「ちょっとカッコ良すぎるかもね~」と、「福知山城」に展示された明智光秀のパネルと一緒のミモロ。
京都府の西に位置する福知山市。そのシンボルが、明智光秀が築いた「福知山城」です。
天正7年(1579)ごろ、丹波を平定した光秀は、西国攻略の拠点の一つとして「横山城」と呼ばれていた山城を拡張し、石垣を整備、天守閣などをもつ「福知山城」を築いたのです。
現在の城は、昭和61年に再建整備されたもの。3層構造の城は、この城の歴史を物語る資料が多数展示されています。
「へぇ、昔は、こんな感じだったんだ~」
当時の様子は、人形などで再現されています。
壁面には、この城の歴史パネルがずら~りと…
築城から、明治の廃城令発布までの時代がよくわかるパネルです。
「福知山城」の城主として、明治まで一番長い期間を守ったのは、常陸国土浦から入った朽木家で、以後200年13代に渡り、この地を治めます。
「へぇ~もともと関東の人だったんだ~。随分遠くまでお国替えになったんだね~」とミモロ。
「お国替えって、大名の転勤でしょ!家臣を連れて来るけど、よく知らない場所で城主として責任重大なお役目だから、大変だよね~」と、想像します。
でも、朽木家の歴代の城主は、文化に造詣が深く、戦いがなくなった時代の藩主として、この地にさまざまな文化をもたらしたのでした。
「もっと上に行こう~」とミモロは、最上階へ
「わ~城下町が一望できる~」
福知山は、西国への交通の要所。「京都の町に行くより、神戸の方が近い感覚なんです」と、地元の方が言っていた通り、オランダ商館との関係があったり、文化豊かな藩だったと予想されます。
戦いがない時代でも、城はそれなりの戦いへの備えは完備されています。
「ここから鉄砲撃つのかな?」
床には隙間があって、そこから熱湯や石を下から来る敵兵に目掛け攻撃するのです。
石段もいろいろな組み方が…
いろいろな石の再利用も行われています。
「福知山城に来てよかった~!」というミモロです。
*「福知山城」の詳しい情報はホームページで
さて、お城のすぐ近くにあるのが、「福知山市佐藤太清記念美術館」です。
佐藤太清は、福地山出身の文化勲章を受賞した画家。
館内は、彼の作品が豊富に展示されています。
ぜひ、ここも訪れたい場所です。
*「福知山市佐藤太清記念美術館」の詳しい情報はホームページで
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