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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 夏 四月上申日 松尾祭(まつのをまつり)

2013年04月11日 | 日本古典文学-夏

二葉さす松のお山のあふひ草いく代かはらて今日にあふらん
(年中行事歌合~群書類従)

四月七日、松尾の使にたつ。上卿吉田中納言〔爲經〕・辨〔經俊〕。かつら川をわたりしに、みなかみのかたに、やなといふものに、水のたぎりておつるおとのきこえ侍りしかば、辨内侍、
川のせにやなうちわたすみづ なみのあまりも音の碎け行く哉
(弁内侍日記~群書類從)

四月八日松尾祭使にたちて侍けるに、内侍は誰そと上卿の尋ね侍けるに、折しも郭公の鳴けれは 後深草院少将内侍
時鳥しめのあたりになく声をきく我さへに名のりせよとや
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

松尾祭行事弁にて参りて侍けるに、内侍のをそくて夜に入侍けれはいひつかはしける 前左兵衛督惟方
夕かけて雲の上をや出つらん松の尾山に夜そ更にける
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 夏 四月上旬

2013年04月09日 | 日本古典文学-夏

従京師贈来歌一首
山吹の花取り持ちてつれもなく離れにし妹を偲ひつるかも
 右四月五日従留女之女郎所送也
(万葉集~バージニア大学HPより)

橙橘初咲霍鳥飜嚶 對此時候タ不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳
あしひきの山辺に居れば霍公鳥木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし
霍公鳥何の心ぞ橘の玉貫く月し来鳴き響むる
霍公鳥楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで
 右四月三日内舎人大伴宿祢家持従久邇京報送弟書持
(万葉集~バージニア大学HPより)

四月三日贈越前判官大伴宿祢池主霍公鳥歌不勝感舊之意述懐一首[并短歌]
我が背子と 手携はりて 明けくれば 出で立ち向ひ 夕されば 振り放け見つつ 思ひ延べ 見なぎし山に 八つ峰には 霞たなびき 谷辺には 椿花咲き うら悲し 春し過ぐれば 霍公鳥 いやしき鳴きぬ 独りのみ 聞けば寂しも 君と我れと 隔てて恋ふる 砺波山 飛び越え行きて 明け立たば 松のさ枝に 夕さらば 月に向ひて あやめぐさ 玉貫くまでに 鳴き響め 安寐寝しめず 君を悩ませ
我れのみし聞けば寂しも霍公鳥丹生の山辺にい行き鳴かにも
霍公鳥夜鳴きをしつつ我が背子を安寐な寝しめゆめ心あれ
(万葉集~バージニア大学HPより)

月たちて、「今日ぞ渡らまし」と思し出でたまふ日の夕暮、いとものあはれなり。御前近き橘の香のなつかしきに、ほととぎすの二声ばかり鳴きて渡る。
(源氏物語・蜻蛉~バージニア大学HPより)

四月朔比、「月のいと疾(と)く入りぬること」と人のよみしに
ほの見えて入りぬる月よ天の戸の明けはつるまで眺めつるかな
待つに思ふ入るとて嘆く夏の夜の月ぞ心はそらになしける
(和泉式部続集~岩波文庫)

 四月ついたちまて散らぬ櫻ありしを道明あさりにやりし
またちらぬ花に心をなくさめて春すきぬともおもはさり鳧
 かへしあさり
春はさは花よりほかのことやなき野への霞もたちも社きけ
 またこれより
おしめ共たちやはとまる春霞ねたしのこれる花をおもはん
(赤染衛門集~群書類従15)

四月一日比、雨ふりて花とものちりみたれけるを御覧してよませ給うける 院御製 
おしや猶桜山吹ちりしほれはるなりぬへきけふの気色を 
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

四月二日東宮のわかみや御はかまぎのこと。にようゐんいそがせ給なれば。この御かたよりもみやの御しやうぞくたてまつらせ給はんとて。びはどのにはいそがせ給。四月九日にぞうへの御かたへわたりはじめさせ給べかりける。御ころもがへの御几帳。みなうのはなのをりものみつかさねにてせさせ給へり。にようばうのつぼねほそどのやつぼねつぼねのありさまどもゝ。このみことざゞめきたり。にようばうたちなでしこをぞをりかさねたる。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

