monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

能鑑賞

2009年06月13日 | 雑日記

 略式のものではありますが、初めてお能を鑑賞しました。予習もなにもせずに行きましたが、やっぱり聞き取れませんでした! そして、非常に眠気を誘うものだと実感……。
 謡本なり、参考書なりを持ち込んで首ッ引きで鑑賞するのがよいかな~とも思いましたが、それじゃあ舞台の方が全然見れないじゃん。
 全部暗記しろとまではいいませんが、それらしい言葉が聞き取れたら前後がわかる、ぐらいになってた方がよさそーです。

 しかし何であんなに聞きとりづらいんでしょ。独特の発声・発語、しかも地謡(じうたい=コーラス隊)が、客席の方を向いてないんだもん。(能楽堂なら一応客席に向かってることになるんだろうけど、今回は普通のホールでの開催だったので、地謡はほぼ横顔を客席に向ける格好で座ってました。)ちゃんと客席に向いててくれれば、も少し聞き取れるのに、と思います。

 しかし、中世の人たちは、アレを観て、初めてでももちろん内容がわかったんですよね? 自分の現状を思うと、とても信じられません。当時の話しぶりが、あんな感じだったんでしょうか。でも、舞台の上での演技になるので、当時といえども、多少は“もったいぶった喋り方”とか“気取った喋り方”で発声していたのではないかと思うんですが。絶対、通常の喋り方とは違うと思います。
 読経の感じと似てるんでしょうかねー。節があるっぽいとこも似てる? 神楽とか雅楽系とは似てるんでしょうか?
 早歌はどんな感じで歌われてたのか知りませんが、早歌と能の謡も比較してみたいです。あと、謡いものといえば今様とか? で、発展していって、歌舞伎とかにつながるんですね。歌舞伎なんかは格段に滑舌がよくなって、聞き取りやすいし。

 能が流行ったのは、どういう点が当時の人のツボにはまったからなんでしょうね。
 有名な物語や故事、実在の人物を取り上げてるから、筋立てとしては万民周知のものだったのでしょう。悲劇的なものが多いのは、そういう内容が特に好まれたからなんだろうし。
 あと、余韻というか余白の美というか、語り尽くさずに判断を観客にゆだねる部分も、当時の人はどう評価してたのか、気になります。(案外、観客の反応は一様だった、って可能性もある? 同時代人なら、語り尽くさずとも、こういう終り方をすればこう感じる、とか?)
 「秘すれば花」を観客はどう享受していたんでしょうか。
 それから、演者の年齢も気になります。今でこそ伝統芸能として年配者が出演するのが当たり前ですが、当時はどうだったんでしょう? 芸の極みに到達するには相当の年月が必要でしょうけれど、声量も落ちた老人声には、個人的にあんまり魅力を感じません。(やっぱりそこがネックなのよ。)年齢はどうでも、声量が豊かであることは必要条件だと、私は思うんですが……。当時は、若いハリのある声が持てはやされた、な~んてことはなかったんでしょうか。

 そして、鑑賞して意外だったのは、囃子(鼓や笛など)がけっこう賑やかだってこと。囃子方が客席と正対していたせいもあるのか、音量が大きくて謡をしのいでました。掛け声もよかったです。
 もし私が中世の観客だったら、囃子方のメンツを観て、キャーキャーとミーハー的なノリで夢中になりそうです。特に、小鼓・大鼓が格好良い!

 また機会があったら、能鑑賞をしたいものです。
 勉強するなら、鑑賞するより自分が習った方が早いかも? 演るなら何がいいかなー。しかし何にしても、板床に正座がツラそうです(なさけない話ですが…)。