友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中山発言の品格

2008年09月27日 22時45分36秒 | Weblog
 この地方の小学校では運動会を、今日と明日に行なっている。我が家の隣りの小学校でも今日は運動会で、朝早くから先生たちが会場づくりの総仕上げを行なっていた。マンションから見ていると運動会の様子が手に取るようにわかる。開会前には児童たちの席の周りには既に多くの保護者が集まり、保護者席は色とりどりのシートが敷かれ、両親ばかりか姉妹や児童の祖父母までが応援にやってきていた。

 かつてまだ、地域の結びつきが強かった頃は、小学校の運動会はまるで地域のお祭りのようだった。親たちは弁当持ちで応援に駆けつけ、昼食は子どもたちを囲んで食べたりしていた。そんな運動会になりつつあるように思う。両親が子どもたちと一緒に行なう競技もあり、一段と声援が大きかった。中には写真やビデオに夢中で、子どもたちが競技が見えないほど前に出てしまう親もいるが、以前よりは「道徳」が行き届いているように思った。

 中山国土交通大臣は「日教組は日本の教育のガンだ。私は日教組解体運動の先頭で戦う」と発言していた。なぜ、日教組が日本の教育のガンなのか。具体的には「日教組は道徳教育に反対している」ことを挙げていた。詳しくはわからないが、確かに日教組は道徳教育に反対しているであろう。組合としてのスローガンではあるが、現場の教室では道徳教育は行なわれている。もちろん先生の中には、道徳教育に反対だと思っている人はいるだろう。心の中で思うことを「ケシカラン」ということは許されることではない。

 中山大臣は東大を卒業し大蔵省に入省したエリートだ。人は何を考えても自由であるし、何を発言してもそれ自体は自由だけれど、自分がどういう立場かでその発言は重さが違う。さらに思うのは、日教組は教育のガンだと決め付けるけれど、「なぜ・何が」を明らかにしていない。中山大臣が問題にするほどの力が今の日教組にはないと私は思っている。組合員は減少化にあり、スローガンを掲げていても具体的な戦いを展開できる組織力はない。それでも日教組が日本の教育のガンというなら、中山大臣が理想とする教育を語るべきだろう。そして日教組がどのように問題なのかを具体的に明らかにすべきだ。

 それにしても中山大臣の発言に対する日教組の書記長の対応には驚いた。記者団からの質問に、「コメントの仕様がない(ほどあきれている?)。明日にでも大臣にお会いして真意を確かめたい」と語っていた。日本の教育のガンなどとヤリ玉に挙げられていながら、この書記長には怒りが感じられない。書記長は中山発言の問題を分析できる能力がないのだろう。これが日教組の現実なのだと思う。

 現場の教師たちは子どもたちのことを第一に考え、骨惜しみすることもなく、一生懸命に働いている。ところが「教師は世の中を知らないから」と、民間会社に派遣し研修させたりするケースもあるそうだ。教師だから見識が狭いわけではない。普通のサラリーマンであっても、自分の仕事のことには詳しくてもそれ以外のことはよく知らない人はたくさんいる。教師は一般社会では役に立たないなどと言う人もいるが、役に立たない人はどこにでもいる。教師が普通のサラリーマンと違うところは、損得を考えないところだろう。子どものためにどうすることが一番良いかしか考えないためだ。

 それを間違っているというなら、教育は成り立たないだろう。道徳教育を問題にする前に、官僚たちの不道徳の現状を正すことがまず必要だろう。政治家たちの腐敗の現実をまず正すべきだろう。
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