今日は枇杷殿の女房色々着たり。それに摺裳のさまなど皆さまざまなり。大宮の女房、寝殿の南より西まで打出したり。藤十人、卯の花十人、躑躅十人、山吹十人ぞある。いみじうおどろおどろしうめでたし。枇杷殿の宮の女房は、西の対の東面、南かけて打出したり。(略) かくて渡らせたまひて、御しつらひを御覧ずれば、藤の裾濃の織物の御几帳に。折枝を繍ひたり。紐は村濃の唐組なり。御帳同じさまなり。御屏風などいみじうめでたし。わが御有様をこそかぎりなしと思しめしつれ、このたびの御調度どもめづらかにいみじう御覧ぜらる。御几帳、御屏風の骨などにも、みな螺鈿、蒔絵をせさせたまへり。五尺は本文を書かせたまへり。色紙形に、侍従大納言、その詞ども草仮名にうるはしう書きたまへり。四尺は唐の綾を張らせたまひて、色紙形に、薄緂にて、同じ人草に書きたまへり。下絵に栄えたる御手、すべていはん方なくをかしげなり。唐錦を縁にしたり。御具どもに、蒔絵、螺鈿に、ひまひまに玉を入れさせたまへり。おほかたえまねびつくさず。御簾の縁には青き大文の織物をぞせさせたまへる。 (略)かくてまたの日、大宮の御方の女房唐撫子を匂はしたる、いといみじうめでたし。客人の御方の女房は八重山吹を折りたれば、ひとつにをかしう見えたり。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

七日の夕月夜、影ほのかなるに、池の鏡のどかに澄みわたれり。げに、まだほのかなる梢どもの、さうざうしきころなるに、いたうけしきばみ横たはれる松の、木高きほどにはあらぬに、かかれる花のさま、世の常ならずおもしろし。
(源氏物語・藤裏葉~バージニア大学HPより)

 阿闍梨のまゐり給うて、「灌仏の日も今日明日のほどに候へば、いささか上の山にて、花もとめさん」と、すすめ申すれば、「仏に仕ふる道にしあれば」とて、さがしき峰に登らせ給ふ。いつしか、華やかなりし梢も、緑の色に様(やう)変はりて、霞のかねたる御空に続きて見ゆるも、かぎり知られぬは、物思ひになぞらへつべし。海は御目の下に見えて、<海人の苫屋に、波のうち越すにや>と、あやしみ思すに、阿闍梨の、「垣根つづきの卯の花こそ」と、のたまはすに、うち笑ませ給ひて、「げに、時鳥の声も、谷の底にも聞こゆなる。雲居の空にとこそ詠みなれ給へるものを、何ごとも変はり行く世にこそありけれ」と、のたまひかはす。
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

 かかるさわぎのほどなれば、経沙汰もいよいよきげんあしき心ちして、津島のわたりといふことをして、大神宮にまゐりぬ。卯月の初めつかたの事なれば、なにとなく青みわたりたる木ずゑも、やうかはりておもしろし。まづ新宮にまゐりたれば、山田の原の杉のむらだち、ほととぎすのはつねを待たんよりも、ここをせにせんと、かたらはまほしげなり。
(問はず語り~岩波文庫)

薄暮に鈴鹿の關屋にとまる。上弦の月、峯にかかり、虚弓いたづ らに歸雁の路に殘る。下流の水、谷に落つ、奔箭すみやかにして虎に似たる石にあたる。ここに旅驛やうやくに夜をかさねて、枕を宿縁の草に結び、雲衣、曉さむし、蓆を岩根の苔にしく。
(海道記~バージニア大学HPより)

四月九日にぞ、上この御方へ渡りはじめさせたまふべかりける。御更衣の御几帳、みな卯の花の織物三襲にてせさせたまへり。女房の局、細殿や、局々の有様どもも、好みことさらめきたり。女房たち、撫子をぞ織り重ねたる。
(栄花物語~「新編日本古典文学全集」小学館)

 頃は卯月上旬の事なるに、遅桜散る木の下(した)は寒からで、空に知られぬ卯の花の、雪は御庭に散り敷きて、山ほとゝぎす村雨に、濡れてさ渡る折節に、雲上の管絃講は半也。
(謡曲「文学(もんがく)」~岩波・新日本古典文学全集59)

田中うちすぎ民宅うちすぎて遙々とゆけば、農夫ならび立ちて荒田を打つ聲、行雁の鳴きわたるが如し。(田を打つ時はならび立ちて同じく鋤をあげて歌をうたひてうつなり)卑女うちむれて前田にゑぐ摘む、思はぬしづくに袖をぬらす。そともの小川には河添柳に風たちて鷺の蓑毛うちなびき、竹の編戸の垣根には卯の花さきすさみて山ほととぎす忍びなく。
(海道記~バージニア大学HPより)

