想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

教育産業 アンチ偏差値から想う

2017年01月26日 | エッセイ

震災7年1月26日

 貧困の問題が出ていないときはないほど、今、貧困と二極化の問題がマスコミをにぎわしています。その中でも、学生の奨学金返済問題が新しい問題として浮かび上がっています。

 昔は、大卒というと、数はあまりいませんでした。しかし、最近は猫も杓子も大卒でいっぱいです。それも、教育が産業になってしまったのです。本当に勉強が好きでいったのか、一種のはやりでいってしまったと見られてもいい学生も沢山います。

 要は、学歴取得が産業化してしまったのです。産業の一つとして、塾や大学が駅弁のごとくたくさんできました。金を出し塾に行けばできない子ができるようになるとはやし立てて沢山の子が塾に通っています。それで、教育産業が成り立っているのです。世の中は相対的な社会ですので、みんなができるようになれば、自分ができるようになっても偏差値は同じです。つまらない社会になりました。教育産業に踊らされている人が増加しているだけです。人の幸せに繋がる事とはおもえません。

 何か、他に変わるいい方法がないかと考えますが、それが、現実で認めざるをえません。それを利用しなければ、余分な教育費は必要ないのですが、現実は少しでもいい大学へ行きたいという思いがそんな産業を生んでしまったのです。

 ですので、親の経済力は子どもの貧困を生み、貧乏人は塾にも行けずに落ちこぼれてしまう社会です。いわゆる二極化が進んでしまった社会が出来上がりつつあるのです。

 しかし、世の中には偏差値ではかれない物がたくさんあるのも事実です。単に頭だけで考えてやるテストでは0点から100点までに分布しますが、人の力はそうではなくて、ほぼ70点以上の所に集中するのではないかと思うのです。

 100M競争をやったとします。これは、体力を使う事です。どうですか、1位がゴールしたとき、ラストは0m(0点)ではありえません。必ず走っているのですから、70M位に位置しています。そうです。体を通して学習したことには0点はありません。体を通してやったことというのは0点はありません。70M(70点)以上に来ているのです。それが、生きた社会のありようです。だから、単に頭で覚えるだけでなく、体を通して覚えることは大変人間の成長に必要な事です。

 人生は、長いのです。その中で、遅咲きの子もいるのです。やかんの水をみていれば、分かるのですが、水はすぐにはあたたまりません。しかし、鉄などの金属は熱伝導率がいいので、すぐ温まってしまいます。すぐ、温まるのは、それだけ、冷えるのもはやいのです。それが、物理の法則です。

 頭がいい子はいわゆる回転が速いだけなのです、その代わり、じっくり時間をかけて覚えたことは終生忘れないのです。持続性が高いのです。人生は長いのですから、そんなに急いでどこへいくではないですが、じっくり腰を据えて覚えていけばいいのです。

 心は時間という横軸の流れがあって成り立つのです。単に効率と速さを競うものとは、根本がちがうのです。パソコンは速さを競うあいます。しかし、そこには心はありません。単に計算が速く、処理が速いだけです。人間の人間たるゆえんは心があるかないかです。偏差値にも心がありません。そこに心を通わせてこそ、人の為になるのです。

 人間は最終的に幸せが目的です。ですから、どんなにお金があっても、どんなに地位があっても、幸せ感を得ることができなかったら失格です。そのことを肝に銘じて勉強に励むことは大事です。

 大切なことは絶えず問題意識を持って望む事です。志しを持つというのはそういうことを言うのです。ある方向に目標を定めてうまずたゆまず努力することです。そうすれば、いつか、その扉はあいてくれるでしょう。

 昔から雨垂れ石をも穿つということわざがあります。現代人は長生をしている割にこのことわざを忘れているのです。また、英語でも同じようにConstant dripping wears away the stone. 中国語では水滴石穿ということわざがあり、グローバルに使われいるのです。

 何でも速く効率を求める事ばかりの社会ではないのです。頭がいいからって1秒で恋愛ができないのです。恋愛するには必ず年月というエイジングが必要なんです。それは、心が関係しているからです。思いやりもおなじでしょう。それには、心が関わってきますので、それを醸成する年月は万人に同じなのです。健康も偏差値がいいから健康ではないのです。

 偏差値が高くても、人の生き方に反していては駄目なんです。倫理という道を外れてはいけません。

 そんな難しい事を言わなくても、誰でもそんな事は知っているのです。学問というのは、簡単な誰でも分かっていることをややもすると、理屈っぽく述べているにすぎない面がたくさんあります。要はそのようなことを体験を通してしることが、生きる上では大切なのです。

 単に勉強して成績のいいという人はそれを物理の法則みたいにいっているだけです。生きる力を伸ばすには現実の社会で体験することなのです。真の実力はペーパーテストの平面でははかることはできないのです。それに、気づかせる教育が大切なのです。

 

コメント (4)
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