ここ一週間で印象に残ったのは、ノーベル平和賞とオリンピックでした。
ノーベル平和賞は、ノルウェーの国会が任命した5人の委員が選びノルウェーが授賞主体になるものとは初めて知りましたが、余り米・中・ロなどの大国の駆け引きとは縁がなさそうな北欧の小国が自由に発想するのだとすれば、なかなか面白い仕組みです。そして、就任後8ヶ月で、まだ“Yes, we can”と演説しただけのオバマ大統領が受賞したことには驚かされました。
もちろんアメリカ大統領が核兵器廃絶を訴えること自体が画期的ですし、単独行動主義で軍事力に訴えてきたブッシュ前大統領の後ですから、世間の耳目を集める効果は絶大でした。君子豹変す、ではないですが、アメリカという国のしなやかさ、底知れぬ力を見せ付けられた思いがしたものです。それにしても時期尚早という思いは誰もが抱いていることでしょう。結果として、オバマ大統領に箔がつき、今後の国際平和に向けたオバマ大統領の背中を後押しする一定の効果があります。ノルウェーの委員にそれほど政治的な狙いがあったとは思いませんが、元来、人間は政治的存在であり、その決断は政治性を帯びないものはないという意味で、無意識に今後3年間、二期目も入れると7年間のオバマ大統領の働きに賭けたものとは言えるでしょう。
また、2016年オリンピックは、リオデジャネイロ開催に決まりました。東京ももちろん健闘しました。「環境五輪」のコンセプトは悪くなかったですし、実際に四都市のショートリストにトップで残ったと言われ、もしここ2~3年内の開催であったら選ばれていたかもしれません。
世間では、こうしたコンセプトに頼る戦略は、IOC委員を納得させられるような「顔」と言える人物がいないことの裏がえしだとまことしやかに語られます。確かに他の三都市では国家元首が演説し、更にリオデジャネイロにはサッカーの王様ペレが、シカゴには白い妖精コマネチが駆けつけたのに比べると、日本は迫力に欠けたと言えなくもありません。石原都知事は皇太子ご夫妻のご出馬を要望したと言われ、宮内庁は招致活動が政治的要素が強いということで敬遠されたと言われますが、その実、国民の五輪開催への支持率が高ければご出馬しやすかったのではないかと観測されているのは、詰まるところ東京での二度目の開催を正当化できなかったことがそもそもの敗因だろうという分析です。私もそう思いますが、端的には、7年後のブラジル(要はブラジルの潜在力)に負けた、IOC委員は、初の南米大陸での開催ということも含めて、7年後のブラジルに賭けたのだと思います。
石原都知事は、今回のIOC決定に政治的な動きがあるとして非難しましたが、先ほども言った通り、人間はそもそも政治的な存在であり、石原都知事自身も政治的な意図をもってオリンピック招致を計画したわけです。それに対して、多くの日本人は乗ってこなかった。結果として7年後の日本に魅力がなかった事実は重いと思います。日本には、海外に比べてスポーツの価値や社会的意義が根づいていないと指摘するメディアもありましたが、それよりも日本人が7年後の日本に自信がもてなかったことの表れとは言えないでしょうか。既にそれなりに豊かで、もはや更に上を目指そうという覇気がなく、そこそこで満足し(ちょっとしたことで不満を漏らし)、7年後の将来像など描けない(あるいは今の延長でしか想像できない)、昨今の国民性が滲み出てはいないでしょうか。
上の写真は薄汚さも残るバンコク市街。発展のパワーを秘め、成長の潜在力を感じさせます。
ノーベル平和賞は、ノルウェーの国会が任命した5人の委員が選びノルウェーが授賞主体になるものとは初めて知りましたが、余り米・中・ロなどの大国の駆け引きとは縁がなさそうな北欧の小国が自由に発想するのだとすれば、なかなか面白い仕組みです。そして、就任後8ヶ月で、まだ“Yes, we can”と演説しただけのオバマ大統領が受賞したことには驚かされました。
もちろんアメリカ大統領が核兵器廃絶を訴えること自体が画期的ですし、単独行動主義で軍事力に訴えてきたブッシュ前大統領の後ですから、世間の耳目を集める効果は絶大でした。君子豹変す、ではないですが、アメリカという国のしなやかさ、底知れぬ力を見せ付けられた思いがしたものです。それにしても時期尚早という思いは誰もが抱いていることでしょう。結果として、オバマ大統領に箔がつき、今後の国際平和に向けたオバマ大統領の背中を後押しする一定の効果があります。ノルウェーの委員にそれほど政治的な狙いがあったとは思いませんが、元来、人間は政治的存在であり、その決断は政治性を帯びないものはないという意味で、無意識に今後3年間、二期目も入れると7年間のオバマ大統領の働きに賭けたものとは言えるでしょう。
また、2016年オリンピックは、リオデジャネイロ開催に決まりました。東京ももちろん健闘しました。「環境五輪」のコンセプトは悪くなかったですし、実際に四都市のショートリストにトップで残ったと言われ、もしここ2~3年内の開催であったら選ばれていたかもしれません。
世間では、こうしたコンセプトに頼る戦略は、IOC委員を納得させられるような「顔」と言える人物がいないことの裏がえしだとまことしやかに語られます。確かに他の三都市では国家元首が演説し、更にリオデジャネイロにはサッカーの王様ペレが、シカゴには白い妖精コマネチが駆けつけたのに比べると、日本は迫力に欠けたと言えなくもありません。石原都知事は皇太子ご夫妻のご出馬を要望したと言われ、宮内庁は招致活動が政治的要素が強いということで敬遠されたと言われますが、その実、国民の五輪開催への支持率が高ければご出馬しやすかったのではないかと観測されているのは、詰まるところ東京での二度目の開催を正当化できなかったことがそもそもの敗因だろうという分析です。私もそう思いますが、端的には、7年後のブラジル(要はブラジルの潜在力)に負けた、IOC委員は、初の南米大陸での開催ということも含めて、7年後のブラジルに賭けたのだと思います。
石原都知事は、今回のIOC決定に政治的な動きがあるとして非難しましたが、先ほども言った通り、人間はそもそも政治的な存在であり、石原都知事自身も政治的な意図をもってオリンピック招致を計画したわけです。それに対して、多くの日本人は乗ってこなかった。結果として7年後の日本に魅力がなかった事実は重いと思います。日本には、海外に比べてスポーツの価値や社会的意義が根づいていないと指摘するメディアもありましたが、それよりも日本人が7年後の日本に自信がもてなかったことの表れとは言えないでしょうか。既にそれなりに豊かで、もはや更に上を目指そうという覇気がなく、そこそこで満足し(ちょっとしたことで不満を漏らし)、7年後の将来像など描けない(あるいは今の延長でしか想像できない)、昨今の国民性が滲み出てはいないでしょうか。
上の写真は薄汚さも残るバンコク市街。発展のパワーを秘め、成長の潜在力を感じさせます。