友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

暑い、暑い、本当に暑い

2010年07月20日 21時49分32秒 | Weblog
 炎天下での作業が3日間続き、さすがに疲れた。依頼主は熱中症にならないようにと冷たい水を用意し、何度も飲ませてくれる。ありがたいけれど、みんなちょっと飲みすぎて「お腹がガバガバになってしまった」と笑い合う。笑えるうちはまだいい。黙ってしまうことのないように、馬鹿話が飛び交うが、この暑さの中ではどうしても口数は少なくなってしまう。

 年寄りは思い込みと度忘れが著しい。電気の切り替えボックスの取り付けについて、私は合点がいかなかったので、「これは取り付けが反対になっているのでは?」と設計者に言ってしまったが、逆に「そんなことはない。間違っているのはあんたの方だ」と叱られてしまった。よく聞けば、確かに私の間違いで、「絶対にこうなっているはずだ」と思い込んでいたための間違いだった。

 その設計者が電動ドリルの器具が「見当たらない」と言う。彼がその器具を使って、ドリルの刃を取り替えて私に渡してくれたから、器具を使ったのは確かである。「ポケットにでも入っていませんか?」と聞いてみたが、「ポケットは狭くて入らん」と言う。それでみんなで探してみたけれど見つからない。「もう一度、ポケットを見てみたら」と誰かが言った。「ポケットなんぞに入っているはずがない」と言いながら、ポケットの中をみんなの前に全部出した。やはり器具は入っていた。

 「この頃、本当に物忘れが激しくて困ったものだ」と彼は言う。私たちの仲間では最長老だが、いつも元気で探究心は旺盛、設計屋らしく木目細かい。「どこに何を置いたのか、そんなことは年のせいじゃあないですよ。若くても年取っていても、多かれ少なかれ、みんなそうですよ」と慰める人もいる。「ワシなんか、家に帰ってもオカアに『あんた、だれ?』と言われとる。ワシも『オマエは誰だった?』と言うと、『知らん人だけど、まあいいかーな』と言う。ほんなもんだぜ」と言う人もいる。「それじゃー毎晩、初夜みたいなもんだね」と茶々が入る。

 大韓航空爆破事件の実行犯であるキム・ヒョンヒが来日し、軽井沢の鳩山前首相の別荘で、拉致被害の家族と面談している。私は、キム・ヒョンヒは当然死刑になっていると思っていたが、韓国では特赦を受けて、刑務所ではないところで、しかも結婚して暮らしていると聞いてビックリした。韓国にとってキム・ヒョンヒはそれほど利用価値があるとは思わなかった。それになのに、どうして彼女は日本へやって来たのか、その目的もよくわからない。キム・ヒョンヒは48歳になるという。すると24年間も彼女は何を思い、何を考えて生きてきたのだろう。

 そのキム・ヒョンヒも後20年もすれば、あれはどこに置いたのか、何のためにここに来たのか、昨日の夜は何を食べたのか、すっかり忘れているのだろう。人は忘れるからいいのだと聞いたこともある。嫌なこともひょっとしていいことも忘れて、今日よりも明日はもっといいことがあると思って生きていける。私は、孔子は古臭いと思い込んでいたけれど、なかなか面白いことを言っている。「成事は説かず。遂事は諌めず。既往は咎めず」は孔子の言葉だ。「やっちゃったことは仕方がない。すんでしまったことを責めてもしょうがない。終わったことにくよくよしてもはじまらない」という意味である。なるほどと思うのは私だけだろうか。
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炎天下の一日に

2010年07月19日 21時18分01秒 | Weblog
 暑い。午前中に終わるだろうと思っていた作業が午後まで続いた。昨日同様に午後3時ごろになって一段落した。暑い。頭から顔から、汗が流れ出してくる。熱中症にならないように、水分補給をと依頼主さんが気を遣う。市営プールから子どもたちのキャーキャーという叫び声が聞こえてくる。隣の児童公園では、何組かの子どもたちがこの炎天下で走り回っている。大人は暑さでヘトヘトなのに、本当に子どもは元気だ。子どもは暑さなど気にならないのだろうか。

