「開運招福を願ってお詣りしよう~」とミモロが訪れたのは、500段の石段のある「豊国廟」の麓に位置する「新日吉神宮」です。
ここは、永暦元年(1160)に後白河上皇が院政を司った「法住寺殿」の鎮守として、近江の日吉山王社より勧請したのが始まりとされる神社です。この時期、後白河上皇は、紀州、熊野権現も勧請し、「新熊野神社」「熊野若王子神社」が創建されたとも…。
「あのね?読み方よく間違える人いるよね~」というミモロ。
「新日吉神宮」は「しんひよしじんぐう」と読むのは間違いで、「いまひえじんぐう」と読みます。
後白河上皇の時代の今という意味だそう。
参拝の前には、手水でお清め…
「こんにちは~久しぶりで」と挨拶するのは、ここを守る狛犬ではなく、狛猿。
「新日吉神宮」の神様のお使いの阿吽の「ご神猿」です。
なぜか、いろいろな神社などにいらっしゃるご神猿は、ネットを掛けられていることが多いもの。なんでも夜に出かけていたずらをするため、夜間外出禁止の状態にされているのだそう。
ご神猿は、「真猿」とも称され、魔が去る=厄払い 勝る=開運招福・出世運 などにご利益があると崇敬されています。
創建から、さまざまな戦乱に巻き込まれ移転を繰り返し、現在の場所には、明治30年。「豊国廟」の復興とともに移されたそう。大きな流造の社殿は、天保6年(1835)の建物で、移築をしたものとか。
社殿のひさしのところにも猿が彫られ、守っているそう。「見えない…」と望遠鏡でも見つけられないミモロでした。
さて、天下を取った秀吉の守り仏は、大黒様。ここには、いっしょに並んでご利益倍増。
しっかりお詣りするミモロです。
京都の神社仏閣は、実は、創建以降、移転をしたものも多いのです。今でこそ平和で落ち着いた雰囲気の京都ですが、それぞれの時代の波や度重なる天災、火災に巻き込まれ、焼失し、移転を余儀なくされました。「長い歴史がある都だけに、いろんな目に合ってるんだよね」と、歴史を知るほど、京都がその姿を変えていることに驚かされます。
境内には、いろいろな社があり、その一つが「このした社」(樹下社)。
樹下=木下 つまり秀吉を祀った社で、徳川の世となり、秀吉のゆかりの「豊国廟」などさまざなものが徹底的に破壊された中で、ひそかに守り続けられた社なのだそう。それを公にしないために、この名になったのとか。
「わ~立派な木だね~」とミモロが見上げるのは、境内にあるご神木「スダジイ」で、京都市指定保存樹のひとつです。
樹齢500~800年という、ちょっとアバウトな樹齢ですが、ともかく江戸時代以前からあったと伝えられているそう。
椎の木の一種で、ドングリも落ちてきます。ゴツゴツとした外観は、「なにがあったの?」と聞きたくなる姿。
じっと京都の移り変わりを見つめて来たことは確かです。
*「新日吉神宮」の詳しい情報はホームページで
<ブログを見たら 金魚鉢をクリックしてね 応援よろしく!ミモロより
人気ブログランキング
ミモロの通販ショップ「ミモロショップ」はこちら
ミモロへのお問い合わせ・ご要望は、mimoro1888@gmail.comまで
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます