昨日からやっと秋が来た感じだ。タオルケットだけでは、朝方寒い気がする。眠りが深くなった。エアコンはつける必要もない。栗の収穫がニュースになっている。もう20年も前だが、山の栗畑を買った知人がいた。普通車がやっと通れるような山道の先に、栗林があった。その知人は親切で、栗の毬が風に吹かれて落ちるようになると、その栗林に誘ってくれた。林の中にたたずんでいると、あっちでポタン、こっちでポタンと、栗の実が見えている毬が落ちる。それを拾うだけで、すぐに籠いっぱいの栗が拾えた。
鳴く虫をあらわに見つつ栗拾う 水原秋桜子
先日、ブックオフで木田元の『詩歌遍歴』を買ってきた。そのなかに珍しい詩が紹介されている。リルケの「秋の日」だ。やっと大陸からの移動性高気圧に日本全体が秋日和になった日に、この珍しい詩を読むことになるとは。何か不思議な因果を感じる。
秋の日 リルケ
主よ 秋です 夏は偉大でした
あなたの印影を日時計のうえにお置き下さい
そして平野に風をお放ち下さい
最後の果実にみちることを命じ
彼らになお二日ばかり 南国の日ざしお与え下さい
彼らうながして円熟させ 最後の
甘い汁を重たい葡萄の房にお入れ下さい
いま 家のない者は もはや家を建てることはありません
いま 独りでいる者は 永く孤独にとどまるでしょう
夜も眠られず 書を読み 長い手紙を書くでしょう
そして並木道を あちらこちら
落着きもなくさまよっているでしょう 落葉が舞い散るときに
この夏の名残りに、モモをたくさん食べた。ブドウも知人からいただいて、じっくりと味わった。異常な暑さであったが、秋の日は、おいしい果実に恵まれる。リンゴ、ナシ。果物ではないが、サツマイモやクリなど、味覚の秋は始まったばかりだ。