常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

冬至

2024年12月21日 | 日記
冬至が来た。一年で最も長い夜だ。逆に考えれば今日を境に日はほんの数ミリずつ長くなる。昔、中国の水の神に不才の子が生まれたが、冬至の日に死に疫病神になった。この神はそこら中に病気を振りまき恐れられたが、赤豆を恐れたという。小豆の粥を作って疫病神を退散させる風習が生まれた。この国ではカボチャと小豆を一緒に煮て食べる風習は、この中国の伝説が伝わってせいらしい。日は少しずつ長くなるが年明けに小寒、そして大寒が控え、寒さはいよいよ本格化する。

爺は読みて休むを知らず
児は倦みて栗芋を思ふ

江戸の冬至、医家であった江間家親子の過ごし方だ。80歳になって父蘭斎は医学書を読むことに時間を忘れ疲れた様子もない。子細香はすでに飽きて栗や芋を食べたいと思っている。最高女史はこの詩を詠んとき40歳を過ぎているが同じ部屋で本を読む親子の心情が吐露されて微笑ましい。

一日5ページずつ『フランス革命下の一市民の日記』を読んでいる。騒動などが起きた日は、長い文章で周りの出来ごとが書かれるが、大半は気候と食事、手紙などで当時生活の細部をしることができる。
1792年12月21日(金)気温5度。西の風。一日じゅう、突風が吹き荒れ、霰まじりの雨、冬至、今日から冬が始る。エシャール氏のところに昼食に行く。兄の手紙によると、生活費が上がり、葡萄酒が並みで一瓶20ソル、小麦は市場で一スティエ(156ℓ)20リーブル食料品はそろって値上がりしている。

人間の暮らしは時代を問わず、国を問わず、関心は身の回りに向けられる。そこから発せられる言葉は、時代を生きた人間の遺言と言っていい。ありふれた日常のなかに大きな時代の転換が隠されている。
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冬晴れ

2024年12月20日 | 日記
冬晴れとしぐれ、これを繰り返しながら冬は深まっていく。昨日の晴れ間、瀧山の冠雪が夕日に輝き素晴らしい景色が演出された。カメラで撮ろうとしたが、場所を変えてと考えているあいだに太陽が雲にかくれてシャッターチャンスを逃した。こんな瞬間はいくつもある。グーグルのフォトで思い出の写真を編集して送ってくれる。古いもので8年前のものがあるが、今なら見逃しているような光景が出てきてうれしい。紙のアルバムを引っ張り出さずとも過去と向き合えるのは特別に楽しい時間だ。

スマホのピクセル8aに合わせて買ったグーグルウオッチが機能し始めている。Fitbitの健康情報がスマホに刻々と上げられていく。日常の生活習慣の目標をたてておくとその達成度が毎週メールで知らさせる。生活習慣の改善の力強い味方だ。もっともっと使いこんで、投資に見合った成果をあげていきたい。なかでも睡眠の分析は細かい点にわたって分析される。睡眠の質をたかめて健康を維持することも大事なこと。高齢者だからこそ使うべきスマホ、スマートウオッチを連動させるやり方である。

山崎雅弘『底が抜けた国』(朝日新書2024年12月刊)を買う。新聞、テレビ、ネットなど情報環境が多様になった今、社会を見つめるもうひとつの大切な視点だ。起きている現象にだけとらわれず、歴史を見る視点を取り入れることでより本質に迫れる。ネットに紹介されていた本だ。老弱男女、すべての人が持ってもらいたいもう一つの視点といえる。
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岩部山

2024年12月14日 | 登山
今年最後の山行は幸いにも晴れとなった。昨夜の雪が樹々について霧氷になっている・青空に輝く霧氷は美しい。最後の山行ということで山の神様がくれたご褒美であろうか。山道に積もった雪も数センチで、雪道というほどでもない。ただし枯葉の上の雪なので、特に急な坂道は滑りやすい。しばらく山に入っていないので、脚力もなくつらいものがある。仲間の力持ちが、坂道でリュックを抑えて転倒に備えてくれた。山中の凝灰岩には、江戸時代にここに住んでいた名僧、金毛和尚の発願による33体の観音像が彫られている。なかには苔むし、雪や雨で朽ちつつある像もある。