 暑さの中でも、スポーツに熱中している人たちもいる。高校野球は各地で予選が行なわれ、汗まみれ砂まみれで頑張っているし、小学校の運動場でもサッカーの試合が行なわれていた。高校1年の孫娘は水泳部だから、学校のプールは屋外型だけれど、部活ではない水泳練習はこれまでどおりスイミングスクールへ通っている。それも朝と夕の2回泳ぐ。いくら室内とはいえ体力の消耗は大きいだろう。よくやるねえーと感心する。その孫娘に「成績はどうだった?」と聞くと、「数学はいいけど、国語がダメだった」と言う。私とは真反対の答えだ。

 長女の一家は新聞を購読していない。やはり新しい世代である。情報はパソコンやケイタイで私よりも早く正確にしかも大量に入手している。新聞がなくなる時代が来るのではないか、新聞関係の人たちが心配していた前兆なのかもしれない。だから、孫娘の場合は当然だけれど、文字を読む量は少なくなっている。ケイタイでのやり取りは同世代が多いわけだから、同世代言葉は見ることがあっても、大人の言葉に接する機会は少ない。「国語の力はとにかく読むことだよ。新聞が一番いいとは思うけど、あなたが好きな小説でもいいから本をたくさん読む、これが一番だね」と言うのだが、孫娘がどこまでやるかは疑問だ。

 それならと、私が孫娘に読ませたい新聞記事を切抜き、今、ファイルしている。孫娘が読むか否かは彼女が決めればいい。少なくとも人は何かのきっかけがないとなかなか動くことは出来ない。高校1年の時、新聞部に在籍していた。上級生で記事を書く人がいなかったので、1年生なのに記事を書き、割付をし、印刷会社に入稿していた。けれども学校新聞では書く記事にも限界があった。一般新聞の「読者の広場」に投稿した。その内容は「高校は予備校化している」というものだった。記事は採用され、新聞社から図書券が送られてきた。自分の書いたものが一般新聞に載ったのはよかったけれど、生徒会の先生からは嫌味を言われた。

 文章を書くことは好きになった。文芸部の友だちに誘われて、詩や小説のようなものも書いた。新聞は客観性に縛られるけれど、詩や小説は主観的でかまわないので、当時好きだった女の子への気持ちを伝える手段として書いた。国語の先生は「こんなものはダメだ」と言う。新聞記事は書けても文芸作品は書けないと思ったが、私の父は「面白いじゃないか」と言ってくれた。私の目は社会に向いていたので、生きていることに関心はあったけれど、新聞記者になりたいとは思ったが、小説家になりたいとは思わなかった。

 孫娘は何に関心があるのだろう。彼女が好きなことができるために、私は何ができるのだろう。
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心の欲するところに従う

2010年07月18日 19時41分56秒 | Weblog
 庭の樹木に、定期的に水遣りができるようにして欲しいと言う。1メートルほどの高さに水槽を置き、ここに井戸水を入れて、その水圧で庭にめぐらせた配管から散水できるように設計する。今日の午前中は、水槽を載せる土台作りである。庭の一角を掘り、整地して、ブロックを積むために基礎のコンクリートを打つ。そしてブロックを積み上げていく。午前中はまだ曇り空だったから、作業するのには助かった。ブロックは5段積みにするのだが、今日は2段までとした。急いでやって傾いてはアカンという設計者の指示である。

 私たちのような金儲けを目的としていないがために、時間のかかる作業を依頼主も大きな気持ちで見守っていてくれる。今日の依頼主は長靴を履き、汚れてもよいような服装で迎えてくれたから、本当は私たちと一緒に作業がしたかったのかも知れない。依頼主は昭和17年生まれと言うから、今年68歳である。一生懸命に働いてきて、店は息子が継いでくれた。これからは自分が楽しむことをしてもよいのではないかと、庭を造り、野菜を育て、「工作ができる作業場を作りたい」と話す。

