ミモロ自身、あまり馴染みがなかった山科エリア…「すごく近いのに、あんまり行かないね~」と。そう、観光客も少ない山科駅周辺エリアを中心に、山科出身のお友達の案内で巡ります。
「え~ここなの?」と、ミモロが意外…という声を上げたのは、「明智藪」です。

ここは、もうすぐ大河ドラマでも大詰めを迎える本能寺の変の後、天正10年6月13日、明智光秀が農民に討たれたと言われる竹藪です。
「あれ~竹藪ないね~」と…そう、現在、このエリアは、土砂崩れ防止工事が進み、明智光秀が逃げ込めるような竹藪はありません。

ここは、日蓮宗の「本経寺」の敷地内で、境内には、供養塔もあるそうです。
かろうじて残された竹が茂る場所に、それを示す石碑と絵が置かれています。


農民にヤリで討たれたと言われる光秀ですが、その時代の農民は、兵士としても戦場に駆り出される存在。のんきな農家の人ではありません。
ここで脇腹を刺され、逃げ、落馬した後、自害したと言われる光秀。「もうすこし頑張れば逃げられたかもね…」う~むずかしいところです。

この「明智藪」があるのは、住宅地の奥。

「あれ~ここ伏見区なんだ~」

山科区にいると思っていたミモロ…気づけば伏見区に入っていたのです。
*「明智藪」京都市伏見区小栗栖小阪町
さて、他にも歴史的な場所を訪れたミモロ。それは「坂上田村麻呂の墓」。


征夷大将軍として活躍した坂上田村麻呂。54歳の生涯は、まさに戦の連続。41歳で建立した「清水寺」などで、京都にも馴染みの深い方。
病に倒れた後、嵯峨天皇の願いで、平安京の守護神として埋葬されたと伝えられるのが、ここ山科の墓所です。

「古墳みたい…」と、現在、公園のように整備されている場所に、こんもりと土が盛られた場所があります。
なんでも、死んでも守護の役割を任せられた坂上田村麻呂。埋葬は、甲冑、剣、弓矢などを身につけ納棺され、立ったままで葬られたそう。
都に危険が迫ると、塚から大きな音がするとか…将軍塚は、東山にもありますが、本来は、このお墓のこととか。
「死んでも、お仕事してるって、大変だね~ご苦労さまです」と手を合わせるミモロです。
*「坂上田村麻呂の墓」京都市山科区勧修寺東栗栖野町
「もう、夕方だね~」と丸1日、山科エリアを巡ったミモロだち。
最後に訪れたのは、今年オープンした人気のスイーツショップ「マールブランシュ ロマンの森」です。週末は、駐車場に入るのも大変という人気ぶり。入場制限もあり、ちょっと待ってミモロも中へ。
イートインスペースに入るために、飲み物とケーキを選びます。


ドリンクとケーキをカウンターで受け取って、テーブルへ向かいます。

ミモロが選ぶのは。イチゴがのったケーキ。

「ふ~なんかすごく歩いたから、ケーキの甘さが疲れを癒すね~」と美味しさに目を細めるミモロでした。
ぜひ、歴史あるエリア山科へ…密にならず見学できます。「ホント、知らないことばかりだった…」案内してくれたお友達に感謝するミモロでした。
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