山友会に加入したばかりの若い頃は、この山が一年納の定番であった。その後もっと雪のある経塚山で一年を終えるようになったが、この山も長くきついのですっかり遠ざかってしまった。霧氷のなかの信仰の山で、昔の近隣の住民たちは何を山中の観音様に祈ったのか。神頼みしかない住民たちの苦しみ。天候ひとつで一年の収穫がふいになってしまう農業。雨ごいをし、肉親の病の快癒も祈ることのほかできることはない。

阿武隈山系に口太山という山がある。842mの低山だが、口太は朽ち人の言い換えという伝説がある。阿武隈の寒村は冷害に見まわれることも珍しいことではなかった。口減らしのため婆様たちをこの山に捨てたという。姥捨山という名の山もあるし、山形にはジャガラモガラ山の姥捨て伝説もある。人の生死と山は深くかかわっていた。一つの山にはその山で食料を得たり、水を引いたり、お祭りをしたり様々なかかわりがある。山の麓で暮らしている人の数だけ、山との切り離せない物語がある。本日の参加者14名、内男性5名。5周り下の巳年生まれの女性は就職が決まって静岡に行くという。
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eタックス

2024年12月13日 | 日記
ここへきて連日の雪模様。周りの山々もすっかり雪景色になった。町内にもクリスマスのイルミネーションを飾る家もあった一気に年の瀬の雰囲気になった。先月早めのタイヤ交換で早すぎると思ったが、ここへきてデーラーのタイヤ交換の予約はいっぱいで自分で行っている人もちらほら。明日、今年最後の山登り。岩部33観音巡りである。山道に観音さんを33体鎮座させて、数時間の山歩きでお参りを済まそうとする、今どきのタイパにかなった巡礼のあり方ではある。

雪の戸の堅きを押しぬクリスマス 水原秋桜子

eタックスというものをやってみた。年金暮らしで申告などとは無縁であったが、わずかな保険金が入ったことを税務署が補足して申告しなさい、ということになった。冬空で税務所まで行くのも億劫なので家でできるeタックスを選んだ。ところが、このマイナポータルを使う申告システムがいかに高齢者泣かせのものであるか、つくづく知らされた。キャンバなどのアプリを使っている身からすれば、日本のお役所が提供しているシステムがとにかく不親切極まりない。入力した帳票の保存がいちいち保存ボタンを押さないとできない。そのために何度最初からのやり直しを強いられたことか。その度にスマホにカードを当ててマイナポータルへのログインを繰り返す。分からない点を聞くために税務署との電話はつなぎっぱなし。延々2時間、やっとの思いで申告が終わった。

マイナカードには今後、保険証のほか免許証も紐づけさせられる。暗証番号をいれてポータルにログインする手数のかかるログイン方法では普及しない理由がわかる。カードなど不要なはずなのにいつまでこの金のかかる方式をとりつづけるのか。日本の行政のデジタル化の道はあまりに遠い。
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中原中也

2024年12月09日 | 日記
時雨の日々、時々雪が舞う。ブックオフで『中原中也詩集』を買った。詩集の詩は読み通すのではなく、開いたページの気になる詩を胸に刻むように読んでいる。中也は明治40年に生まれ、昭和12年に死んだ。わずか30年の生涯である。詩集の大部分を占めるのは、「在りし日の歌」である。扉に「亡き児文也の霊に捧ぐ」とある。記録を見れば、中也は30年の生涯で二人の兄弟とも死別している。「在りし日の歌」は中也の死の翌13年に出版された。詩集に死のイメージがつきまとうのは致し方がないことかも知れぬ。冒頭の詩一行に続く詩句を書いてみる。

老いたる者をして静謐の裡にあらしめよ
そは彼等こころゆくまで悔いんためなり

吾は悔いんことを欲す
こころゆくまで悔ゆるは洵に魂を休むればなり

この短い30年の生涯で、中也の心は疲れ、休息を求めていた。思いっきり泣きたかった。泣くことで、心に訪れる静謐を待ちこがれていたとも言える。詩集のページの隣には「冷たい夜」というのもある。

冬の夜に
私の心が悲しんでゐる
悲しんでゐる、わけもなく・・・
心は錆びて、紫色をしてゐる。

昭和12年9月24日、「在りし日の歌」の原稿の清書を終え、小林秀雄に託す。10月6日鎌倉養生院に入院。入院時には、脳腫瘍の疑いが持たれる。10月22日永眠。病名は結核性脳膜炎とされている。

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