風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

運動会

2009-10-20 00:56:08 | 日々の生活
 秋晴れの週末、地区コミュニティの運動会が開催されました。地元の町内会の役員の方が、引っ越して来たばかりの我が家を気遣ってお誘いの声を何度もかけて下さり、我が家も転入したばかりで町内会の役員を免除してもらっている手前、顔だけでも出した方が良いのではないかと家内が気遣うので、恥ずかしがる子供を連れて出かけて来ました。その実、家内も私も運動会と聞けば血が騒ぐほどの運動会好きで、町内会もそれを見抜いていたか、お弁当と引き換えに、待っていましたとばかりに欠員補充で競技に引っ張り出されてしまいました。
 私が子供の頃は、もっと賑やかで大掛かりだった気がするのは、運動場が当時はもっと広いと感じたように子供目線だったせいでしょうか。あるいは子供の頃に住んでいた地域に明治製菓やサンスターの工場があったお陰で一等賞や二等賞の景品が豪勢だったせいでしょうか。今では一等も二等もなく心ばかりの参加賞が貰えるだけで、どうにも力が入らないのは、単に景気が悪くなっただけのことで、まさか差をつけようとしない小学校の運動会の悪しき平等主義がここにも蔓延しているのではないと思いたい。
 私が子供の頃は、田舎から出てきたばかりの親が就職斡旋などで世話になった地元の名士の方が町内会長をやっていて、別に恩を着せていたわけではなかったと思いますが、断れないことは知っていて、トリの年代別リレーの若者が足りないと言っては、必ず運動会の前夜に、それが中学・高校時代の中間試験の真っ最中であろうが、大学受験の秋だろうが、お構いなしにお誘いのお電話を頂き、律儀にその時間帯だけは参加していたものでした。別に私の足が速かったからではなく、ただ頭数を揃えるだけだったのは、その町内会チームのアンカーがかつて国体で活躍した短距離選手で、圧倒的強さを誇り、彼の前に誰が走ろうとも、どんなに差をつけられていようとも、最後はごぼう抜きで一等を獲得していたことからも分かります。
 マレーシアやオーストラリアでも、スポーツ・デイと言って単一のスポーツ競技を楽しむ行事はありましたが、赤白二チームに分かれて、あるいは町内会毎に4つや5つものチームに分かれて、いろいろな競技で競い合うスタイルの組織化されたスポーツ行事は、日本だけのような気がします。普段は通りで会っても頭を下げるだけで滅多に会話を交わさないような近所の人とも、同じチームで盛りあがれば、近所の誼みも沸いて来ようというものです。日本の社会の地縁の強さを感じます。
 上の写真は、メルボルン郊外のフェアリー・ペンギンのパレードを見るツアーの看板です。写真撮影禁止だったためこの写真しか残っていませんが、日没後、何千もの小さいペンギンが海から揚がってきて、さながら運動会のように我先にとヨチヨチ巣に戻る愛らしさは、時の経つのも忘れるほどの神々しさでした。
コメント
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