想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

畏敬への気づき

2017年01月15日 | エッセイ

震災7年1月15日

 日本全国を異例の寒波が襲ってきました。この地、菊川市も昨夜から特に冷え込み、今朝の気温は-2℃にもなりました。

 ここに住んで25年になりますが、今迄で一番の冷え込みでした。氷の厚さも2センチ程でかめの中では下のめだかが心配です。今でも風花が飛び交っていてしばれます。

 

 もっと降ってくれないかなと思うのが、この地域の人情です。豪雪で大変な地域では考えれない事で申し訳ないですが、この地域では珍しいことなんです。貴重な体験です。子ども達も大はしゃぎでしょう。是非こんな冬を体験させてあげたいです。

 

 雪というと思い出すのが、埼玉県で教員をしていたときの事です。あちらではもう少し雪が降ることがありました。校庭で雪投げをしている子がいて、注意をしたことを思い出しました。

 

 こういう時こそ、率先して、孫たちと一緒に外に出て、畏敬ということの大切さに気付かせてあげたいです。温暖化の今にあっては貴重な体験です。

 

 私たちの地域では珍しく、周りもうっすら雪化粧でした。若い頃は北海道に憧れた時期もあったなと懐かしささえ浮かびます。上司に話して「札幌に転勤させてください。」と、言ったのも、本気で北海道の教員試験を受けようと思い、資料を取り寄せたこともあり、今では懐かしい思い出です。

 

 人生すべて「あれかこれか」の選択です。北海道へ移住していたとするならば、今の人生も大きく変わっていたのだろうなと思います。「人間到る処青山あり」を思えば、場所はどこでも良かったのかなとも思いますが、私的には場所により自分は変わっていくのだと思います。孟母三遷の教えは成る程なと思うのであります。環境はその後の人生に大きく関わって来ます。ですので、何かをしようと思ったらまず、身辺を整え環境を人為的にでも変えていくことが肝要です。

 

 こんなことを思い出しました。昔地元では有名な「さなる塾」というのがありました。そのパンフレットの中に

 

の腎不肖は譬えば,鼠のごとし,自ら処する所にあるのみ

 昔,中国の若者が,倉庫の中の鼠を見て,同じ種類の鼠なのに何でこんなにも違うのだろう,片方はまるまる太っているのに外の鼠はやせ細っている。この違いは一体なんだろうと考え,一大奮起をして科挙の試験に合格して大出世をしたお話であったかと記憶している。彼の偉いのは,人間は素質は同じなのに自分のおかれた環境によってこうも違う人生を歩むようになるのかに気づき,実行していった点に惹かれる。これは確か佐鳴塾の広告紙に載っていた文であった。気に入って書斎に張ってある。

環境と教育と言うのは密接に関連しているのがよく分かります。自分を変えていくのはまず、自分の周りを変えていくことから始まるのだと思います。高い志もこのような事との関連で実行に移されていくのでしょう。場を清めると昔から言いますが、このことが大切なのではないのでしょうか。

 

 子供の頃は浜松市で育ちましたが、確か-6℃位の寒さを体験した事があります。この辺では、その時が一番の寒さでした。遊ぶことが毎日の日課だった頃、田んぼの氷が3センチぐらいになったことがありました。あれ以来あんな寒さは来ませんが、今回は久しぶりの寒波襲来です。

 

 私は寒いのが好きな方で雪にも憧れがありますので、結構ですが、今こうして、暖房のない部屋で打つタイピングの先の手はかじかんでおります。今冬も、暖房は電気ごたつだけです。相変わらず朝起きるとパンツ一丁での乾布摩擦から始まり朝のウォーキングへと続きます。

 

外に出て見ますと、今朝はうっすらと雪化粧でした。何ともいえない小気味のよい朝でした。Good day good luck.

Viva nature! 

 

庭のキャベツも寒さで丸くなっている。

 

門松の中の水も凍っている。

 

氷の下のメダカが心配

 

 

家の前の道路もうっすらと薄化粧

 

 

吹き寄せの雪の方を寄せ合って

 

 

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冬の満月から想う

2017年01月13日 | エッセイ

震災7年1月13日

 先日の満月はとても大きくてびっくりしました。自然の造形はすばらしです。また、次の日の朝に見た満月も同じように大きかったです。このように、夕方見た満月が次の日の朝に見られることを初めて知りました。昔から、早起きは三文の得という言葉がありましたが、まさにその通りです。

 普通満月というと、中秋の名月を言う場合が大きいのですが、なかなかどうして、1月の満月も大きくて感銘を受けました。それというのも、年を取ったと言うことですかね。そればかりではないと思いますが…。

 冬の月はとかく寂しい感じがしないわけもないですが、太陽と違い、それはそれで、また、見る人を魅了する不思議な力もあります。月天心 貧しき町を 通りけり (蕪村)は私の好きな句です。冬の月を天空に見ていますといつもこの句が浮かんで参ります。冬の季節にぴったりで情緒のある感じです。

 ところで、太陽暦の歴史がいつはじまったのか、定かでありませんが、エジプトやマヤでは昔から太陽を基準にした暦だったようです。日本では明治5年からこの太陽暦が始まり新暦と言われるようになったようです。それまでは、旧暦で太陽太陰暦ということだったようです。旧暦だと月が地球を回るのを1日としているので、自然と月への関心が高まっていったようです。但し、これだと1年が新月から新月で、平均して29.5日間ですので、一年間が354日になっています。ですので、太陽暦の1年より約11日短いため、だんだんと季節とずれていってしまいます。そして、ひと月分のずれがが生じたときに、「閏月(うるうづき)」を設けてずれを調整していたそうです。

 それにしても、50年に一度ぐらいは旧暦に直して生活して見ると昔の風習がよく分かると思います。歴史の勉強を身を以て体験することになりおもしろいですね。

 

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雨上がり 詩 2点

2017年01月10日 | 

震災7年1月10日

 雨が上がると、遠くの明石山脈をよく見ます。そうです。その時は、いつもと違って空がきれいで、遠くの山々までがきれい見えるからです。冬になると、遠くの連山もうっすら雪化粧に変わります。

 そうすると、もう、ドライブでその辺を散策したくなります。自然の大きなドラマを見ているようです。360度の大パノラマ劇場が始まるのです。じっとして、いれなくて、飛んでいってしまいたいくらいです。

 

 そういえば、以前に作った同じような詩がありました。参考に掲載しておきます。これは、梅雨の頃につくりました。

 

 

 

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2017年の年賀状

2017年01月01日 | エッセイ

震災7年1月1日

 明けまして
  おめでとう
    ございます。

2017年が今、始まりました。今年の年賀状です。大晦日にやっとできました。

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