震災9年5月15日
最近はITの時代だと思っていましたら、ITどころか、AIの時代のようです。AIはある面、凄い才能を発揮します。しかし、感情面というか心はありません。やはり、生物としての細胞を持ってない単なる機械なのです。どんなに処理が速くできても、そこに人の温かみとか、心が入っていなかったら、こんなにも寂しくも侘しいことはないのです。頭はいいが、何かが足りないと感じるでしょう。それが、機械と人間の大きな違いです。
ですから、AIの最も苦手とするところは信仰心や感情がないということです。ここがこれからの時代を考えるときのキーワードです。効率と便利さを追求するあまり、この辺の人間性が欠けた人間が多数出てくる危険性があります。ゲーム依存症も同じような類でしょう。気をつけなければいけません。
子守をゲームに任せている家庭があるように聞いていますが、後で、大変なことになります。親と一緒に遊んでいるならまだいいでしょうが、相手は感情が分からない物です。それでは、人を人として思わなくなる危険があるのではと、危惧します。しかし、そんなことをしていたら食べていけないという母子家庭も増えているのが気にかかります。
これは、政治の問題として国も大いに考えなくてはいけません。今の政治はどうしても最大多数であるシニアの動向を考えてしまいがちですが、これからの日本を考えると、もっと、若い世代の政治を真剣に考えてもらわないと困ります。若者の政治離れもそうです。また、貧富の格差が広まっているのも問題です。富が偏り過ぎているのを是正してゆく法制度を考えなくてはいけません。政治の力も大きいですね。
やはり、人はどんなに世の中が便利になっても人と人の間で育ってゆくものです。時間という時を人のぬくもりの中で育てていかないと人間性は育たないのではと思います。
今の時代、便利な機械が次々と出てきます。大切なことはそれを使うのは人間なのです。そこにまごころや温かみを加えてその良さを最大限発揮して使えばいいのです。そして、それを人様の幸せに向かわせる、そこが大切です。そういう意識を持ってAI時代を生きていってほしいです。私たち団塊の世代は次世代に繋げていくわけですが、この点が気がかりです。
ですから、これからはそれをどう使っていくのかというソフトの面に関心が向かっていくものと思われます。企業でいえばその優秀な機械をどう使ってどう人類の為に役立たせるかが大切なのです。それが、人間の役目になるのです。今後、益々そのような便利な機械が出てきます。そうすればするほど、人間とは何か、人間の尊厳とはが問われていくのではないかと思われます。否、そうして行かなくては大変なことになるのです。
便利な世の中と人間の幸せとは根本的に違うということに気が付かなくてはなりません。機械でキャベツは速くきざめても、そこに人のにおいは感じません。費用対効果を期待するだけです。経済的側面からはいいのでしょうが、お料理は単に食べるのでなく、味わうのです。そこに作ってくれる人の温かみを感じながら頂くことに無常の幸せをかみしめているのです。ですから、どんなにAIが進んでも、そういうところに価値を見出している人はいるのです。だから、人の作る料理人は永遠になくならないのです。
五感と人の温かみを感じながら食事はいただくものです。単に栄養価のみでもありません。そこに人間らしさがあるのです。どんなに、便利になっても、人間性溢れた社会にしてゆきたいものです。