 孔子も「50にして天命を知る。60にして人の言うことを素直に聞けるようになった。70にして心の欲するところに従う」と人生を振り返っている。年を重ねれば当然にも丸くなる。他人の言うことを受け入れる幅が生まれてくる。だから、心の欲することをやっていきなさいと言ったのだと思う。孔子はこの後に「矩を踰えず」と言ってるので、好きなことをやっても規範を踏み出すことはないだろうというのだろう。規範に囚われることなく、欲することをしてみればよいと私は思う。

 昨日の朝日新聞に、高齢出産の特集記事があった。いくら子どもが欲しいといっても、高齢で出産するのはリスクが大きいだろう。40代で出産したなら、子どもが成人式を迎える前に自分が定年を迎えることになる。意味は違うが、「40にして惑わず」である。子どもがいることだけが幸せではないはずだ。幸せの形は無限大だと思うが、その記事の隣に「それは愛なの?」という囲み記事があった。

 好きな人が「今どこにいる?何している?」と聞くのは、私を好きだからだと思っていた。一緒に暮らし始めると、家に閉じ込められ、携帯電話もパソコンも使えなくなり、外とのつながりは彼を通してしかできない。時には暴力を振るわれ、オマエが悪いと責められる。暴力がない時は優しく頼りがいのある人なので、私が悪いところを直せばきっと優しくしてくれる。そう思って耐えてきたけれど、心も身体も傷だらけになっていた。そんなDVが載っていた。

 愛の形も幸せの形も無限大だと思うけれど、「これって本当の愛?」とどうして考えなかったのだろう。愛も幸せもつくっていくものだ。やはり、20代や30代では未熟ということか。そうなると私たちは俄然勢いづく。「心の欲するところに従うぞ!」。
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梅雨が明けたようだ

2010年07月17日 22時52分10秒 | Weblog
 梅雨が明けたのだろうか、さわやかな日差しが戻ってきた。日中は汗ばむほどであったけれど、夜になると涼しいと感じる風がさわさわと吹いてきた。雷が鳴り、突然の雨が降り注ぐと、いよいよ梅雨明けだと子どもの頃は思っていた。最近は少し様相が変わってきたけれど、それでもいよいよ本格的な夏がやってくることは間違いないだろう。

 何度も書いたけれど、夏休みは苦手だった。宿題が出来ないのだ。高学年になれば当然にも失敗しないぞと言う自意識が働くようになる。にもかかわらず、相変わらず夏休みの終盤になると宿題や課題が残っていた。今年こそは計画を立てて、キチンとやるぞと夏休みが始まる時は決意するのに、どういうわけか出来なかった。中学3年生の時はもう諦めた。

 そもそも、夏休みに宿題や課題を出すこと事態が間違っている。夏休みがあるのは、学校では出来ないことをやりなさいということなのに、なぜわざわざ宿題や課題を出すのか、これでは子どもたちが夏休みだから出来ることに挑戦できなくしている。そういう大人が悪いのであって、自分は課題や宿題に束縛されることはないと、全くわけの分からないようなヘリクツを考え、これに従った。

 9月になって新学期が始まり、担任は当然にも宿題や課題の提出を求めた。私は一切やらなかったことを担任に告げた。担任は一瞬戸惑ったけれど、「そうか」と言って、それ以後は何も言わなかった。あの時、担任は何を思ったのだろう。1年前の中学2年の時、転校していった女の子に呼び出されて、その子から縦笛をもらったが、その時、たまたま同じ中学校の先生に目撃され、翌日は職員室に呼び出された。

