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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

パナマ文書と経済の二極化

2016年05月11日 | エッセイ

震災6年5月11日

 

 


 今、世界の人口は、1分に137人、1日で20万人、1年で7千万人、増えています。現在73億人を超えています。
 世界中で、1年に6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれます。
 貧富の拡大、温暖化など問題が山積です。
 石油の枯渇が近づき、表土と森が失われています。
 水と食料が、病院と学校が不足しています。
 人の生活が、太陽と地球からの恵みを、超えそうです。

 

「世界の一握りの大富豪が、全人類の下位半分、すなわち36.5億人と同額の資産を持っている」と、いうことらしいのですが、今回パナマ文書が公開され、益々その謎が明らかになってきました。富める者は益々富み、貧困にあえぐ者は、益々貧困化してゆく仕組みが構築されているのです。

 前回来日した世界一貧乏な元大統領ムヒカさんと偉い違いです。

 

  過去を振り返れば、狩猟採集時代を経て自然の力で農業革命を→機械化により産業革命を→貨幣の発達により→金融革命を起こして来ました。今、まさにすべてのことがITと繋がり世界はせわしく動いています。


 このままでは、益々二極化が進むことが分かりました。そうです。富の中心にある者に大きな権力が集中しているのです。そして、彼らに倫理観がないことが問題なのです。

 

 世界の金融市場も一握りの思いで動いているのでしょう。為替も、株式も、石油の値段も…。困ったものですが、庶民にはどうしようもありません。ただただ、指をくわえて見ているだけでしょうか。

 さて、国民の三大義務といわれる
、教育、勤労、納税の一つの納税に大きな問題が顕在化してきたのが、パナマ文書の公開でした。やはり、そうかというのが私の偽らざる感想でした。やっと、顕在化してきたのです。隠し事はやがて、Discoverされ、いつか漏れるのです。

 

 誰もが、当たり前のように、決められた納税をしてきたのが、違法でないというだけで、世の中を闊歩している実態が明らかになったのです。

 

 違法でなくても、やってはいけないことはいくらでもあります。それなら、すべての行動に法規制の網をかぶせないと生きていられません。そんなことをしたら、余計に息苦しくなるでしょう。

 

 法の前に、人には良心が宿っているということではありませんか。そう、先人から教えを受けてきたのでは、ありませんいか。誰もやっているから、やっても、良心が痛まないという道徳的に二流人の考え方からやってしまっているのではありませんか。経済は生活を支える手段ですが、目的ではありません。人の最終目的は幸せです。

 

 自分だけ、法の目をくぐり富を得ても幸せですか。人様が喜んでいる様子を見るのが最高な幸せではありませんか。その辺が欠落しているような気がしてなりません。お金持ちより心持ちになりましょう。



  違法でないなら何をやってもいいかというと、昔から法規制のない時代でも自然法というしっかりした思想があったのではないのですか、誰もが等しく幸せに生きる権利は、すべてに優先する倫理的な規範ではないのですか、法文にないから違法行為はしてないのでなく、誰も良心があるのではありませんか。

 

 もし、そういうことを平気でいう人がいたなら、結局、法により規制が必要になるのです。タックスヘイブンが誰にも公にされ利用されているなら、まだ、いいのですが、金持ちしか利用ができないようなしくみになっているのが、不平等なのです。

 

 今の今まで国民はその事実にだまされていたわけです。ある一部の人だけがぬくぬくと利用していたのです。残念ながら、その力は庶民にはありません。

 

 もっと、上に立つ人の良心に訴えるしか方法がないのです。どうか、世のお金持ちといわれる人は、良心のかけらを持って、1円でも稼いで、子供のために汗水流して働いて、なけなしの金で税金を払っている人がいることを肝に銘じていただきたいと思います。

 

 一方税制から考えても、それもそのままにしておくことは納税の義務の崩壊にもつながって行きます。しいては、社会の混乱をもたらし、自由主義経済を破滅にも追いやることになるでしょう。

 

 即刻、政府はこのことを明らかにして、誰もが平等な社会を作っていただけるようにして欲しいです。正直者が馬鹿をみることのないような社会の実現を政治に望みます。

 

 資本主義経済も根本にしっかりした倫理観がないと、大変なことになります。やがて、それに変わる新たな仕組み作りが必要になるでしょう。力のある人が良心をなくすと大変なことになります。上に立つ人は高度な良心を持って行動してほしいと思います。

 

 江戸時代に士農工商という言葉がありました。確かにどこに価値をおいていたかが、このことからよく分かります。

 

 士は心のあり方であり、農は生きるのに必要な生命の源の供給であり、工はその作品に心を吹き込んで作ることであり、商は人が作った物を売買して利益をえることであり、やはり最下位に商が位置づけられているそれなりに理由がよく分かります。

 

 江戸時代はある面、よき時代で合ったのかもしれません。最近つくづく思います。


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