友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男たちの弱さと女たちの強さ

2008年09月07日 22時09分48秒 | Weblog
 昨日は、私たち“いちご会”の「夏祭り慰労会」の日だった。海鮮料理の店があるスーパー銭湯で、宴会を午後6時から9時まで行なった。午後4時30分に到着し、宴会が始まる午後6時までは温泉を楽しもうというものだった。私は、小学校2年生の男の子の相手をしていたから、ゆっくり温泉を楽しむとはいかなかったけれど、久々に子どもの親になった気分を味合った。

 宴会が始まる直前に、司会役をおおせつかった。司会をやってみると、気は使うけれど全体を眺められてなかなかいいなと感じた。今回は子どもの参加をなくしたと実行委員長が言っていたが、結果は小学校2年生の男の子とその下の3歳になる妹と、ネパール人の5歳の男の子の3人が参加することになった。子どもの参加そのものは、私自身は大歓迎だけれど、その親や祖父母は自分たちの負担が大きくなることから、できれば参加をやめさせて欲しいと言うのだ。

 夏祭りの時も、子どもたちが参加して、アユの串指しや焼き物の手伝いをしてくれた。“いちご会”の仲間の中には子どもにお金を触らせてはならないと考える人もいた。私は、子どもたちにも大人たちがどんな風に祭りに取り組んでいるのか知ってもらった方が良いし、実際にお金のやり取り、お金をもらってお釣りを出す行為も体験させた方がいいと思っている。そして同じように祭りを体験したのだから、この「慰労会」にも参加させ、大人が何を喜び、何に感動しているのか、知ってもらいことは縦のつながりが希薄になった現代では大切なことだと考えている。

 けれども、それはみんなの総意で決めていけば良いことで、私が決めることではない。私はあくまでも、“いちご会”の一人にすぎない。そんな目でみんなを見ていて大変面白いことに気がついた。先にあげた子どもで参加してくれた3人を見ていると、小学校2年生の男の子は最年長者だが、マイペースで、宴会が始まってからもお風呂に行くと言って駄々をこねていた。その妹は、5歳のネパール人の男の子の手をしっかりと握り、大人たちが「抱っこさせて!」と言ってきてもガンとして受け付けなかった。そればかりか、ネパール人の男の子はあんなにおばあちゃん子に見えたのに、まるで騎士のように彼女を守っていた。

 そこにいくと、分別のある大人であるはずの50代や40代の男も女も、なかなか大人になりきれていなかった。女の人はともかく、どうも男は意志が弱いのか欲望が強いのか、未練ぽっく「ああでもない。こうでもない」とグチをこぼしていた。どういうことかと言うと、私の中学時代から友だちと一緒で、好きになった女性がいるけれど、もしプラトニックな域を超えてしまったなら、家庭を壊すことになるので、どうしようと言うのである。

 そんなことは、人に相談するようなことではなく自分が決めることではないかと思うが、彼らの話を聞いていて、男の方が純真なのかアホなのかと思った。いや、ひょっとしたなら彼らは私に自慢話を聞かせたかったのだろうかとも思った。カラオケでは堂々たる歌いっぷりであったけれど、そういう面とは違う苦悩を人は抱えているものなのだとも思った。
コメント
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