 私の担任はそんなことに目くじらを立てることはしなかったのに、女の子の担任であった先生(その先生が3年生の担任である)は、無茶苦茶に感情的で何としてでも許さないという雰囲気だった。それからどうなったのか、今ではすっかり忘れてしまったけれど、不良のように言われたことだけはよく覚えている。中学時代から日記は書いているので、探せばこの日の出来事もどこかに書いているかもしれない。

 そんな風に厳しい先生だったのに、夏休みの宿題も課題もやらなかったことに対して一言の注意もなかった。1年の時に担任だったという女の子は、先生の余りの横暴さや暴力的な立ち振る舞いに恐怖を感じ、母親に頼んで担任を変えてくれるように校長に話してもらったと言っていた。私が始めて担任として先生と接してみた時は、そんな風に嫌な先生ではなかった。確かに熱血漢ではあったけれど、思いやりは深く、子どもたちのひとりひとりをよく見ている先生だった。

 私が教師になってもいいかと思ったのは、この中学3年の時の担任によるところが大きい。自分が教師になってみると、担任だった先生と全く同じことをやっていた。先生はもういないけれど、私が宿題や課題を出さなかった時、先生は何を考えてみえたのだろうと思う時がある。
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予想していたことが起きた時は悲劇だ

2010年07月16日 22時48分37秒 | Weblog
 予期しないことが起こればパニックになる。岐阜県可児市で洪水に見舞われた人たちも何が起きたのかと驚いたことだろう。確かに強く雨が降っていた。前の車両に続いて車を運転していたのに、突然に事態は一変した。車はどっと溢れてきた水にたちまち包まれ、慌てて外に出ることができたけれど、もうその時は何も掴まるものがなかった。あっという間に車は浮き上がり、水田へ流されてしまった。家の中にいた人も、一瞬のうちに土砂が流れ込んできて、どうすることもできなかった。

 予期しない出来事に対して、冷静に判断できるようにと、人々はあらかじめ予想を立てて訓練を行なう。それでも実際に直面すると、なかなか正確な判断は難しいようだ。参院選挙での敗北を民主党も予想はしていただろう。そのための対策や配置も行なっていたはずだ。けれども予想をはるかに超えてしまうと、冷静な判断ができなくなってしまう人がいる。組織のトップあるいは上層部にいる人は、予期しない事態が生まれた時に、的確な判断が下せる人でなくてはならない。民主党を見ていると以外に人材不足なのだなと思う。

 自民党で参院選挙に当選してきた人は、「自民党を変えなきゃいかん」とか「昔のままの自民党でいい訳がない」と、選挙中はあからさまに自民党批判していた。小泉純一郎さんが「自民党をぶっ壊す」と発言して多くの支持を得たように、金にまみれた自民党ではダメだというのが国民の思いだ。だからこそ、民主党の小沢一郎さんが後援会の金の問題で「悪いことは一切していない」と言った時、やっぱり民主党も自民党と同じかと思ったのだ。そのことを何も明らかにしない民主党に嫌気が差したから、今回の選挙で民主党に票を入れるのをやめた。

 予想もしなかったことが起きた時、人はパニックになるが、予想していたことが起きた時は情けないくらいな悲劇だと思う。そんな予感はあった。なぜか分からないけれど、そんなことが起きそうな気がしていた。その時になると、やはり気負いすぎていたのか、予想していた事態が生まれてしまった。自分でもそんな不安が前の日からあったので、万全を期して望んだつもりでいた。けれども、こんな風に気負いすぎた時は以外にダメなものだと、これまでの経験からわかっていたはずなのに、またやってしまった。

 幸いなことは、「馬鹿ね!何にやっているの!」と言われなかったことだ。「いろんな時があるのよね」と優しく諭すように言われて、自分の失敗が非難されずにすんだ時、これほどの救いはないと思う。準備が足りなくて失敗したならばそれは自業自得というものだが、いろいろ手を尽くした、むしろ手を尽くし過ぎたことが結果的には失敗を生んだのかもしれない。それを分かって、「焦ることはない」と慰めてくれるくらい優しいことはない。

