友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

根尾の薄墨桜

2008年04月09日 22時21分04秒 | Weblog
 根尾の薄墨桜を見るのは「今日しかない」と言うので、朝8時に家を出て根尾に向かう。車はナビ付だからそのとおりに行けばよいものを、「インターネットで調べたら名神高速の羽島インターで降りると出ている」と言うので、それに従ったところ、朝の渋滞に巻き込まれてさっぱり進まない。やっと揖斐川を渡り大垣に入ると、ナビは今度は右に曲がれと指示する。やっと通り抜けてきたのに、再び揖斐川を渡れというのでは元に戻ることになってしまう。

 ナビは大垣インターで降りるように指示していたから、結局そのルートに戻されたのだろう。初めから大垣インターまで行っていれば時間はもう少し短縮できたのかもしれない。地図が頭になければ、ジグザグに走っているとは思わないだろうが、なまじっかこの辺りを走ったことがあったので気が付いただけに過ぎない。それでもまあ、2時間余りで根尾に到着できた。まだ、駐車場には余裕があった。坂道を上がると広場があり、そこに薄墨桜はデーンとあった。

 地元の人の話ではまだ、散り際ではないそうだ。薄墨桜は初めの頃はピンクが強く、満開の頃に桜色となり、散り際には淡い墨を引いたような色になると言う。幹周りは約10メートルもあり、確かに巨木だ。その割に樹高がないのは台風や大雪で枝が折れてしまったからそうだ。この薄墨桜は2度の大手術を受けて、今日のように蘇った。昭和24年に前田利行さんという人が、活力の残っている根に山桜の若い根を接ぐ「根接ぎ」という手術を行い、生き返らせた。根接ぎは238本も行なわれたと言う。

 ところが昭和34年の伊勢湾台風で、薄墨桜は太い幹が折れ、小枝もほとんどもぎ取られ、無残な姿となってしまった。昭和42年、作家の宇野千代さんは根尾を訪ね、侘しく立っているこの老桜の痛々しさに心打たれた。何とか生き返させたいと各方面に呼びかけ、翌年には土壌改良やカビ取りなどを行い、以来8回もの手術を施しているそうだ。薄墨桜にとって、前田利行さんと宇野千代さんは命の恩人なのだと知った。

 宇野千代さんといえば、藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、東郷青児、北原武夫の順で生活をともにした、華麗な人生を謳歌した女流作家である。「私は、桜が大好き」と彼女は書いているけれど、正しく「桜」のような人生を送った人だ。たくさんの人々に「キレイ!」と言われ、デーンと構える薄墨桜を眺めていて、恋をするたびに大きく成長していった宇野千代さんとダブルようで、きっと素直に懸命に生きてきたんだろうなと思った。

 帰路には対向車線は大渋滞で、およそ5キロは続いていた。この人たちはライト照明に浮ぶ夜桜を見るのだろうか。この薄墨街道は桜が満開で、小学校の校庭は桜で埋もれてしまうほどだった。
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民主主義は実現できるのか

2008年04月08日 23時17分54秒 | Weblog
 国会は大詰めを迎えているのに、なんだか少しもそんな雰囲気が伝わってこない。3月末の段階で、全てを解決するとしていた国民年金問題は、何も解決できていない。それならば、政府は責任を取って総辞職するのが道理というものだ。海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船の衝突の問題もまだ解明されていないし、国土交通省の外郭団体の不適切な金の使い方もどこかにいってしまっている。

 こんなにもでたらめな政治状況なのに、解散権を持つ福田総理は「そんなことは言っていないでしょう」とか「期待させてしまったとしたなら、説明不足でした」と言う。舛添大臣も「国民の皆さんに夢を持たせてしまったなら、謝罪しなくてはいけない」とまで、国民を馬鹿にした発言をしている。私たちは「期待」してもいなかったし、ましてや「夢」は見ていなかった。キチンとやって欲しいと望んでいたに過ぎないが、民主党がそうであるように、どこまでその責任を追及できるのか、不安には思っていた。

 政治に国民は参加していない。議員と官僚が勝手に国を動かしているだけだ。そんな気持ちが国民を支配しているような気がする。小学校の児童会、中学高校の生徒会、大学の自治会、本当にそこに民主主義は存在したのか。自分たちのことは自分たちで決める民主主義の原則が確立されていたのか。この3つの組織で役員をやってきた自分が言うことはヘンかもしれないが、民主主義など存在しなかったのではないかと思う。

