常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

大朝日縦走(3)

2021年08月23日 | 登山
大鳥池から以東岳、狐穴小屋
天気祭りの甲斐あって19日の朝は快晴。昨日の疲れもとれ晴れやかな気分で筆者の映像を初だし。縦走への参加者は8名、内女性3名。年齢構成は最高齢80歳の筆者のほか、70代2名、60代5名のシルバー隊だ。大鳥池でタキタロウと思える魚影を目撃したのは、地理学者で氷河研究家の五百沢智也氏である。昭和57年に行われた観光イベント「以東岳にのぼりませんか」に参加した手記にそのことが記してある。そのイベントにはグループでの申し込みがあったがそれがキャンセルになって、五百沢と一般に役場の担当と朝日旅館の主人の4人でこのイベントが実施された。池から直登コースで以東岳に登り、下って湖面がくっきりと見える地点に来て腰を下ろして休んでいた。

湖面を見ていた一人が「何だ、何だ、あれは」。岸から100ⅿほどの沖合、クサビ形の波形が見える。2,30㌢の魚群がバシャバシャとひしめいて泳いでいるなかに動かない大きな魚の背のようなものが見える。双眼鏡で確認すると背の見える部分だけで1m、多分2m超える大魚の背だ。その背が4尾。「あれがタキタロウなんだな、きっと」。この集落辺に伝わる巨大魚はタキタロウと呼ばれる幻の魚だ。以来、何度も調査捕獲隊が出かけたが、いまだに実物は捕獲されていない。秋田の漫画家矢口高雄の「釣りキチ三平」に描かれたのも、こんな実見談がもとになっているのかも知れない。
我々が辿ったコースは、湖面を離れブナ林を行くオツボ峰コース。林を抜けると渓谷の向こうの以東岳へ直登コースの尾根が見える。小さく以東小屋が見えている。何という景観なのだろう、ただただ息を呑むほかはない。朝の風は爽やかだ。以東岳のどっしりとした存在感、足元にはマツムシソウの群落が見え始める。こうした景観や可憐な花たちに癒されながら歩くと足の疲れも忘れてしまう。行先の山道が笹や草原のなかに細く見え、その先の峰々もあくまで感動的だ。平日のためか、ここまで歩いて行き交う人もいない。

山形の歌人結城哀草果は、山を登りながらその景観を歌に詠んだ。60歳でこの朝日連峰の峰に立ち一首をものしている。

奥羽山脈に接して太平洋に出づる日の荘厳を
 わが生涯の奢りとぞする 哀草果

縦走を終えてから、参加メンバーの仲間からラインがはいった。「朝日縦走は私の人生の宝」とあったが、歌人の哀草果もまた同じ心境を抱いて山を降りたのである。
大鳥池の全貌が見えるは以東岳の頂上付近からだ。この形を熊の毛皮という人がいる。頭の近くに前足、後ろに後足を広げて、人はこの毛皮を座布団がわりにして敷く。大鳥池の伝説はタキタロウばかりではない。人がこの池に行って魚を漁ったりすると洪水になったり、人が死ぬという伝説もある。文久元年、元和元年、寛文三年、九年、享保14年に大洪水の記録があり、この池に入るのを禁止するために取締り役を置いたというのは本当の話だ。

Nさんが撮影したマツムシソウの花。高山ではタカネマツムシソウと呼ばれる。オツボ峰コースの草地で、以東岳を降る稜線でも咲く。これほど多くのマツムシソウの見たのは生涯の初体験である。草原のようなイネ科の草地を通る。ここから狐穴小屋までが2日までのコースだ。

狐穴小屋はきれいな小屋であった。水は豊富に出放題、先客が一人いたが静かで人を避けるように一人の食事を楽しんでいた。このあたりの縦走コースは平坦で、誰もがほっとする場所だ。「朝日軍道」がこの付近にあったという。上杉景勝の家老、直江兼続は慶長3年、長井葉山から大朝日、以東岳を越える巾2.7m、全長60㌔の軍道を作った。天下分け目の関ヶ原の合戦で、西軍についた庄内兵はこの軍道を辿って帰藩したという。その跡はどこか、目で探すもそれらしい痕跡を確認することはできなかった。

コメント (4)
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