 人生は面白い。明日は今日よりももっといいと考えるなら、これからも捨てたものではない。今日よりも明日はさらに素敵な一日になるだろう。
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名演『五重塔』

2010年07月15日 21時27分40秒 | Weblog
 名演の前進座による『五重塔』は、幸田露伴の原作を脚色したものだったが、露伴の小説は高校時代に読んではいたけど、実は余り覚えていない。確か、台風が来ても塔は倒れなかったという程度の記憶しかない。小説のテーマは男の生き様に触れるものだったのかと、芝居を観て知ったという情けなさである。小説から受けた印象と昨日の前進座の出し物とはちょっと違うような気がしたけれど、それは50年の年月の差が大きいためかもしれない。

 川越の大工の棟梁の源太は、谷中感応寺の五重塔建立の話を聞き、自分がやらなくてはならない気持ちでいた。そこに、源太のところで働く渡り大工の十兵衛が、あろうことか上人に直接、五重塔を自分に建てさせてくれと申し入れてくる。当然、源太は怒る。上人は「ふたりでよく話し合って決めなさい」と言う。源太は十兵衛が並々ならない気持ちで五重塔を建てたいと考えていることを知り、「一緒にやろう」と申し入れる。初めは「オレが主でオマエが添えで」と提案するが、十兵衛はウンと言わない。それならばと「オマエが主でオレが添えで」と妥協案を示すが、それでも十兵衛は承知しない。

 話し合いは決裂したが、十兵衛が辞退したと聞いた源太は「負けた」と言い、上人に「あなた様が決めてください」と申し入れる。上人は十兵衛に五重塔の建立を依頼する。十兵衛に決まったことを祝して、源太は十兵衛を料理屋へ招いて協力を申し出る。源太は先祖から預かる五重塔にかかわる全ての資料を十兵衛に渡そうとする。すると、十兵衛はこれを拒否する。源太は「中身も見ずにいらないとは」と怒り、再びふたりは決裂する。最後には、ふたりの思いが合い通じて五重塔は完成し、上人はふたりの名を記した札を塔に掲げるようにと言う。

 こんな話だけれど、十兵衛がなぜ2度も棟梁の思いやりを拒否するところがよくわからないが、同時にここがこの物語の中心課題だろう。初めは、「一緒にやろう」という提案だが、十兵衛に言わせれば、それでは自分が考案した工作法は受け入れられないだろうというものだった。それはそうかもしれないと納得できたが、2度目の五重塔に関する資料の受け取りを拒否するところは理解に苦しむ。源太も「普通の人間はありがとうございますと受け取るものだ」と言うが、その通りだろう。受け取ってもそれで自分の工法を変える必要はないし、むしろ工法を裏付けることにもなるはずだが、十兵衛は受け入れない。

 これほどまでにかたくなになる必要があるのかと思ったけれど、おそらくそうしないと自分のすべてが壊れてしまうと十兵衛は思うのだろう。確かに男の決意の中には、まあいいやという部分とこれを受け入れたなら全てが変わってしまうと危惧する部分がある。源太は懐の深い棟梁で、思いっきりもいい。それに対して十兵衛はなんとも自分勝手で要領を得ない男だ。観客としては源太に引かれつつ、十兵衛のような世渡りの下手な男に共鳴もするのだ。

 古臭い演劇だったけれど、泣かせてくれたから、まあよかったことにしよう。
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雨降りと私たちの美意識

2010年07月14日 15時05分09秒 | Weblog
 シトシト降る雨の音を聞いていると、日本人の美意識っていいなと思う。けばけばしい派手さはないけれど、しっとりとした色合いや音階を好む。仏教や中国の古代思想が日本に伝わって来て、日本人はこれを自分たち流に解釈し、そればかりかむしろ昇華させたと思う。釈迦や孔子の言葉を元に、深みと高みを加え、思想化していった。

