「一度は、京都に暮らしてみたい…」と願う人が、多いのか、京都は、今、マンションブームで、市内のあちこちが建設中。
特に、他府県に生まれ育ち、京都を訪れ、その魅力にはまる人が目立ちます。ミモロもそのひとり…。
そんな京都への憧れは、昔も変わらず、町の北東に位置する一乗寺の「詩仙堂」も、文人である石川丈山が、59歳から没するまでの30余年を過ごした終の棲家です。
叡山電鉄「一乗寺駅」から、白川通を越えて、住宅地の坂道をトコトコ上ると、「一乗寺下り松」の先に、ひっそりとした門があります。
山門からは、階段が続き、やがて石畳の小道へと至ります。
両脇には竹藪が…。昼間でもちょっと薄暗い感じ…雨上がりの石畳は、いっそう静寂を誘うよう。
受付のある建物へ。
ミモロは、縁側に座り、目の前に広がるお庭をしばし鑑賞することに…。
「静か~」
そもそも「詩仙堂」は、三河の国生まれで、徳川家康の側近だった石川丈山が、寛永18年(1641)に建てた隠居所。33歳の時、大阪夏の陣でも、功名をあげた武人であり、その後、徳川家を早期退職して、京都で、朱子学を学んだり、文人としての暮らしを始めた丈山。でも、一時、広島の浅野家に再就職、十数年を過ごしたのちに、再び、京都に戻ったのは、54歳の時。相国寺にそばに住み始めますが、59歳の時に、一乗寺の山に、憧れの自分の隠居所を構えることに。
ここで、没するまで、文人として、学問三昧の日々を過ごします。隷書、漢詩の大家であり、煎茶の開祖となった丈山。ここで過ごす日々は、決して贅沢なものではなく、まさに清貧の中の暮らしだったとか。物質や権力などに興味を示さず、心の豊かさのみを求めた暮らしです。
丈山が住まいに求めた土地は、山の中腹。この場所は、正しくは「凹凸か」(おうとつか)と呼ばれ、でこぼこした土地にある住まいという意味だそう。「確かにアップダウンある~」とミモロ。でも、その凹凸がある土地だからこそ、変化に富んだ景色が楽しめるのです。
「なかなかいい眺め~」とミモロ。
このお庭は、ツツジが有名。「もっと早く来ればよかった~」と残念そうなミモロ。花の盛りには、目の前に艶やかなツツジが屏風のように広がります。
今は、緑一面の世界。まだ色の浅い新緑が、みずみずしく庭に広がっています。
ここが詩仙堂と呼ばれるのは、丈山が、36人の中国の詩人を選び、その肖像を狩野探幽・尚信に描かせ、自らも各詩人の詩を墨書した額を詩仙の間に掲げたことから。
昭和41年から、曹洞宗の寺院となり、正式名称は「詩仙堂 丈山寺」となっています。
「お庭にもでられますよ~」と係の方に言われ、ミモロは、建物を出て、お庭へと小路を進みます。
竹垣と苔むした石垣の間に続く小路。「なんか別の世界へのアプローチって感じがする~」と、歩みを進めながら思うミモロです。
敷地内には、茶室などが、自然に溶け込むように点在しています。庭から見ると、いままで居た建物もいっそう趣が…。
「わ~お花も咲いてる~」今、庭には、新緑を背景にいろいろな花が…いずれもどこかしっとりとした趣が漂うものばかり。
「あ…」というと、突然一点を見つめるミモロ。その視線の先には…
竹の子です。
緑の苔からすっくと伸びた竹の子。「食べられるかな~?」と…。もう大きくなりすぎだから、ダメじゃない…。
今、京都の八百屋さんには、今年最後の竹の子が並び、ミモロもわかめといっしょに煮付けた「若竹煮」を作って食べたばかり。
京都の食材も、春から初夏へと移っています。
「ここ、本当に新緑がキレイ…」静寂の庭を、時折、猪脅しの音が、カーンと響き渡ります。
今、京都は、艶やかな花のシーズンを終え、清々しい新緑の季節を迎えています。
GWを過ぎ、落ち着きを取り戻した京都。「これからしばらく静かな時期だよね~」静かさを求める方には、おすすめの季節です。
*「詩仙堂」の詳しい情報は、ホームページで
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