やはり思ったとおりだった。2学期が始まって、昨日と今日は夏休みの課題テストとかで、授業がない。中学2年の孫娘が2時過ぎに「ただいま」と言って帰ってきた。その声の雰囲気から複数の友だちも一緒だとわかった。孫娘に相談を持ちかけている片親ホームの子どもたちだ。「お邪魔します」と上がりこんできたが、玄関での彼女たちの履物を見ると見事なほどバラバラだ。
「家に上がる時は靴をそろえておくものだよ」と、教えてあげなくてはならない。「せっかく好きな人が出来たのだから、自分をきれいに見せなくちゃーね」と言ったけれど、本当にわかったのだろうか。それに彼女たちは片親しかいないのだから当然なことだが、家事の負担もあるだろう。「料理はするの?」と聞いてみたが、「親がやるんで」という答えだった。「じゃあー、お茶碗洗いとかお洗濯とかお掃除をするの?」と聞くと、「(孫娘の名前を挙げて)やるんですか?」と逆襲された。
確かに孫娘も家事は余りしない。中学2年生だが、洗濯をしたり、干したものをたたんだり、掃除機をかけたりはしている様子だ。そういえば、娘たちの時はどうだったのだろう。一番良く覚えているのは、お茶碗洗いのことだ。彼女たちが大きくなったので、「ママが料理を作ってくれるのだから、食べた食器はあなたたちが洗いなさい」と言うと、「どうしてパパはしなくていいの?」と言う。ムツとして「わかった。3人が交代でやろう」と決めたけれど、結局好きなテレビなどがあったりして、長く続かなかった。
それならとその頃に発売となったばかりの食器洗い機を購入した。それでも誰が食器洗い機に食器を並べるかでもめたから、結局は同じことだった。私は、テレビは労働してきた大人がその疲れを癒すもので、あなたたちのようにまだこれからたくさんの楽しみがある人たちは見る必要がないという極論の持ち主だったから、子どもたちからすると全く偏屈で身勝手な父親であったと思う。
極端といえば、私は子どもたちに、私の価値観や価値判断を押し付けた。自己犠牲をすることは尊いと強いた。かなり高級なホテルや演奏会にも連れて行ったし、京都や金沢のような歴史の街にも行った。子どもたちがどう思うかよりも父親である私の美意識を伝えておきたかった。それは親の役割だと今でも思っている。子どもは大人になれば、自らの価値観や美意識を形成していく。当然にも親との反発の中で磨かれ育っていくと思うからだ。
子どもは親の言うとおりにはならないし、なって欲しくない。親の言うとおりの人間ではない、もう一人の、確実な人格を備えた人であって欲しい。そのために、いつも口喧嘩になってしまうとしても、それは別の確固たる人格が存在する証拠だ。孫娘がどんな人に育っていくか楽しみだが、マンガやラーメンの美味しい店などのテレビを見ながら馬鹿笑いに興じているようではと思いながら、いやいや娘たちだってそうだったことを思い出した。
「家に上がる時は靴をそろえておくものだよ」と、教えてあげなくてはならない。「せっかく好きな人が出来たのだから、自分をきれいに見せなくちゃーね」と言ったけれど、本当にわかったのだろうか。それに彼女たちは片親しかいないのだから当然なことだが、家事の負担もあるだろう。「料理はするの?」と聞いてみたが、「親がやるんで」という答えだった。「じゃあー、お茶碗洗いとかお洗濯とかお掃除をするの?」と聞くと、「(孫娘の名前を挙げて)やるんですか?」と逆襲された。
確かに孫娘も家事は余りしない。中学2年生だが、洗濯をしたり、干したものをたたんだり、掃除機をかけたりはしている様子だ。そういえば、娘たちの時はどうだったのだろう。一番良く覚えているのは、お茶碗洗いのことだ。彼女たちが大きくなったので、「ママが料理を作ってくれるのだから、食べた食器はあなたたちが洗いなさい」と言うと、「どうしてパパはしなくていいの?」と言う。ムツとして「わかった。3人が交代でやろう」と決めたけれど、結局好きなテレビなどがあったりして、長く続かなかった。
それならとその頃に発売となったばかりの食器洗い機を購入した。それでも誰が食器洗い機に食器を並べるかでもめたから、結局は同じことだった。私は、テレビは労働してきた大人がその疲れを癒すもので、あなたたちのようにまだこれからたくさんの楽しみがある人たちは見る必要がないという極論の持ち主だったから、子どもたちからすると全く偏屈で身勝手な父親であったと思う。
極端といえば、私は子どもたちに、私の価値観や価値判断を押し付けた。自己犠牲をすることは尊いと強いた。かなり高級なホテルや演奏会にも連れて行ったし、京都や金沢のような歴史の街にも行った。子どもたちがどう思うかよりも父親である私の美意識を伝えておきたかった。それは親の役割だと今でも思っている。子どもは大人になれば、自らの価値観や美意識を形成していく。当然にも親との反発の中で磨かれ育っていくと思うからだ。
子どもは親の言うとおりにはならないし、なって欲しくない。親の言うとおりの人間ではない、もう一人の、確実な人格を備えた人であって欲しい。そのために、いつも口喧嘩になってしまうとしても、それは別の確固たる人格が存在する証拠だ。孫娘がどんな人に育っていくか楽しみだが、マンガやラーメンの美味しい店などのテレビを見ながら馬鹿笑いに興じているようではと思いながら、いやいや娘たちだってそうだったことを思い出した。