 日本の伝統芸能といわれる能や歌舞伎、雅楽や囃子や民謡は、よくわからないのにしっくりとなじむものがある。高校の教員になったばかりの頃、男子が圧倒的に多いこの学校で、できたばかりの体育館に生徒を集めて能を見せたことがあった。あの悪ガキどもはきっと、ブーブー言って落ち着いて舞台を観ることはないだろうと思って、生徒たちの後に立っていた。

 初めは確かにざわついていたが、そのうちシーンと静まり返っていた。生徒を見ると、舞台の役者の一挙一動に釘付けになっている。人の心を捉えるということはこういうことかと思った。怒鳴りつけたり、時には叩いたり、あるいは脅して授業を引っ張ろうとする先生がいる。それは自分に力がないのだ。能の役者のように、ほとんど何も語らなくてもその動作だけで、観るものを従えてしまうような先生こそが力のあると納得した。

 この四季折々の中で、暑いとか寒いとか言いながらも、何か共有する感覚のようなものが私たちにはあり、だから、よくわからない能舞台を始めて見た者ですら、なんとなく惹きつけられてしまうのだろう。日本の古い町並みや木と石の複雑なようで単純な配置の庭を見ても、なんとなく懐かしさを覚えるのもそんな感性が働くせいなのかもしれない。

 いつだったかパソコンに、題名は忘れてしまったけれど、「そんなに草食系を叩いてなんになるのですか」といった内容の記事があった。会社を愛していないとか、恋愛を怖がっているとか、草食系といわれる男の子たちが槍玉に挙げられることは多い。それに対する反論だが、なかなかいいことを言うねえと私は思った。いつの時代も年寄りから見れば若者は物足りなくて、批判の的となる。若者たちを批判しているおじさんたちも若い頃は、お年寄りに自分勝手な連中だとか常識が足りないとか、言われてきた。

 若者たちは批判している世代の子供かあるいは孫に近いかもしれない。オヤジたちが生み育ててきた若者たちなのだ。だから若者はオヤジたちの鏡というか、ある意味では分身と見てもいいはずだ。鏡や分身と思うからこそ、つい叱咤激励が飛ぶのかもしれない。まあ、こんな風にして親から子へ、世代から世代へと受けつながれていくのだろう。今日は名演で、前進座の『五重塔』である。久しぶりの時代劇だが、どんな芝居なのだろう。人情もの?前進座の芝居は今ひとつ面白くないけれど、今日はどうかなー。
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夢の中へ

2010年07月13日 21時19分02秒 | Weblog
 雨がよく降っている。おかげで、井戸掘りは出来ないし、鉢植えの木々や草花に水をやらなくてもいい。犬好きな人に聞いたら、こういう雨の日は犬も散歩に行くのを嫌がるようだ。雨音を聞きながら本を読んでいたら、いつの間にか眠ってしまった。夏目漱石なら、夢の話を10編も書けるのだろうけれど、私は夢を見てもすぐに忘れてしまう。最近は夢も見ないので、これは健康な証拠なのか、不幸なことなのかと考えてしまう。

 私が草花に水をやっていると、大きなヒヨドリがやってきて、ランタナの実を啄ばみ始めた。そのうちにパッと飛び立ち、青い空へと向かっていったが、その時に種が1粒落ちてきた。そこは丁度、これから植えつけようとしてきれいに整えた鉢の土の上だった。おや、その種は見る見るうちに苗木になり、そしてなぜか分からないけれど、クリーム色の花を咲かせるバラになった。そのバラの向こうに若い女性がいた。色白で細い目と細い首をしていた。小柄だがスタイルはよく、手足が細く長かった。