 七日、市腋をたちて津島のわたりといふ處、舟にて下れば、蘆の若葉、青みわたりて、つながぬ駒も立ちはなれず。菱の浮葉に浪はかくれども、つれなき蛙はさわぐけもなし。取りこす棹のしづく、袖にかかりたれば、
さして物を思ふとなしにみなれざをみなれぬなみに袖はぬらしつ
 渡りはつれば尾張の國に移りぬ。片岡には朝日の影うちにさして燒野の草に雉なきあがり、小篠が原に駒あれて、なづみし景色、ひきかへて見ゆ。見ればまた園の中に桑あり、桑の下に宅あり、宅には蓬頭なる女、蠶簀に向ひて蠶養をいとなみ、園には潦倒たる翁、鋤をついて農業をつとむ。おほかた禿なる小童部といへども、手を習ふ心なく、ただ足をひぢりこにする思のみあり。わかくよりして業をならふ有樣、あはれにこそおぼゆれ。げに父兄の教へ、つつしまざれども、至孝の志、おのづからあひなるものか。
山田うつ卯月になれば夏引のいとけなき子も足ひぢにけり
 幽月、影あらはれて旅店に人定まりぬれば、草の枕をしめて萱津の宿に泊りぬ。
(海道記~バージニア大学HPより)

(嘉禎二年)四月八日甲午。暴風雷雨。未剋雹降。其大如柑子。万人驚目。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

九日 甲午。晴 申ノ剋、御所ノ御鞠ナリ。露払ノ已後ニ、将軍家〈御布衣、〉立タシメ御フ。下野ノ前司泰綱、燻鞠ヲ鶏冠木ノ枝ニ付ケテ之ヲ進ズ。行忠入道之ヲ付ク。但シ内内之ヲ解カル、内蔵ノ権ノ頭親家之ヲ置ク。源ノ中納言〈布衣〉難波刑部卿〈布衣〉上鞠一足。中務権ノ大輔教時〈同ジ〉遠江ノ七郎時基〈同ジ〉内蔵ノ権ノ頭親家〈同ジ〉出羽ノ前司行義〈同ジ〉下野ノ前司泰綱 (以下略)
(吾妻鏡【正嘉元年四月九日】条~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 夏 四月八日 灌仏会

2013年04月08日 | 日本古典文学-夏

灌佛の日になりぬれば、我も我もととり出されたり。事はじまりぬれば日御座の御前の御簾おろして人々出でて見る。殿を初めまゐらせて、廣廂の高欄に例の作法たがはず下襲のしりうちかけつつ上達部たち居なみたり。御導師、事のありさま申してみづかく。山の座主こしきのわたる昔にたがはず。御導師水かけて殿参らせ給ひてかけさせ給へれば、次第によりて次々の上達部かく。何事かはたがひて見ゆる。左衛門督・源中納言よりてかくとて、いと堪へがたげに物思ひ出でたるけしきなり。顔もたがふさまに見ゆる、あぢきなく、我もせきかねられて、大方例はとのかたも見じと思ひて御几帳ひきよせて見れば、御前御几帳のかみより御覧ぜんとおぼしめす。御たけのたらねば抱かれて御覧ずるあはれなり。おとなにおはしますには、引直衣(ひきなほし)にて念誦(ねんず)してこそ御帳の前におはしまししか、先づ目だちて中納言にも劣らずおぼゆれば、人目も見苦しうて、おまへ事はてぬにおりぬ。
(讃岐典侍日記~岩波文庫)

卯月の八日はくわん佛なりしに、むろまちの大納言たまはせたる布施に、くれなゐうちの色こゝに花やかなるに、蔦かへで青葉なるをきて、うつの山の心し、さまことにうつくしうて、かねのうちえだにつけたり。人々のは、殿上へいだされてのち、おそくまゐらせたりしを、「大ばん所より職事にたばむに、その人のとて出ださるべき」よし、按察三位殿・兵衞督殿おほせられしこそ、「ことによういあるべくや。」とおぼえて、辨内侍、
傳へきく蔦もかへでも若葉にてまだうつろはぬうつの山道
(弁内侍日記~群書類從)

