本は断捨離できない、とブログの名手の言葉があった。そうだなあ、と思いながら自分の本棚をみていると、本の間に小さく畳んだ新聞が出て来た。2016/10/2の朝新聞のタブロイド判のグローブだ。特集の題字は大きく、「不安な世界をハルキが救う」とあり、7ページにわたる特集記事があった。この年は村上春樹の小説の世界に惹かれ、次々と読んだ年であった。新聞の特集記事が気になってとっておいたものらしい。そんな記事があったことすら、すっかり忘れている。
不安な世界、といえば昨年から始まったコロナパンデミックの今日を指すような気がする。記事を読むと、村上の小説は国内では評価されない向きもあるが、世界50か国で翻訳され、紛争や民族対立を抱えている国々の読者の不安を癒している、という内容である。イタリアの翻訳者アミトラーノは、インタビューに答えて語る。「村上は世界中のどの作家の追随を許さないほど、現代という時代の本質をつかみ取っている。様々な国籍の多くの読者が、村上作品について「自分のためだけに書かれた」という共通の読後感を持つのはそのためでしょう」と述べている。
村上の小説を読んでいると、登場人物の会話のなかに「やれやれ」という言葉が時おり現れる。例えば、『ねじまき鳥クリニクル』で、失業して主夫をつとめる主人公と妻クミコとの会話。
「それからついでにもうひとつついでに言わせてもらえるなら」と彼女は言った。「私は牛肉とピーマンを一緒に炒めるのが大嫌いなの。それ知ってた?」「知らなかった」
「とにかく嫌いなのよ。理由は訊かないで。何故かはわからないけれど、その二つが鍋の中で炒められているときの匂いが我慢できないの」
「君はこの六年間、一度も牛肉とピーマンを一緒に炒めなかったのかな?」
彼女は首を振った。「ピーマンのサラダは食べる。牛肉と玉葱は一緒に炒める。でも牛肉とピーマンを炒めたことは一度もないわ」
「やれやれ」と僕は言った。
「でもそのことに疑問に思ったことは一度もなかったのね」
ちょっとしたいさかいである。そこからクミコは夫が、私のことは気にもとめず、自分のことだけを考えて生きている、と結論づける。「やれやれ」は仕事が終わってほっとした時に発することが多いが、がっかりしたときや、しくじったとき、あきれたときにも発する。主人公が言った「やれやれ」は後者に方である。複雑な心を表現しながらも、相手とも折り合いをつけたい意味合いもある。グローブの記事はこの「やれやれ」を外国語ではどう翻訳したか、表にまとめてある。原語と日本語のニュアンスを書き加えてあるが、日本語のニュアンスだけ紹介する。
英語 「すごい」「ひどい」
フランス語 「私にとっては想定外の事態」
ドイツ語 「狂ってる」
ロシア語 「けしからん」
中国語 「あーと叫ばずにいられない」
原語がその国でこの通りに解釈されるのか、知ることはできないが、村上の言葉を外国語に訳すことが難しいのはこの一語だけみても分かることだ。