 「どうされましたか?」。私が声をかけると、その女性は相談に来たという。息子は大学を卒業して今は会社員だけれど、どうしても市会議員になりたいと言う、どうしたらよいでしょうというものだった。「どうするかは息子さんが決めるでしょう。会社を辞めて市会議員になったら困るのですか?当選できるか否か?それは本人次第ですよ」と答える。「どういう議員になりたいか、そのためにどういう選挙をするのか、息子さん自身が来られれば、私の知っていることは全てお話します」と話す。

 安心されたのか、少し柔和な顔になった。それがまた突然、厳しい顔つきになり、本当はダンナの暴力のため離婚したいのだと話し始めた。「そういう話なら、私よりも力になってくれる弁護士を紹介しましょう」と言うと、ぜひお願いしたいという。息子は政治家を目指し、お母さんは離婚か、これは大変だな。そう思っていると、またヒヨドリがやってきてピィーピィーと鳴いたので、窓の外を見た。すると目の前の若い女性はどこにもいない。そういえば、彼女はどこから来たのだろう。どこから来たのか分からないのだから、どこへ消えたのかも分からないのは当然かと納得した。

 話の中身、言葉の一つひとつは何も覚えていないのに、話し方はよく覚えているような気がした。それでもじゃあどんな口調だったかと思い出そうとするのだが、全く復唱できない。それで唯一覚えているのは、白い細い手足だった。手の形も足の形も美術室にある石膏ようにきれいな形だった。もし、あの時、私が自分の欲望に忠実であったなら、きっとあの手足に触っていたであろう。どうして勇気を出して、触ってみなかったのかと後悔した。

 触れてしまえば、それはおそらく現実の世界へ引き戻される。けれどもただ、遠くで眺めていたから、その女性は息子やダンナの話をしてくれたのだろう。夢と夢想と現実と、人はどこにいるのだろう。
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参院選挙の結果は当然だ

2010年07月12日 22時02分56秒 | Weblog
 菅直人首相はかなりショックを受けているようだ。消費税問題を前面に出し、そうすることで普天間も献金疑惑も吹っ飛んだ。そこまでは読んでいたかも知れないが、まさかこれほどまでの敗北になるとは思ってもいなかったのだろう。あわよくば、引き続いた政権で、消費税問題にも取り掛かろうと描いていたのかもしれない。「策士、策に溺れる」とはよく言ったものだ。民主党はこの惨敗をどうやって乗り越えるのだろうか。少なくとも誰か、安住か枝野か、重量級をいけにえにしなければ収拾はつかないだろう。

 民主党の惨敗の原因はハッキリしている。民主党に代わって票を得た「みんなの党」のスローガンに集約されている。「消費税を言う前にやるべきことがあるだろう!」。誰もがそう思った。菅さんが消費税に触れた時、「どうして消費税なのだ。もっとやるべきことがあるだろう。民主党はそう言ってきたのではないか」と思ったはずだ。事業仕分けは思ったほどの財源は生まなかったかもしれないが、これぞ政権交代の賜物だとみんなが思った。事業仕分けだけでなく、公務員のあり方や給与についても、メスを入れたならば、国民は納得できた。それも行なわずに、いきなり消費税を云々されたのでは不信感しか生まれないのは当たり前だ。

 選挙期間中でも、民主党の候補者の中には、「消費税の値上げには反対だ」と言う人もいた。菅首相は先走ったけれど、どうやら民主党の内部で十分な議論がされていないことが明白だ。党内討論が保障されないような政党は、民主的な政党とは言えない。民主党はダメだなと思った。公明党や共産党はもともと中央集権的な政党で、上意下達がハッキリしている。ところが民主党も小沢一郎前幹事長の意向の強さが党内の自由な議論を妨げてきたようだ。みんなが自由に自分の意見が言える、そういう政党でなければならない。

 選挙の結果を見ると、民主党へ投票していた無党派の人たちの多くが「みんなの党」に流れたが、それ以外にはそんなに大きな変化はないように思う。確かに共産党も社民党も支持が伸びない。公明党は横ばいで、議席は減らしてしまっている。「国民新党」や「立ちあがれ日本」や「新党改革」も立ち枯れ状態だ。こういう政党に国民は大きな期待を寄せていないということなのだろう。「みんなの党」の主張は分かり易く、だからこそ票を伸ばせたのだと思う。