 選挙で、自分たちの代わりにものを言ってくれる人を選ぶ。直接民主主義で、全員が何らかの形で話し合っても、決めたことの執行となるとみんなが執行者になることはできないから、代理の者を置く。するともうそこに、代理者と任命者との間に開きが生まれる。人間の社会はどこまでいっても、民と執行者とに乖離が生まれる社会なのかもしれない。これを埋めることは人間の智恵では出来ないことかもしれない。

 しかし、仮に、埋めることはできないことが人間社会の本質であるとしても、できる限り民と執行者との間を近づける工夫をすることはできるはずだ。選挙で、首長なり議員なりの候補者に投票する時、人は何を基準に判断するのだろう。身近な選挙であれば、かなりじっくりと候補者の政策や人柄を見て決めるだろう。県会議員やもっと大きな国会議員の場合は、政策はマニフェストにひとまとめにされてしまうので、結局は政党がどういう政策集団なのかを検討して決めるのだろう。

 私自身も何度か選挙を経験したが、有権者に「口利きや利益誘導」を売りにする候補者は政治を堕落させる以外の何者でもないと訴えてきても、しかし現実はそうした候補が多く当選してしまっている。ポスターの印刷代や自動車の借上げ代やそのガソリン代、挙句に運転手の日当や事務職員の日当など、市がお金を出す選挙公営費を水増し請求したり、勝手に運用してしまうことが平然と行われている。お金が無くても選挙に立候補できるための仕組みなのに、それが「税金」であるがゆえに、みんなで勝手に運用してしまえばそれが当たり前になってしまう。

 本当にみんなの意思が反映できる政治の仕組みはできるのだろうか。できるように考えなくてはいけないが。
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桜散る

2008年04月07日 19時50分54秒 | Weblog
天気予報どおり昼からは雨降り。雨は明日の午前中まで続くようだが、植物にとっては惠の雨となった。桜はこの雨に打たれてますます花びらを落としている。ガクごと落ちてくるものさえある。晴れた日に、風に舞う花吹雪は情緒的で物悲しさを覚えるが、こうして雨に打たれて静かに散っていく桜は哀れというのか、それとも目立たなくていいというべきなか。

桜が吹雪のように舞い散る様子は、確か黒木瞳さんが出演して話題になった『失楽園』の最初のシーンに用いられていた。ストリーもどんな映画だったかも忘れてしまったのに、桜が散っていく場面だけは覚えている。ハラハラと散っていく花に愛着を抱くのは日本人特有の美意識でしょう。完全なものよりも未完のものやあるいは崩れていく様を愛することは並みの神経ではありません。

 昨日、ポン菓子をボランティアで行い、私たちと同じ歳くらいの人たちから「また、来年もお願いしますね」と声をかけてもらった。私たちも「また、来年ね」と答えたが、メンバーの一人が「もちろんそのつもりだけれど、果たして来年、自分がここに立っているかはわからんから」と言います。目の悪い人、耳が聞きにくい人、血圧の高い人、心臓の悪い人、血糖値が急に下がってしまう人、歳をとればどこか悪いところが出てきます。

 桜散る。そんな日がいつか必ず来ます。それまでは、それぞれに人生を謳歌していましょう。今朝の朝日新聞の『天声人語』は「カーリング型社会」を取り上げていた。ブラシでこするのを止めると、減速したり止まってしまう新入社員のことです。若者たちは働いて何かを手に入れるという「夢」や「希望」を見出せないでいる。そんな社会にしてしまったのは、他でもない私たちです。私たちはあらゆるものを手に入れてしまった。もちろん格差は大きく存在する。それでも人類は頂点に達してしまった。

 同じ今朝の中日新聞の『中日春秋』は、不沈戦艦「大和」が3千人以上とともに東シナ海に沈んだことを取り上げ、後で連合艦隊司令官自身が無謀な作戦と回想しているのに、なぜ出撃したのかと問題を突き、答えは「空気」である指摘している。「特攻攻撃は当然」とする「空気」が支配していたのだ。ひとり一人はまともで正常な神経の持ち主なのに、世の中のあるいは集団の「空気」は全く違うものになっていた。連合赤軍の「総括」なる虐殺も同じだろう。

