想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

緑陰

2010年07月21日 | インポート

 緑の木陰、緑陰、ふと見上げると、葉っぱの緑が目に飛び込んできた。その向こうに葉陰に揺らぐ青い空がみえた。緑っていいな。涼しそうなかんじだな、と、思わずにはいられなかった。これが、緑陰ってことだな。 

植えてから早20年近くが経過する。植えたときは背丈1m太さは1cmほどでひょろひょろしていたのを思い出すが、今ではこんなにも大きく成長してしまった。
 夏は暑いので、結構玄関口のこの木の下で色々庭仕事をやることが多い。また、サンマを焼くときもある。
 ふと、見上げたときに見た緑の美しさ、その先に葉陰に隠れながら揺れて見える青い空その混ざり具合がまた、いい。日光を通した緑の葉が特に健康そうに見えた。この下にいると本当に癒される。

「見上げれば 南京ハゼの 緑陰かな」
「見上げれば 南京ハゼの 木陰かな」の方がリズムがいいかな。
「見上げれば 南京ハゼが こちら向く」南京ハゼとの関係がいいですね。

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しがらみと関わり

2010年07月21日 | インポート

 退職したら、もう、しがらみのない世界で暮らしたい。と、どれだけ思っただろうか。しかし、現実、また、しがらみの世界に戻ってしまった。よくよく考えれば、人はしがらみのない世界では暮らせないのだ。しがらみと、考えるから、嫌になる。それを関わりととらえたらどうだろう。人は一生色々なものとの関わりの中で生活している。人と人との関わりの中で生活し糧を得ているのが大半だろうと思う。私も、最近このしがらみの世界に大きく足を踏み入れ生活するようになった。
 しがらみと考えれば、心が重くなる。しかし、ふれあいとか関わりととらえれば、成る程、人は一人で生きているようで常時関わりの中で生きているんだなということになる。ただ、最近は人を相手にすることが多くなった分、自然とか環境の中での自分であるという考え方少しずれてしまったなと思う。しかし、軸足はいつも、この世の中、人だけで生きているのではない。大きな自然があり、その中に人という種もいるという地球的規模でとらえていないと、いけないと反省している。
 私は昔から、父が唱えていた般若心経を毎日声に出して、一度は周りに自分を同化させ自分を無にする時間を取るように心がけてきたが、最近少し、唱えることを忘れた日があるので、ここ、1ヶ月前から、ウォーキングの中の組み体操の中に般若心経を唱えることを一緒にやるようにしている。 
 この組み体操を自分なりに考えて実践しているおかげで、腰痛もあまりなくなり、昼間の座り仕事が随分楽になったような気がする。
 結局、体のコンディションも詰まるところ、血の流れをよくすることだと思うので、この体操は歩きながら色々な部分の血の巡りをよくするのに役立っているなと思う。まあ、頭の中も同じように血の巡りが悪くなると老化が始まるので、努めて右脳から左脳まで色々な部所を使うように心がけている。いわゆるパトスとロゴスのバランスが大切である。
 「十の説教よりも一つの笑顔」という言葉もある。上のことは白日夢ととらえ、「人は毎朝生まれ変わる」できょうもリフレッシュでレッツゴー。

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