想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

雨が語るプラゴミと自然への回帰

2025年01月26日 | エッセイ
コロナ6年1月26日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 6月のある日、にわか雨が突然降り始めました。そのタイミングで、私は川の方へ足を運んでみることにしました。雨は次第に激しさを増し、川の流れも濁り始めました。すると、川の中にゴミがちらほら流れてきたのが見えました。ペットボトルや袋などのプラスチックゴミ、紙くずなどが雨水に乗って川へ流れていく様子を目の当たりにしました。

 しばらく川を観察していると、流れてくるゴミの量は最初はどんどん増えましたが、時間が経つにつれ減っていくのが分かりました。これは雨が降り始めた時、地表に溜まっていたゴミが押し流され、川へ運ばれてしまうためです。言い換えれば、地表のゴミが雨水によって一掃され、川に集まった結果とも言えます。このゴミは最終的に海へ流れ着き、そこで新たな問題を引き起こすのです。

 海へ到達したプラスチックゴミは、太陽の光や波によってさらに小さく砕かれていきます。そして「マイクロプラスチック」となり、目には見えないほど小さな粒子へと変化します。これらは海の中で魚や貝などの海洋生物に取り込まれ、さらにその生物を食べた人間の体内にまで入り込むのです。研究によれば、マイクロプラスチックは血管の中にまで侵入する可能性があるとされています。このように、地表にあったゴミが巡り巡って私たちの健康にも影響を及ぼす時代が来ているのです。

 大量消費を前提とした現在の資本主義は行き詰まりを見せています。便利さを追求し、物を使い捨てにする暮らしは、長い目で見れば地球環境を破壊し、私たちの未来を脅かす結果につながります。このままではいけません。自然の循環を基本とした、新しい仕組みが必要です。それは「自然に帰る」ことを目指した資本主義とも言えるかもしれません。環境との調和を大切にした経済活動こそが、これからの時代に求められるのではないでしょうか。

 雨が教えてくれるゴミの流れを目の当たりにしながら、私たち一人ひとりができることを考えるべきだと改めて感じました。たとえば、使い捨てのプラスチックを減らし、持続可能な暮らしを意識すること。自然の循環を大切にした行動が、未来の地球を守る鍵になるのだと思います。
Viva nature!

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一点突破で前に進む

2025年01月25日 | エッセイ
コロナ6年1月25日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 物事を進めるとき、私は「1点突破」の考え方を大切にしています。全体を俯瞰して分析することは重要ですが、いざ行動に移すときには、焦点を1つに絞る必要があります。すべてを追おうとせず、「あれか、これか」を選び、ひたすらその選択にエネルギーを注ぎます。そうすることで初めて人は前に進むことができます。

 行動というのはエネルギーです。エネルギーは止まることなく、加速度を伴って動いていきます。その加速度が新しいものを生み出し、より進化した結果をもたらします。弁証法の発想でいえば、正と反、矛盾する要素を見つつ、その中から選び、1つの方向へエネルギーを集中させる必要があります。分析だけでは前進は生まれません。動き始めるには、選択と決断、そして行動力が必要です。

 物事を進めるには、まず方向を定めることが重要です。人生の選択でも同じです。俯瞰して全体を把握し、右も左も、上も下も見渡します。そして、分析の中で最も価値のある方向を見極めます。それが定まったら、あとは迷わず進むのです。1点突破で「これだ」と決めたら、その一点にエネルギーを注ぎ、加速度をつけて進みます。これが私の考える正しい進め方です。

 私はこれまで、この方法を意識しながら物事に取り組んできました。分析力や俯瞰する視点は大切ですが、それだけでは止まってしまいます。動き出し、新しいものを作り上げるためには、行動が欠かせません。そして、その行動には、集中したエネルギーと加速度が必要です。

 自分が進むべき方向を見極め、焦点を定め、あとは迷わず突き進む。このシンプルな考え方こそが、私にとっての指針です。
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フジテレビ株、ホリエモンが購入開始

2025年01月20日 | エッセイ
コロナ6年1月20日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 現在、中居さんの問題を巡ってフジテレビが大きな話題になっていますね。女性とのトラブルが発端のようですが、その背景にはフジテレビの企業体質も影響しているように感じます。最近ではスポンサーが次々と手を引いており、トヨタや日本生命といった大手企業もフジテレビへの協賛を見送っていると報道されています。このままではフジテレビの存続すら危ぶまれるのではないかと、そんな懸念を抱いています。

 そのような状況の中で、堀江貴文氏、通称「ホリエモン」がフジテレビの株を購入したという報道がありました。思い返せば、約20年前、堀江氏はラジオのニッポン放送の株を買い占め、フジテレビを自身の傘下に収めようと試みたことがありましたね。しかし、当時のフジテレビの経営陣から強い圧力を受け、結果として堀江氏は逮捕され、刑務所へ送られることとなりました。

 今回、堀江氏は再びフジテレビの株を取得し、6月の株主総会で意見を述べる意向だと聞きます。この状況を受けて、私はぜひ堀江氏にフジテレビを再建してもらいたいと思っています。既存のテレビメディアは「オールドメディア」としての位置づけになりつつあり、インターネットを基盤とした情報発信の方が影響力を増しています。しかし、オールドメディアにはスポンサーの意向が絡むため、スポンサーにとって都合の悪い事実は報道されないことが多いのが現状です。そのため、メディアによって世論が操作され、真実が隠されてしまうケースが少なくありません。