 いずれにしてもこれからの政治はますます現実路線に向かうだろう。理想主義者の私にすれば、嫌な時代になりつつあるわけだけれど、「理想に向かって何が悪い」と言えるパワーと根拠が希薄になってきている。私は政治の目的は「理想に向かう」ことにあると思っている。健康でお金があれば自分でやっていける。けれども、それができない人を手助けすることは政治の役割である。だから政治にかかわる人は正義感が強く清貧に甘んじることができなければならない。

 中国の古い時代から、政治家の使命は論じられてきた。民主党をはじめとする政治家の皆さんにもう一度政治の役割について真摯に議論を重ねて欲しい。
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参議院選挙の速報が始まる前に

2010年07月11日 21時36分17秒 | Weblog
 参議院選挙の速報が始まる前に、ブログを立ち上げてしまうつもりだったのに、 WOWOWで映画『シンドラーのリスト』を観てしまい、その時間を失ってしまった。木曜日から「夏風邪を引いた」と言うカミさんは、寝てばかりいるので、晩ご飯の準備をしなければならず、結局テレビの開票速報が始まるところで、食事となった。今晩も私はお酒をたしなみ、「民主党は絶対に議席を減らす」と豪語していた。

 選挙結果はどうなるのかわからないけれど、民主党が議席を減らすことは確かであろう。菅直人首相が消費税の増税問題を選挙で取り上げたのは、普天間や政治と金の問題から目を逸らすためだと言われている。おそらくその通りだろうと私も思う。そしてさらに菅さんとしては、選挙に不利であったとしても消費税問題に真正面から取り組む姿勢を見せたかったのかもしれない。民主党は国会運営における安定多数を国民に訴えたけれど、国民からすればそんなことは大きな問題と考えなかったということだろう。

 サッカーW杯の3位決定戦で、ドイツは準決勝戦とはまるで違う戦いぶりであった。ウルグアイにかなり苦戦したけれど、スペイン戦のような守りの戦いではなかった。ドイツは攻めるサッカーに徹底し、確かにウルグアイと互角の戦いであったけれどこれを制することができたのだと思う。下馬評で評価の高かったブラジルは監督に対して辞めろコールが起こり、同じく評価の高かったアルゼンチンは決勝戦に進めなかったけれど、監督には温かなラブコールが寄せられていた。この違いは何だろうか。

 今度の選挙結果を受けて、菅首相に対する評価はどうなるだろう。すでに小沢一郎前幹事長のグループと言われる人たちからは、「責任を取って辞職すべきだ」という声が上がっているそうだ。これではまた自民党政権の時と同じ構造だ。私は、菅さんは選挙をよく知っていると思う。それであえて、消費税問題を前面に出したのだと思う。民主党が議席を大幅に減らすとしても、鳩山さんが居座って首相の座に留まるよりは犠牲を少なくできるはずだと読んだのだと思う。そういう意味でも、菅首相はなかなかしたたかな政治家である。

 人間の一番弱いところは、みんなと一緒になると怖いもの知らずになるということだろう。子どもたちが、わざわざそうするのではないだろうけれど、ターゲットを決めていじめるとみんながそれに従う。みんなでいじめていれば怖くない、と言うよりも、いじめる仲間の側にいなければ怖いということなのだろう。誰が何と言おうと、わが道を行くような人間はそんなにいない。連合赤軍事件がそれを見事に物語っている。群集心理は群集自身が自覚しないところで、巨大な力になって作用する。だからこそ止めようがない。

 個人で、ひとりでいられる、そんな人間にはなれないのだろうか。わがままとか自分勝手とか言われても、私はひとりでいられる人間でありたいと思う。
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