友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

妖艶なヒガンバナ

2008年09月12日 21時26分52秒 | Weblog
 秋である。朝晩がめっきり涼しくなってきたし、空も気のせいか高く感じる。それでも昼間は32度もあると言う。私が秋だと感じたのはわが身の異変である。このところ目が痒い。寝ていても、起きていても、目が無性に痒い。イネ科の花粉によるアレルギーであるらしい。痒いから目をこするので、余計に目は赤くなる。こうなると人に会うことも億劫になる。情けない話だ。

 我が家の朝顔は、9月に入って異様に咲き出した。それまではつるばかり伸びて、これは花が咲かない朝顔だったのかと思うくらいだった。それが互いに絡み合いながら伸びて山のようになり、ポツン、ポツンと咲き始めた。見るとこれからどんどん咲くであろうたくさんの花芽が出来ている。サルビアは夏の花が終り、青々とした新しい葉が出てきているから、この花を摘み取ってやればまた新しい花芽が出てくるはずだ。

 バラも秋に咲くものが花を開いてきた。あの夏の暑さを耐えてホッとしたのか、ランタナが新しい芽を伸ばして花を咲かせている。お彼岸になると、必ず咲くヒガンバナも不思議な花だ。子どもの頃、お彼岸にお墓参りにいくと、お墓のあちらこちらで真っ赤に燃えるようなヒガンバナが咲いていた。私は綺麗な花だなと思ったが、祖母は「縁起の悪い花だから触ってはイカン」と言っていた。葉はないのに花だけが咲く不思議さから、怪しいもののように子どもの頃は感じていた。

 それがいつだったか大人になって、家族でハイキングに出かけた時、ヒガンバナの群生を見てとても綺麗だと思った。それから気をつけて見ていると、各地でヒガンバナの群生に出会うことがある。JRで京都の方へ向かう車窓からも次から次へとヒガンバナの群生を見ることが出来たし、この地方では半田市にある新見南吉記念館の裏手の川沿いで見事なヒガンバナの群生を見ることが出来る。

 「縁起が悪い」と祖母は教えてくれたけれど、その妖艶なあでやかさは人の心を打つものがある。私はヒガンバナを見ると、怪しい恋を連想してしまう。小説「風の盆」には酔芙蓉が出てきたけれど、ヒガンバナもまたそうした人の道を外れてしまう激しい恋物語が似合うと思う。お彼岸の頃になると、たとえ猛暑の夏でも、あるいは寒い夏であっても、必ず花を咲かせるヒガンバナは、それだけに健気な花だと私は思っている。

 ヒガンバナは別名で曼珠沙華というが、マンジュシャゲと書くとまるで極楽の花のような感じがする。最近では、シロバナマンジュシャゲ(白花曼珠沙華)というものもあるが、こうなると妖艶さが無くなり私は興味が湧かない。やはり真っ赤でセクシーな、妄想が働くヒガンバナの方が好きだ。マンジュシャゲと歌った女性歌手がいたように思うけれど、どんな歌だったかも覚えていないのに、きっと不倫の歌だと信じているのだからおかしい。

 ヒガンバナが盛りを過ぎると、それはもう老婆のようになってしまう。恋はこんな風に燃え、そして消えていくのだろう。
コメント
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