 こうした時代だからこそ、新しい風を吹き込む存在として堀江氏のような人物が必要ではないでしょうか。堀江氏がフジテレビの経営を担い、既存のテレビの枠を超えたニューメディア的な役割を果たしてくれることを期待します。例えば、現在YouTubeやX(旧Twitter)、Instagramで行われているような自由な発信を、フジテレビという媒体を通じて実現することができれば、オールドメディアも新たな価値を見出せるはずです。

 また、最近のジャニーズ事務所の問題も長らく隠されてきました。これもメディアが真実を操作していた例の一つと言えるでしょう。私たち国民はその影響を受け、騙されていたわけです。しかし、これからの時代は隠し事のない、透明性のある社会でなければならないと思います。すべてを公にし、国民が真実を知ることができる仕組みが求められています。

 中居さんの問題をきっかけにフジテレビが抱える課題を考えたことで、このような意見をまとめてみました。時代の流れとともに、メディアの在り方も変わらざるを得ないでしょう。この文章を通じて、皆さんにも何か考えるきっかけになれば幸いです。

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映画を字幕なしでみたい、その為には?

2025年01月19日 | エッセイ
コロナ6年1月19日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 英語は話す方が先なのか、聞く方が先なのか。私はね、まず、聞くことができないといけないと思うんです。ネイティブの英語が聞くことができないと話せないのではないでしょうか。理解ができて、初めて話すのですから。

 やっぱり赤ちゃんが生まれたとき、人の話を聞くことから始まりますよね。最初は胎内で聞いているんですよね。十月十日、最初はしゃべれないんです。だから、まず聞いて、それからしゃべれるようになる。私はそのプロセスが大切だと思うんです。

 ただ、どうしても私たちは目で見て単語を覚えます。そして単語の発音をしっかり練習しますよね。それだけでは、いくらやっても話せるようにはならない。頭の中に文字情報が入り込んでしまって、義務教育で習った単語や発音、そして活字として理解する方法が染み付いてしまっています。そのせいで、日本の教育ではリスニング力がつかないのだと思います。

 私は、正しい学び方というのは、文字や文法を抜きにして、赤ちゃんのような状態で言葉を学ぶことだと感じています。いや、まねるが大切ですね。赤ちゃんは生まれたばかりのとき、何も知識がない状態から始まりますよね。だから、言葉そのものを聞いて、その音のニュアンスや感情、行動、イメージを焼き付けて覚える。そしてそれを真似するんです。その後で、「こんな意味だったのか」「文字で書くとこうなるのか」と理解する。それが本当の意味で言葉を身につけるプロセスだと思います。

 まずリスニング力をつける。その上でスピーキングを学ぶべきです。相手の言っていることがわからなければ、こちらが何かを話そうとしても成り立たないですよね。だからこそ、聞く力を基盤にして学ぶことが大切だと思うのです。

 こうした自然な流れで学ぶ英語は、きっと楽しいものになるはずです。そして、リスニングができるようになったとき、初めてスピーキングも自然にできるようになる。そのプロセスの中で、言葉が響く瞬間や、新しい発見がきっとあると思います。

 義務教育の英語で育ち、その後しばらく遠ざかっていたため、この年になり改めて気づいております。今の日本の英語教育はなんとかしないといけないですね。
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根拠のない自信こそ真の自信

2025年01月17日 | エッセイ
コロナ6年1月17日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 自信というものについて、私たちはよく「どういうことに自信を持ったの?」「なぜ自信が持てたの?」と、その根拠を求めがちです。しかし、自信とは本質的に精神的なものであり、すべてに理屈をつけようとするのは、どちらかというと知識のある人が陥りやすい考え方ではないでしょうか。

 精神的なものは、論理だけでは割り切れません。例えば、「なぜ山に登るの?」という問いに対して、「そこに山があるから」「今日は空が綺麗だから」「山の景色が素晴らしいから」というような感覚的な答えがあります。このように、精神的なものに感動し、それを心の支えにできることこそ、人生を豊かに生きていく上で最も大切なことの一つだと考えています。

 人類の歴史を振り返れば、文字もない時代がありました。しかし、そのような時代にも、自信に満ち溢れた人々は確かに存在していたはずです。今でいうポジティブシンキングや自己肯定感にも通じるこの自信という感覚は、理屈を超えたところに存在する精神的な働きなのです。

 自信に満ち溢れていると、心身にも良い影響があります。交感神経・副交感神経のバランスが整い、血行が促進され、脳の働きも活性化されます。最近の研究では、腸内環境との関連も指摘されており、消化機能の改善にもつながるとされています。

 このように考えると、「根拠のない自信」というのは、実は私たちの心身の健康に寄与する、とても素晴らしいものだと言えるのではないでしょうか。時に理屈では説明できない「根拠なき自信」こそが、人生を豊かにする原動力になるのかもしれません。​​​​​​​​​​​​​​​​
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