震災6年5月7日
社会に出たら勉強じゃないよ。あの人は、勉強ができなかったのに、社長になって何十人も人を使っているし、たいしたものだという話を何度も聞いて育ったと思います。
学校は極論すれば学問という狭い範囲での学習しかしてきません。最近は経験学習とか、総合的な学習など言葉としては出て来てはいますが、それも、所詮、試験管の中の出来事なんです。
それを理解せずに、洗脳されて来たのです。「学校教育=すべて」みたいに…。これほど、罪なことはありません。社会に出て成功する人の多くは、学校でも学問以外の色々なことを経験して来ているのです。
お勉強だけできる子は二次元の平面の世界でしか経験がありません。現実社会は三次元の立体なのです。1+1=2なる解答しか、知らないわけですので、複雑怪奇な社会の縮図から考えれば、その1/10しか経験値がないのです。
先生にしかられたり、時には決まりを破った経験値が後日、役に立って来るのです。学校では失敗からこそ、学ぶ経験が大事です。試験管での解答は理論であり、実証的ではありあません。そして、経験だけは誰しも、机上で教えられても身に付きません。汗水流し体を通し、その生身の現場で体験するのです。ですので、いくら口で教えて教えられるものではありません。
こういう面では教師は謙虚にならないといけません。経験だけは、教えられないと……。
ここで、誰でも気が付くのですが、お勉強だけできる子に育つと、そのお勉強がすべてだと思ってしまうのです。いくつになっても、そのときの100点の思いでだけで、生きているようなものです。それでは、現実の競争社会でやっていくことはできません。
研究室でも入って世間から隔離された社会では通用するのでしょう。しかし、現実は色々な考えや出来事が起こります。想定内ならいざ知らず、想定外のことも日常で起こってくるのです。人間上り調子の時は、あまり、考えません。奈落の底に迄落ちて、初めて気づくのです。「親孝行したいときには親はなし」など、まさにそのことをいっています。
空気があるときには空気の存在には気づきにくいのです。空気がなくなったり、汚れて初めてその大切さに気づくのです。健康も、病気になり初めて健康のありがたみに気が付くのです。それでは、遅いのです。
ですから、大切なことは日頃から、生かされている自分に感謝することが大切です。そして、感謝することにより得た安定で自分の目指す方向にエネルギーを向けて行くのです。そうすることにより、日頃から健康なうちにでも健康に感謝できるようになり生きて働く力へと変わって行くのです。
中には、感謝ばかりしている能天気な人もいますが、その人はストレスもないかわりに、今の世の中、自分の命までとられかねません。現実はある面厳しいのです。
社会で活躍できる最も大きな資質として、私があげたいのはやはり、志です。何かをしたいというエネルギーを一生持ち続けることが最も大切なことです。それは、人や物との縁で生まれます。その縁を大切にし生かした人が社会での成功者となるのです。
人の言葉で語ったり、そのまま鵜呑みにするのでなく、自分なりにそれをどうとらえるか、人との関わりの中で自分は、どう生き抜いていくのか、自分はどんなことがしたいのか、何のために生きているのか、どうしたら、人の役にたてるのか、自分の存在はこの世の中で、どういう位置づけにいるのか、なぜ、自分はこの世に生を受けたのか、社会の仕組みはどうなっているのか、自分が生きるための優先順位はどう考えたらいいのか、色々悩み、二歩の後退であきらめず、二歩後退しても三歩進めば一歩進めると考えられるか、その辺が大切です。
そのようなことを勉強していかないと、大学まで出ても何も進歩しません。大学の卒業も自分の志の中の一通過点です。むしろ、卒業はこれからの出発点になるのです。そして、学んだことは必ずエネルギーとしてそれをとらへ、自分の進むべき方向へ、そのへネルギーを集中させ収束化させて行くことです。そのような学びが身に付けば鬼に金棒だと思います。単なる机上の学問も現実の中で淘汰され生きるエネルギーに変えて行くのです。
そいうい意味では、今の自由で民主主義的な考え方のできる時代は幸せな時代だといえます。天につばするのも自由、しないのも自由、ただ、確実にいえることは、天につばすれば、やがて、自分にそのつばがふりかかって来ます。
ですから、そのことを自覚し、何事も自分で責任を負うという考えで思慮のある自立した生活をして行く必要があります。