友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

台風が来た日

2008年09月19日 22時15分28秒 | Weblog
 台風13号が近づいている。しかし、雨は降ったりやんだりで、風も吹いていない。こんな日は仕方ないから読書に限るとばかりに本を読むが、なかなか身が入らない。ロシアの作家、トルストイについての解説で「人道主義的作家」とあった部分だけを見て読まずに来たけれど、『アンナ・カレリーナ』が話題になった時、全く知らなくて恥ずかしかった。トルストイについては何一つ話すことが出来なかったのだ。

 丁度、光文社の新書『“カラマーゾフの兄弟”の続編を空想する』(亀山郁夫著)を読んでいた時だったので、光文社古典新訳文庫が目に付いた。望月哲夫訳の『アンナ・カレリーナ』は確かに読みやすい。読みやすいからどんどん読めるのだが、今日は会いたい人に会えず、大事なことが先送りされていくことに苛立っていた。物事は自分の都合だけで進むものではないことは充分わかっているつもりだったのに情けない。

 『アンナ・カレリーナ』はかなりの長編だ。そういえば、トルストイの作品は長編が多い。トルストイの時代は小説の発表とか販売はどのように行なわれていたのだろう。そういう社会的な事情が長編ものになったのだろうか。私はまだ、2巻の真ん中辺りを読んでいるに過ぎないが、トルストイという作家はかなり読み手を意識して物語を展開しているように感じた。登場人物も多く、いったい誰が主人公なのかと思えるほどそれぞれの人生、それぞれの生き方が描かれているし、その時代の社会描写も細やかになされている。

 ロシア革命前の社会がどのような構造であったのか、ドストエフスキーの作品よりもよくわかるように思った。ロシア革命が農夫を味方にしなければ成り立たない背景もよくわかった。学研の現代新百科事典によれば、「宗教と人間性との相克に絶えず悩み続けた彼は、50歳で宗教への転向を宣言した。彼の道徳的求道心は『アンナ・カレリーナ』(1873~77)に、宗教的転換後の彼の姿は『復活』(1899)に体現されている」とある。

 『アンナ・カレリーナ』の主人公のアンナは若い将校と恋に落ちてしまう。今ならば不倫小説だ。でも読んでいると、貴族社会では普通のことのようだ。日本でも源氏物語のような社会があったし、江戸時代の男女関係もかなり現在の規範とは異なる。社会の違いを踏まえたとしても、これからどんな展開になるのか楽しみだ。百科事典の解説に従えば、『アンナ・カレリーナ』を書いていた頃はまだ宗教と人間性との相克に悩んでいたことになるが、私が読んだ範囲では宗教には大きな関心はないように思われるから、「人生の真実を求め続けた」のだろう。

 『アンナ・カレリーナ』を読み終えたなら、次は『復活』を読んでみようと思う。
コメント
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