いけみつのみとりすすしきはちすはにおきあへすちるつゆのしらたま
(文保百首~日文研HPより)
題しらす 前大納言実教
風かよふ池の蓮葉浪かけてかたふくかたにつたふしら玉
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
なつのいけのはちすのつゆをみるからにこころそことにすすしかりける
(堀河百首~日文研HPより)
はちすさくいけのゆふかせにほふなりうきはのつゆはかつこほれつつ
(俊成五社百首~日文研HPより)
蓮をよめる 前大僧正隆源
夏の日もかたふく池の蓮葉に夕浪こゆる風そ涼しき
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
いかにしてにこれるみつにおひなからはちすのはなのけかれさるらむ
(堀河百首~日文研HPより)
延命寺供養し侍りける時、蓮の葉に書きつけ侍りける
年経れど澄まぬ入江の濁りには清き蓮のいかで生ふらん
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
みつきよみいけのはちすのはなさかりこのよのものとみえすもあるかな
(堀河百首~日文研HPより)
年ごろ住みたまはで、すこし荒れたりつる院の内、たとしへなく狭げにさへ見ゆ。昨日今日かくものおぼえたまふ隙にて、心ことにつくろはれたる遣水、前栽の、 うちつけに心地よげなるを見出だしたまひても、あはれに、今まで経にけるを思ほす。
池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、
「かれ見たまへ。おのれ一人も涼しげなるかな」
とのたまふに、起き上がりて見出だしたまへるも、いとめづらしければ、
「かくて見たてまつるこそ、夢の心地すれ。いみじく、わが身さへ限りとおぼゆる折々のありしはや」
と、涙を浮けてのたまへば、みづからもあはれに思して、
「消え止まるほどやは経べきたまさかに蓮の露のかかるばかりを」
とのたまふ。
「契り置かむこの世ならでも蓮葉に玉ゐる露の心隔つな」
(源氏物語・若菜下~バージニア大学HPより)
はちすの露をよみ侍ける 空也上人
有漏の身は草葉にかゝる露なるをやかてはちすにやとらさり剣
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)