常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ゲルニカ

2022年03月11日 | 日記
歴史で初めて無差別爆撃の蛮行が行われたのは、ナチスドイツがスペイン内戦の際に派遣されたコンコルド軍団によるビスカヤ県ゲルニア爆撃である。今から75年前、第一次世界大戦が終了してから17年の月日が経過していた。時代はヒットラーのナチスドイツ、イタリア、ムッソリーニのファシズム、日本の軍部独裁などの全体主義が台頭していた。

スペインは第一次世界大戦で中立を貫き、王政のもとプリモ・デ・リベーラ将軍の独裁政治が安定を保っていたが、リベーラが追われ国王の退位で共和国となると、国内には不安定となる。1936年の選挙で左派連合の人民戦線が勝利するとそれを非とする保守派を背景にフランコ将軍がクーデターを企て、国内は内戦時代を迎えた。イタリアのムッソリーニはフランコに援軍を送り、ヒットラーはコンコルド空軍を派遣し、自国の軍隊の訓練と実験を行い、英仏に揺さぶりをかけてきた。こんな理由で無差別爆撃が行われるでは、無辜の市民にとってはたまったものではない。1937年4月26日は日曜日、晴れであった。ゲルニカの市街では、近隣の農民が集まって市を開く日であった。大勢の人が、この日を待って集まってくる。

午後4時30分、先導する爆撃隊が街に50㌔爆弾を投下して爆撃が開始されるとイタリアの援軍を含む12機が、編隊を組んで2時間、20分おきに爆撃をくり返した。爆撃機は建物を破壊し、戦闘機は機銃掃射で住民を狙撃し、爆撃による焼夷弾で火災を発生させるという悲惨きわまる掃討作戦であった。この年、パリでは万国博覧会が開かれることになっており、画家のピカソは博覧会のスペイン館を飾る壁画を依頼されていた。ゲルニカの惨状を聞いたピカソは、この爆撃をテーマにした壁画を描いた。この絵は戦場となった市街を描いものではない。描かれているのは小さなランプの灯りの室内で恐怖に慄く女性や動物たちの叫びである。この絵は反戦や平和のシンボルとして、スペインのピカソ武術館に展示されている。

この蛮行から75年、ロシアのウクライナへの無差別爆撃が、世界注視のなかで行われている。破壊された映像が世界を駆け巡っているなかで、ロシアはそうした爆撃を行っていないと言明している。ならば、ウクライナでは爆撃がないことを証明して欲しい。血を流し、涙を流す母や子が、爆撃を受けていないという確たる証拠を示して欲しい。またそうした行為があるとすれば、ただちに止めてもらいたい。
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