 「空気」に抹殺されるような生き様はしたくないし、そんな風に死にたくもない。ひとり一人が自分自身の生を生きているのに、流された「生」しか人は生きられないのだろうか。桜は散ってもまた来年、確実に花を咲かせるのに、人は桜のようには生きられない。
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桜咲く

2008年04月06日 22時15分14秒 | Weblog
 昨夜の「夜桜の宴」に続いて、今日は朝から市の「さくら祭り」で「ポン菓子」を行った。NPOはまだ立ち上がってはいないけれど、その実績づくりとなるため朝からよく働いた。けれども、実体は還暦過ぎの老人NPOだから、何時間もの立ち仕事は身体にこたえるようだ。風は少しあったけれど、晴天で気持ちがよかった。こんな日は早めに家を出てくる人が多いようで、午前中は大変な賑わいだったが、お昼からは一度だけ少し山場が来て、後はなだらかになっていった。ポン菓子の方は完売で、目標は達成された。

 祭りはまだ終わっていないのに、私たちの店だけでなく、商工会婦人部のフランクフルトソーセージやみたらしダンゴ、五平餅なども売り切れで店じまいを始めていた。協賛する形で参加しているこのような屋台は午後3時までが限度のようだ。お年寄りの女性が一人、「少し座りたいので、イスを貸して欲しい」と言われた。テントの日陰にイスを置いて「どうぞ」とすすめる。その人はみたらしダンゴをたべ、お茶を飲むと「駅まで帰りたいが」と言う。

 市内循環バスもあるから、どうしたらよいかは市職員に聞いてもらった方が確かだ。職員を探すがこういう時に限ってなかなか見つからない。そうこうしていると、係長と名乗っていた職員が見つかったので、「あの人は責任者だから、聞いてください」と教えた。しばらくするとまた、その人が戻ってきて「タクシーを頼んだのだが、どこで待てばいいか」と聞いてくる。市職員はどんな風にこの人と話をしたのだろうかと不安になった。わざわざやってきてくれた人が余分な心配をせずに、ここに来てよかったと思ってもらえるような対応はできていたのだろうか。

 今朝の中日新聞の日曜版の300文字小説の『春が来た』が目に止まった。「『好きです。付き合ってください』梅や椿の花が咲いている。(略)この一世一代の告白が成功しないと、僕には春が来ない。(略)彼女は顔を上げた。瞳に決心の色を浮かべている。僕は咄嗟に身構えた。春と冬、どちらが来る!?『‥あ、私で良かったら』途端、僕の心の中の雪が解け、一気に桜の花が咲いた。(略)」。作者はと見ると14歳の中学生だった。そんな時があったけれど、何十年と時が流れても変わらないものだとも思った。
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夜桜の宴の前

2008年04月05日 14時10分21秒 | Weblog
 絶好の花見日和となった。

 朝、6時に待ち合わせて、今晩の「夜桜の宴」のために場所取りに行く。トイレが近くにあって、水のみ場もある場所だから、「早めに行かないと場所がなくなる」との判断からだ。さすがにまだ誰も来ていない。早速、持ってきたブルーシートを広げたが、水のみ場の方に「場所取りはご遠慮ください。市公園管理課」の張り紙がある。私たちが場所取りした所はそこから離れているから、「関係ない」と言う人もいたが、やはりみんなが気持ちよいほうがいいからと、これまでどおり「午後5時から使います。それまでは自由にお使いください」の張り紙をする。それでも心配だからと「午前11時くらいにはここに来るよ」と言う人。いろいろ気を遣う人がいてこそ、みんなが楽しくできる。

 「ブルーシートだけではお尻が冷たいから花茣蓙か座布団があるといいね」と言う。「寒さ対策は各自の責任よ」と突っぱねる人もいる。もちろんそれぞれに寒さ対策をしてくるだろうが、準備する側としてはそんな心配りもしておきたい。「どうせお酒飲んで馬鹿騒ぎするだけなんだから、そんなに気を遣うことなんかない」とも言う。気遣いが全くわからない人だっていると。いやむしろ、気遣いがわかるようだとせせこましい気がする。さりげなく人に対する気遣いがあったほうが気持ちいい。

