一つとって見ても、縄文の土器は実用に加え呪術的な装飾性が強い特徴を有している。一方の弥生式土器は、使用目的にあった単純な型式になっている。

最近、農作物の獣害が農家の大問題になっている。出荷直前の果実がイノシシやクマ、サルなどの食害にあっている。対抗手段として、箱型の罠が近くの果樹畑のある所に仕掛け、生け捕りにしている例も多い。縄文の頃は、防御というより野生の動物の通り道に落とし穴を作り、一たん落ちると逃げることできない工夫が凝らされていた。生け捕りは、イノシシの子であるウリボウを獲り、飼育の始まりでもあった。土器を手に入れた人類は、ここに獣肉、山菜、キノコなど手に入れられるものを全て入れたなべ物の食事が主流になる。これから、山形市の川辺では、鍋と食材を持って集まり、自然の石でつくったカマドで芋煮が行われる。これも、縄文の暮らしの名残りが、今日に生き残っている例である。

黒曜石は火山岩の一種で、マグマが噴出して急激に冷やされてできる。そのため、どこにでもあるというものではなく産地は特定される。割ると鋭い破断面が出てくる。先史時代から矢じりやナイフなどの石器として世界中で使われた。日本の産地では北海道の遠軽、長野県和田峠、伊豆天城、箱根などで山地で海水に接しているところで良質の石が産出される。狩猟生活をしている先史時代の人々には非常に重宝されて、この石器の交易が極めて広範囲で行われていたことが、考古学の研究によって明らかになっている。
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