想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

映画を字幕なしでみたい、その為には?

2025年01月19日 | エッセイ
コロナ6年1月19日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 英語は話す方が先なのか、聞く方が先なのか。私はね、まず、聞くことができないといけないと思うんです。ネイティブの英語が聞くことができないと話せないのではないでしょうか。理解ができて、初めて話すのですから。

 やっぱり赤ちゃんが生まれたとき、人の話を聞くことから始まりますよね。最初は胎内で聞いているんですよね。十月十日、最初はしゃべれないんです。だから、まず聞いて、それからしゃべれるようになる。私はそのプロセスが大切だと思うんです。

 ただ、どうしても私たちは目で見て単語を覚えます。そして単語の発音をしっかり練習しますよね。それだけでは、いくらやっても話せるようにはならない。頭の中に文字情報が入り込んでしまって、義務教育で習った単語や発音、そして活字として理解する方法が染み付いてしまっています。そのせいで、日本の教育ではリスニング力がつかないのだと思います。

 私は、正しい学び方というのは、文字や文法を抜きにして、赤ちゃんのような状態で言葉を学ぶことだと感じています。いや、まねるが大切ですね。赤ちゃんは生まれたばかりのとき、何も知識がない状態から始まりますよね。だから、言葉そのものを聞いて、その音のニュアンスや感情、行動、イメージを焼き付けて覚える。そしてそれを真似するんです。その後で、「こんな意味だったのか」「文字で書くとこうなるのか」と理解する。それが本当の意味で言葉を身につけるプロセスだと思います。

 まずリスニング力をつける。その上でスピーキングを学ぶべきです。相手の言っていることがわからなければ、こちらが何かを話そうとしても成り立たないですよね。だからこそ、聞く力を基盤にして学ぶことが大切だと思うのです。

 こうした自然な流れで学ぶ英語は、きっと楽しいものになるはずです。そして、リスニングができるようになったとき、初めてスピーキングも自然にできるようになる。そのプロセスの中で、言葉が響く瞬間や、新しい発見がきっとあると思います。

 義務教育の英語で育ち、その後しばらく遠ざかっていたため、この年になり改めて気づいております。今の日本の英語教育はなんとかしないといけないですね。
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お天道様と大地と人の恵み 詩

2025年01月18日 | 家庭菜園

地産地消
身土不二
医食同源
自然と人とが関わり合う
里山農法
自然と人との心地よい関係
それが自然治癒力を高める
お天道様の光と
有機肥料と
人力と
自然の力でできた
日の菜大根
糠漬がうまい


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根拠のない自信こそ真の自信

2025年01月17日 | エッセイ
コロナ6年1月17日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 自信というものについて、私たちはよく「どういうことに自信を持ったの?」「なぜ自信が持てたの?」と、その根拠を求めがちです。しかし、自信とは本質的に精神的なものであり、すべてに理屈をつけようとするのは、どちらかというと知識のある人が陥りやすい考え方ではないでしょうか。

 精神的なものは、論理だけでは割り切れません。例えば、「なぜ山に登るの?」という問いに対して、「そこに山があるから」「今日は空が綺麗だから」「山の景色が素晴らしいから」というような感覚的な答えがあります。このように、精神的なものに感動し、それを心の支えにできることこそ、人生を豊かに生きていく上で最も大切なことの一つだと考えています。

 人類の歴史を振り返れば、文字もない時代がありました。しかし、そのような時代にも、自信に満ち溢れた人々は確かに存在していたはずです。今でいうポジティブシンキングや自己肯定感にも通じるこの自信という感覚は、理屈を超えたところに存在する精神的な働きなのです。

 自信に満ち溢れていると、心身にも良い影響があります。交感神経・副交感神経のバランスが整い、血行が促進され、脳の働きも活性化されます。最近の研究では、腸内環境との関連も指摘されており、消化機能の改善にもつながるとされています。

 このように考えると、「根拠のない自信」というのは、実は私たちの心身の健康に寄与する、とても素晴らしいものだと言えるのではないでしょうか。時に理屈では説明できない「根拠なき自信」こそが、人生を豊かにする原動力になるのかもしれません。​​​​​​​​​​​​​​​​
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人はリズムで生きている

2025年01月17日 | 野山散策
コロナ6年1月17日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 人は、リズムで生きている。ウォーキングをしていると、日々の体調がよくわかる。朝の空気を吸い込みながら、そう感じることがある。

 体が軽やかに動く日もあれば、たまに、足取りが重たいなと感じる日もある。

 けれど、そんな日々にも流れがある。太陽は静かに地平線を巡り、月は淡く形を変え、夜を照らす。

 春が芽ばえ、夏が燃え、果実が実り、冬が眠る。四季の調べに、心も体も寄り添って生きる。

 胃が重たい日は、無理をしない。朝の食事を控え、果物や軽い食事に切り替え、静かに体の声を聞く。

 無理に逆らわず、流れに身を任せること。それが、自然と調和して生きるということなのだ。

 波のように寄せては返す日々のリズム。
その調べに耳を澄ませ、今日も朝のウォーキングに精を出す。
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白い満月

2025年01月16日 | 野山散策
 コロナ6年1月16日(ウクライナ、ロシア戦争4年)
冬の朝、西の空に白い満月が昇る

 東の空にゆっくりと昇る赤い満月。これは昔から親しまれてきた光景で、お月見のときに眺める、あの大きく輝く月もそうですね。私も、満月といえば東の空に昇るものだとばかり思っていました。

 けれども、ある寒い朝のウォーキング中にふと西の空を見上げると、そこにも満月が浮かんでいたのです。それは夕方に見る赤く温かみのある月とは違い、冷たく、静かに白い光を放っていました。その凛とした白さは、どこか寂しさを漂わせながらも、不思議と心が惹きつけられるものでした。

 「月天心 貧しき街を通りけり」という句がふと頭をよぎりました。静かに街を照らしながら進む月には、どこか孤独で儚い雰囲気が漂います。冬の朝に見た白い満月もまた、同じように冷たく寂しい存在でした。しかし、その静寂の中にこそ、自然の神秘や美しさが宿っているのだと感じました。

 年齢を重ねても、自然の中で新たな気づきや発見がある。その驚きや感動は、私にとってかけがえのないものです。私は自然とともに生き、自然の恵みの中で暮らしています。自然があるからこそ、私たちも、青い地球も存在しています。多くの生き物たちと共に生きる中で、人間だけが独りよがりになってはいけないと、いつも心に留めています。自然は私にとって最高の教師です。そこから学ぶべきことは、尽きることがありません。

 そんな思いを胸に、今日も冬の朝の冷たい空気を感じながら歩いています。ささやかな自然の変化や美しさに気づき、心を寄せる。そんな時間が、私にとって何よりも大切なひとときです。




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