 友人の息子さんは帰りが人一倍遅い。どんな仕事をしているのか、怪しまれるくらいだ。ある日、知り合いが友人のお母さん、つまり息子さんの祖母に、「先日はお孫さんにお世話になり、ありがとうございました」とお礼を言ってくださったそうだ。息子さんは駅前の有名なイタリア料理の店で働いていて、知り合いがその店に出かけていって出会ったのだ。その時に息子さんにお世話になり、サービスにクッキーまで頂いたと、そんな話したのだ。祖母にすれば、家では昼夜が逆転しているような生活の孫が一体何をしているのかよくわからない。けれども人から、お孫さんに大変お世話になったと言われれば、なんとなく気持ちがいいものだ。

 人生は自己責任であることに異議を唱える気はない。けれども、自分が気持ちよいように、相手のためにちょっと気を遣うようにはしたい。宴会の準備をしていても、自ら進んで仕事をする人と、指示されないと動かない人と、指示されないように知らん顔している人と、様々だ。「夜桜の宴」がもう何年も続いているのは、人のために気を遣う人が多いからだ。できるだけ人のために骨惜しみせずに動きたい。その方がみんな、気持ちがいい。
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選抜高校野球

2008年04月04日 20時38分49秒 | Weblog
 選抜高校野球の決勝戦だったのに、初回しか見られなかった。そういえばいつも、選抜大会はあまりよく見ていないうちに終わってしまうような気がする。野球はピッチャーの出来にかかっている。『バッテリー』という小説はピッチャーとキャッチャーの友情物語らしい。というのも、孫娘が読みたいというので、全6巻揃えて買ったけれど、私自身はまだ読んでいない。「うん、結構おもしろいから読んだら」と孫娘は言うが、なかなか意欲が湧いてこない。先にテレビで放映された映画の方を見て、なんとなくわかったような気になってしまったからだ。

 選抜大会で印象に残ったのは、延長戦になった長野日大と千葉経大付の試合だ。3回までに7対0と大きく千葉がリードしていた。たとえ1点や2点取られても勝ちは目に見えていると思っていた。ところが4回から長野のピッチャーに元の勢いが戻ってきた。全く追加点が取れない。長野の方は7回に5点を奪い1点差に詰め寄った。そして8回にはとうとう同点となり、そのまま延長戦へ。こんな展開になるとは予想もしなかった。野球は筋書きのないドラマと言うが、まさにそんな試合だった。どちらが勝ってもおかしくない。どちらにも勝たせてあげたい。

 勝負は「ツキ」なのかもしれないし、「気迫」なのかもしれない。今日の決勝戦は終わってみれば沖縄尚学が埼玉聖望学園を9対0で下していた。初回にいきなり3塁打を打たれ、なお悪いことに暴投で1点が入ってしまった。完封もしてきたピッチャーがここに来て動揺したのだと思う。私の数少ない経験だが、小学校の時、ソフトボールだったのか軟式野球だったのか、その記憶すら定かではないが、私はピッチャーをしていた。バッタ、バッタ、と三振が取れるくらいに好投していた。翌日も試合があり、昨日に続いて好投できるものと思っていたのに、ストライクが入らない。焦った。焦れば焦るほどますますうまくいかなくて、結局大差で負けた。

 気持ちというものは全く微妙なものだ。できると自信を持てば、すいすいといくことも、いったん自信を無くすとなかなか取り返すのは難しい。何でもないことだと思い込もうとするのだけれど、どうしても以前の「できなかった」という意識が足を引っ張る。それを振り切れるのも多分ちょっとした「思いやり」であったり、「素直さ」であったりするような気がする。歳はとってもこの性は少しも直らない。情けないことだ。
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映画「潜水服は蝶の夢を見る」

2008年04月03日 20時31分24秒 | Weblog
 映画『潜水服は蝶の夢を見る』を観た。潜水服と蝶との組み合わせがなんとも不思議な気がした。主人公は身体を動かすことができないから、なんとなく潜水服は結びつく気がしたが、蝶は何を指すのだろうと思った。映画の舞台はフランスで、フランス人監督はしかも画家だと解説にあったから、これはどうやらロートレアモンの『マルドロールの歌』にあり、シュールリアリストたちが好んだ、「ミシンと雨傘とが解剖台の上で、はからずも落ち合ったように美しい」が下敷きにあるように思った。しかし映画を観て、この推察は間違いだったかなと思った。

