「着いた!」ついに天王山山頂に到着です。
「天王山」は、歴史の教科書に登場する「山﨑の戦い」の舞台としてその名を轟かす山。でも標高は270mとそれほど高くはありません。ちなみに「愛宕山」は924m、五山の送り火の大文字山は472mですから、それらに比べてかなり低い山なのです。
でも、問題は、その位置する場所。大阪と京都の間にあり、水運盛んな淀川を眼下に望む、まさに交通の要所。
たとえ標高は低くても、周囲は湿地帯が広がる平野であるため、その見晴らしは素晴らしく、おそらく戦いの様子がよく見えたはず…でも…
山頂には、今年の大河ドラマに因みのぼり旗がはためいています。
大河ドラマの主人公、光秀ゆかりの地とありますが、山崎の戦いは、淀川沿いで行われたので、光秀は、この山には登っていません。
戦いが終わった天正10年(1582)6月の翌月に、秀吉は、天王山山頂に「山﨑城」を築きます。
「これ、そのお城のものかな?」と山頂には、かつて城があったことを思わせる礎石が点在。
さて、山頂から少し下ったところに、古い神社があります。「自玉手祭来酒解神社」(たまでよりまつしきたるさかとけじんじゃ)という奈良時代創建の古刹です。
「なんかすごく歴史を感じる神社だね~社殿も大きいし、神輿蔵もあるから、きっと大きなお神輿があったんじゃないの?」と想像するミモロです。
現在のご祭神は、大山祇神と素戔嗚尊(牛頭天王)で、もともとは、牛頭天王を祀る「山﨑天王社」と言われ、それで山の名も天王山と呼ばれるようになったそう。
神社の境内には、「山﨑合戦」の碑が…
そして、山﨑の合戦を示す陶板画が置かれています。
「山頂よりここがポイントなのかな?」とミモロ。
「わ~ここからの見晴らしもいいね~」ミモロの前に広がるのは、先ほど見た景色より、南側に当たります。
きっと山﨑の合戦は、ここからよく見えたはず…
さて、そろそろ山を下りましょう。
ミモロたちは、山道を進み、「山﨑聖天」のある「観音寺」へ。
この建物は、明治時代に再建されたものだそう。
「ほら、瓦には、光秀の桔梗紋があるでしょ」と、今回案内してくれたお友達。
「ホントだ~どうして?」とミモロ。「う~」とその理由はよくわからない様子。それ以上の追求は止めました。
「ここから阪急の西山天王山駅に行きますよ」とお友達。お寺を出る近道は、石段を下ること。
「え~この石段下りるの?」と、あまりに急な石段に足がすくむミモロです。
ゆっくり慎重に無事に石段を下りました。
「では、今回の天王山登山はおしまいで~す」
そこからトコトコ歩いて、駅へ。
天王山山頂には、阪急「西山天王山駅」から約80分ほど。ハイキングには、ほどよい距離かも…。
「いろんな野鳥もいたね~。きっと秋の紅葉や、春の新緑の時もいいかもね~」とミモロ。
「じゃ、またいつか登りましょうね」とお友達。
コロナの緊急事態宣言が発令で、運動不足になっているミモロにとって、久しぶりのロングウォークでした。
日曜日に「麒麟が来る」を見たら、きっと天王山が登場するのではと、期待するミモロです。
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