ちいさい秋みつけた
大朝日岳の縦走のブログを書いている内に季節は処暑。朝の散歩道の草むらからしきりにコウロギの鳴き声をきくようになった。木には実が大きくなりはじめ、八百屋さんにはブドウや梨の実が並んでいる。こんな時期になって、思い出されるのは童謡の「ちいさい秋みつけた」。特にダークダックスの一節が、つい口に出てくる。誰かに聞いたことがある。どんなに高齢になっても、人間の中には子どもの部分が生き残っているらしい。さしづめ、童謡が頭に浮かぶというのは、その証しであるような気がする。肉体のなかで、高齢になっても生き続けるのが筋肉であるから、心のなかの筋肉が、この子ども現象である。大人になってから小さな子を愛おしむのも、自分のなかにある子どもの部分が共感しているからのような気がする。それにしても、コロナの感染がデルタに変異してから、子どもたちへ広がり始めた。もうじき新学期が始が学校での感染が心配だ。こんな時期に、都内の小中生を、パラリンピックの観戦を推奨している為政者たち。あまりにも、子どものリスクに鈍感すぎないか。昨年は、子どもたちの間では感染が見られないのに全国一斉に休校とし、感染リスクがどんどん増えていくなかで、パラリンピック観戦。こんなちぐはぐさが、政府のコロナ対策に不信を招いている。