 映画の前半、3分の1くらいは一人称で描かれている。つまり主人公の唯一動く左目で見える光景がスクリーンに映し出される方法だ。カメラのレンズが主人公の目という撮影方法は、以前にも見たことがあるが、この映画は身体の中で唯一動かせる目であるから、そのリアルさが強調されていて、このまま最後までこんな風に映写されるのはつらいなと感じた。私たちの目は180度近い広い視野なのに、カメラのレンズはそこまでの広がりがない。それを片目という矮小化された世界に置き換えるから、息苦しいほどの狭い世界になってしまう。

 潜水服は、自分の身体なのに自分の身体ではない状況をよく表している。主人公は雑誌「ELLE」の編集者で、自由で放縦な人生を送ってきた。3人の子どもがいるが正式には結婚していないようだ。けれども、彼は子どもたちのもとに通ってくる。その子どもと一緒に新車で出かける途中で、脳の障害で倒れ、何週間も昏睡状態となった。気がついたところからこの映画は始まった。頭は以前と同じように働くのに、身体は全く動かせない。唯一左目だけが動かすことができた。言語療法士の指導で、まばたきで文字を拾い、やがてこの体験を本にまでしてしまう。

 映画評の中に「ユーモアを忘れず前向きに生きる男の感動作だ」というものがあったけれど、そんな風に見た人もいたのだろうが、私はそんな風に感動できなかった。それは多分、映画の作り方が淡々としていたからだと思う。彼は絶望した。死にたいと思ったはずだ。こんな身体で生きていても仕方がないと考えたであろう。けれども、どんなに嘆いても自分では死ぬこともできない。栄養は補給され、「まるで赤ん坊のように」お風呂にも入れられ、「生かされている」。生かされているのだから、自分と他とをつなぐ唯一の手段である「まばたき」が生き甲斐にならざるを得ない。その「まばたき」で本まで作ってしまうところが一般人と違うところだろう。

 絶望の淵で彼が見たものは、自由に天空を舞う「蝶」だ。彼の頭の中は、過去の記憶と自由な想像の世界があった。彼は恋人と出かけた旅のことや、「お前と同じように女を泣かせた」と言う父親のことや、華やかな職場での生き生きとしたやり取りを思い出す。見舞いに見た子どもたちが浜辺で戯れる様子、彼女のスカートがめくりあがりその奥が見えそうになるのを追う、言語療法士の女性をいい女だと顔から胸元へと視線(カメラ)が注がれる。どんな状態になっても男は男なんだと当たり前のことを思う。

 浅田次郎や東野圭吾の原作なら、こんな風には描かなかったであろう。日本人の映画監督で今どんな人がいるのかよく知らないが、おそらくもっと泣かせる映画にしたのではなかろうか。撮影監督はスピルバーグ作品でおなじみのヤヌス・カミンスキーとあった。なるほど映像が日本人の感覚にないものだと感じた原因がわかった。『クロワッサンプレミアム』の4月号に、上野千鶴子さんがこの映画について評論を載せているそうだ。ぜひ、読んでみようと思っている。
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長女3人

2008年04月02日 23時10分25秒 | Weblog
 女3人は長女である。長女というのは細かな気遣いをするより、むしろデーンと構えているようだ。孫娘とテレビを見ていた時、私がブツブツ言うのがよほど頭にきたようで、「パパちゃんは本当にうるさい。テレビを見ている時は黙っていて!」と言う。すると長女が「べらべらしゃべる男は価値が下がるわね」とたたみかけてきた。

 アレ!?長女が好きになる男はどの人もよくしゃべるのに。それでみんな男の価値を下げてしまったのかと皮肉の一つも言いたくなったが、ここは我慢した。長女は自分を女王様のように奉ってくれる男が好きなようだった。いつも注目されるような存在だったのだろうか。走るのは速かったから、運動会では確かに目立ったが、教室の中でも何かにつけて、目に付く存在だったかもしれない。

 孫娘が「男はここぞと言う時に、しゃべればいいの!」と言うので、みんなでドッと笑った。そうか、肝心な時に気の利いたことをズバッと言うのが男の役目というわけか。でもね、男だってそんなにいつもいつも的確な判断ができることはないし、ましてや気の利いた言葉がすぐには出てこない時だってあるよ。

