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入梅のころに咲き始め、先端まで咲ききるころ梅雨が明けると言われるタチアオイ。
この花も懐かしい。夏になるとこの花びらをちぎって、鼻先につけて遊んだ子どものころを思い出す。鶏のトサカを連想してトトコ花とも呼ばれていた。
咲きのぼる梅雨の晴れ間の葵哉 成美
この花が愛でられた歴史は長い。江戸時代、あるいはもっと前から、家の傍でこの花を育て、夏の来るのを待っていた。この花へに向かって、自らの心の中を詠んだ
一篇の詩がある。伊藤静雄「水中花」。
今歳水無月のなどかく美しき。
軒端をみれば息吹のごとく
萌えいでにける釣しのぶ。
しのぶべき昔はなくて
何をか吾の嘆きてあらむ。
六月の夜と昼のあはひに
万象のこれは自ら光る明るさの時刻。
遂ひ逢はざりし人の面影。
一茎の葵の花の前に立て。
堪へがたければわれ空に投げうつ水中花。
詩にもある通り、この季節の美しさを思い知らされている。いつもの年ならば、慌ただしく時が流れ、真夏の酷暑の中に投げこまれているが、今年は同じ山中にあっても緑の輝きが違って見える。葵の花にも、どこか違う雰囲気がある。
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