友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

姉からハガキが来た

2008年09月24日 22時16分20秒 | Weblog
 78歳の姉からハガキが届いた。和紙のハガキはきれいな文字で埋まっていた。相変わらず字が上手だ。高校生の時だったか、単行本と文庫本は同じものだと思っていて私は姉から注意を受けたことを今も覚えている。姉と亡くなった兄は、子どもの頃、父はとても厳しい人だったようで、毎日書を何枚も書かされたと姉はよく言っていた。姉がきれいな文字を書くのはこの積み重ねがあったからだ。姉のハガキは次のようだった。

 「ごぶさたしています。暑かった夏もなんとなくすぎて、秋の気配が感じられる季節となりました。お元気ですか。私も腰が痛かったりといろいろで、毎日グズグズと過ごしています。(略)奈良の薬師寺で秋川雅史さんのコンサートが有り出かけました。東塔に三日月がかかって大変印象的で、すてきなコンサートでした。又お目にかかったときに色々とお話したいと楽しみにしています。では又」

 姉からのハガキで思い出すことがもう一つある。姉は交通事故に遭い生死をさまよった末に何とか命が助かったことがある。そのリハビリのために信州の温泉地に逗留していたが、その宿から送られてきたハガキはまるで小学生が書いたような文字だった。私は姉が本当に回復できるのか不安だった。

 姉とは歳が14年も違う。私が始めて姉と出会った時はもう姉は結婚していて、私が遊んでいた時にどこかの女の人が私にお菓子をくれた。そのことを母に知らせようと家に帰るとその女の人が家にいて、ビックリした。それが姉だった。それでも矛盾するけれど、姉が通っていた女学校の文化祭か何かで、姉が琴を演奏していた記憶もある。もしそれが本当に正しい記憶なら2歳か3歳の時だ。

 姉の家では朝食に目玉焼きに牛乳にハムにトーストを食べていた。それが目新しく、私は母に「姉さんのところの方がよっぽどいい」と言ったことがあった。母は怒って箒だったか物差しだったかで私を叩こうとした。私はビックリして逃げたけれど、母はどこまでも追いかけてきた。母は私の身勝手さを正したかったのだろう。母は陽の人だったが、正しいことと間違ったことはハッキリとしていた。

 年老いて姉はますます母以上になってきた。奈良の寺々を回りたいという姉の願いに応えなくてはと思いながら、なかなか実現できずにいる。そろそろ実行しないと今度は姉に叱られそうだ。
コメント
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