 「だいたいパパはKYなんだから、そらね、こんな時でもメモを取ろうとするんだから」と長女が言い、またみんなで大笑いになった。今、こうして文章を起こそうとすると、何もたいしたことではなかったんだと思うけれど、この時は、「へえー、なかなか面白いことを言うなあー」と思ったので、メモをしてみたのだ。この時、長女が「それで、このメモ読めるの?」と言っていたように記憶しているが、読み返してみるとよくわからない文字もある。

 酔っ払って、ゲラゲラ大笑いして、メモったものだから、笑いの原因がどこだったのかが捕まえきれていないのだ。私が「長女3人に囲まれ、男はつらいね」と言ったら、孫娘は「女もつらいのよ。男がうるさいから」と見事に切り返してきた。「そうか、女もつらいのか」と私が言うと、「そう、人生いろいろ」と言うので、また大笑いになった。

 孫娘は新学期が始まれば中学2年生となる。生徒会の役員に当選し、ますます多忙な日々を送ることになるだろう。最近、なぜか大人っぽくなってきた。背丈は相変わらず伸び悩み、彼女自身が言うように「チビでデブ」のままだけれど、大人の女の雰囲気が漂うようになってきた。
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ママに恋人

2008年04月01日 20時26分40秒 | Weblog
 エープリルフールです。

 智子は、夕食が終わった後、みんなが見ていたテレビを一方的に切ると、「ちょっと聞いてもらいたいことがあるの」と言った。その顔は少し緊張していたが、強い決意を表すようでもあった。「あのね、私、好きな人ができたの。その人が恋して恋しくて、仕方がないの」。思い詰めていたものを、とうとう吐き出してしまった。

 言わなければ、夫にも子どもたちにも隠し続けてこられたのに、なぜ口に出してしまったのか、自分でもわからなかった。胸のつかえは日毎に大きくなり、自分の力では抑えられなくなってきていた。夫はカッとなって殴るだろうか。結婚して25年、小さな喧嘩はあったけれど、怒鳴ることも手を上げたことも、一度もなかった。子どもたちは、陽気でドジな母親をむしろ優しい目で見ていてくれたのに、裏切り者と罵るだろうか。

 そう思うと、何か弁解しなくてはと考えてしまった。「あのね、別に何か不満があるわけじゃないの。毎日、お洗濯して、お掃除して、洗濯物をたたんで、お料理を作って、庭の手入れをして、チビと散歩に出かけて、そんな毎日に不満があるわけじゃないわよ。貴方は優しいし、みんなもそれなりに頑張ってくれているし、だから何も不満はないの。ただ、あの人に出会って、話をしていたら、なぜか心がウキウキしたのよ。そのうちドキドキするようになって、恋しくて仕方なくなってしまったの」。智子は正直に自分の胸のうちを話した。ウソではなかった。十代の子どもと同じだった。

 智子の告白は余りに衝撃的だった。誰も何を言っていいのかわからなくなっていた。怒鳴り声や泣き声が怒涛のようにやってくるのか。にぎやかな団欒は修羅場に変わるのか。沈黙を破ったのは俊夫だった。しかしその声は穏やかで優しい響きがあった。「ママに好きな人ができたのに、夫のぼくが許すというのはヘンかも知れないが、いいよ、許すよ。ママは初恋の人。やっと手に入れた人だから、他の人には渡したくない。だから浮気はしてもいいが、離婚はダメだ」。

 20歳になる長男が「ママは一途だから、今は周りが見えなくなっているのさ。パパがいいと言うんだから恋してもいいよ。オレも許す。最近のママ、ちょっときれいだし、優しいし、女っぽくなったのは恋していたからか。それ、いいじゃん、最高だよ」。高校2年の長女は「ママは家にばかりいて、世間を知らないと思っていたけれど、やるじゃん。私も賛成。ただし、パパが言うように、離婚をしないことが条件よ」。一番下の中学3年の次女は「へえー、そうなんだ。ママは口やかましくて世間体ばかり気にするから、絶対恋なんかできない人だと思っていたけれど、見直した。ママのハートを射止めた人がどんな人か、一度ぜひ会ってみたいな」。

 「それはやめておこう。ママも決して今後は口にしないようにね。ぼくにも子どもたちにもこれまでと全く変わらないママでいてくれ。それなら、家族みんな、ママの恋を許すよ」と俊夫が結んだ。予想もしていなかったとんでもない結末に、智子は少々動揺した。

 これから本気で恋人探しをしてみようかしら。なんとなくウキウキした気持ちが湧き上がってきた。
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