友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「敬老の日」に

2008年09月15日 20時26分17秒 | Weblog
 可児市の『花フェスタ』へ行って来た。我が家のバラは四季咲きで、秋の開花の時期を迎えている。『花フェスタ』ならもっと見事ではないかと思っていたのだが、残念ながらハズレだった。花はほとんどチラホラとしかなく、咲き終わった花柄が茶色く残っていて、なんだかやけに寂しく感じた。おそらくよく通ってきているのだろう、年寄り夫婦の男性が「ほら見ろ、やっぱり11月でなきゃーアカンのだわ」と女性に話していたが、そのとおりなのだろう。

 丁度、コンサートホールで瑞浪市にある私学の中・高校の太鼓部の演奏があったので、30分聞かせてもらった。確かに先日の和太鼓集団TAOほどではないが、女の子が圧倒的に多いのによくここまで打ち込めると感心した。各地に生まれた和太鼓集団が、互いにその実力を競い高めあっている効果がここにも表れているように思う。和太鼓の演技と技術はさらに磨かれていくことだろう。

 コンサートの客席は、出演した子どもたちの関係者が多いのかなと思って見渡したが、ご両親もさることながら、その祖父母らしき人たちが多く見られた。いや、そればかりでなく、たまたまこの『花フェスタ』にやってきて、ちょっと休憩のつもりで座り込んだお年寄りがかなりあったのかもしれない。今はどこへ行ってもお年寄りが多い。デパートも半分以上がお年寄りだし、観劇会は8割から9割がお年寄りだ。子どもたちが喜ぶような遊園地や動物園などでもお年寄りの姿が目に付く。

 今日は混雑するのを避けようと思って、お昼前に鰻屋に入ったが、もう何組も店先に並んで待っていた。こうした待機する人、お店で食事をしている人、食べ終わって出てくる人を眺めていると、「敬老の日」だから余計にそうなのだろうが、お年寄りを連れた家族連れが圧倒的に多い。お孫さんたちが、おじいちゃんやおばあちゃんを連れてきているグループもある。また2家族で一緒におじいちゃんとおばあちゃんを囲んで食事にやってきているグループもあった。

 お年寄りがこんなに皆さんから大事にされているのだと感心して見ていた。けれど、私自身ももうお年寄りに入っていることを忘れていた。来年には65歳になるというのに、気持ちはなぜだか未だに18歳のままだ。いや、18歳は若すぎるとしても、30代や40代の思慮分別がなかなか育ってきていない。困った年寄りになってしまった。いやそもそもが、自分が年寄りだと全く思えないのだ。確かに肉体的には年齢は隠せないのに、精神の成長が伴わないこの自己矛盾がなんともやりきれない。
コメント
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