常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

アマリリス

2022年03月07日 | 
啓蟄を過ぎてなお春の雪。室内ではアマリリスが花を咲かせた。朝の光を浴びて散歩するのは気持ちがいい。テレビが映し出す映像は、果てしなく続くロシア軍の爆撃である。収まりそうもないコロナの感染は、ブラウン管から姿を消し、逃げ惑うウクライナの子や母親の姿が映し出される。この電波に乗ってくる情報の束は、時ととして時間や距離の感覚を失わせる。問題の解決に無力である日本の老人たちが、こんな母子の姿に同情をし我が事のように嘆いている。

世上乱逆追討耳に満つと雖も、之は注せず。紅旗征戎吾が事に非ず。

藤原定家は日記『明月記』にこのように記した。この文を記したのは、弱冠19歳の時である。戦火に揺れる世の中にあって、職業歌人としての己を磨いていく覚悟のほどを示した文である。室内のアマリリスもまたじっとうつむきながら己が花を精一杯に咲かせている。

3.11東日本大震災のとき、津波で家や家族を失う大被害のなかで、人々が口ずさんだ歌があった。震災の悲惨さのなかで、何もなかったように咲く花の歌だ。

真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す

叶いたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す

誰かの歌が聞こえる
誰か励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう (詞・岩井俊二)
コメント
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