灌仏率てたてまつりて、御導師遅く参りければ、日暮れて、御方々より童女出だし、布施など、公ざまに変はらず、心々にしたまへり。御前の作法を移して、君達なども参り集ひて、なかなか、うるはしき御前よりも、あやしう心づかひせられて臆しがちなり。
(源氏物語・藤裏葉~バージニア大学HPより)

咲そめし卯月のけふをかそふれはさかり久しき法の花ふさ
(年中行事歌合~群書類従)

夏ごろもかへてほどなきもろ人の竜(たつ)よりいだす水をくむけふ
(「藤原定家全歌集」久保田淳校訂、ちくま学芸文庫)

(承和七年四月)癸丑(八日) 律師伝灯大法師位静安を清涼殿に喚(よ)び、初めて灌仏の仏事を行った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承元二年四月)八日。天晴る。(略)灌仏。御導師、殷富門院を兼ぬるに依り遅参す。良々久しくして出で来たる。即ち、事の由を申す。六角三位一人、布施を取りて着座す。次で、予之を置く。五位院司長季・殿上人実茂・六位蔵人等之を置く。導師着座、例の如し。事了りて、公卿・四位五位各々一人、灌ぎ了りて早く出づ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄二年四月)七日。天晴る。承明門黄門を招請し、灌仏の布施を裹(つつ)ましむ。ミヱダスキの薄物・小単文の裏(白張)。薄物に胡粉を以て、きこえぬ虫の思ひだにと書かしむ。几帳の手を以て、黒き紐を以て之を結び付け、其の中に螢を入るるなり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

八日 己卯 御持仏堂ニ於テ、仏生会ヲ行ハル。荘厳房、参ラル。又将軍家。寿福寺ニ参リ、灌仏ヲ拝ミ給フト〈云云〉。
(吾妻鏡【建暦三年四月八日】条~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 夏 余花

2013年04月07日 | 日本古典文学-夏

二条関白家にて人々残花の心をよませ侍けるによめる 藤原盛房
夏山のあをはましりのをそ桜はつ花よりもめつらしき哉
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

くちのこるはるのいろとややまかけのあをはにしつむはなのうもれき
(夫木抄~日文研HPより)

遅桜のさきて侍けるを見てよめる 後西園寺前内大臣女
何をかは春のかたみと尋まし心ありけるをそさくら哉
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

残花の心を 太上天皇
尋はや青はの山のをそ桜花の残るは春のとまるか
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

夏の歌の中に 院御製
時過て青葉にましるをそ桜春は梢にとまるなりけり
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

余花似春
夏山のしけみかおくにかくろへて春をやとせる花の陰かな
(草根集~日文研HPより)

こけのうへにちりつむ花をかきためてはるのなごりををしむやまざと
(為忠家初度百首~「新編国歌大観4」)

太皇太后宮大弐、四月に開たる桜を折てつかはし侍けれは 京極前関白家肥後
春はいかに契をきてか過にしとをくれて匂ふ花にとはゝや
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

うつきにさけるさくらをみてよめる 紀としさた
哀てふことをあまたにやらしとや春にをくれてひとりさくらん
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

遅桜につけて、人のもとにつかはしける 赤染衛門
山かくれ人はとひこす桜はな春さへ過ぬたれに見せまし
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

後朱雀院の御事を思召歎きて白川殿におはしましける比、四月許に御前の花はちりはてゝ青葉なる梢を御覧して 上東門院
おしまれしこすゑの花は散はてゝいとふみとりの葉のみ残れる
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 夏 四月一日・首夏・更衣(ころもがへ)

2013年04月01日 | 日本古典文学-夏

三月晦に、「惜春心」の文作りて、四月朔になりぬれば、そのつとめての歌よむに
昨日をば花の蔭にて暮らしてき今日こそ往(い)にし春は惜しけれ
(和泉式部続集~岩波文庫)

四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首
卯の花の咲く月立ちぬ霍公鳥来鳴き響めよ含みたりとも
 右一首守大伴宿祢家持作之
二上の山に隠れる霍公鳥今も鳴かぬか君に聞かせむ
 右一首遊行女婦土師作之
居り明かしも今夜は飲まむ霍公鳥明けむ朝は鳴き渡らむぞ [二日應立夏節 故謂之明旦将喧也]
 右一首守大伴宿祢家持作之
明日よりは継ぎて聞こえむ霍公鳥一夜のからに恋ひわたるかも
 右一首羽咋郡擬主帳能登臣乙美作
(万葉集~バージニア大学HPより)

廿四日應立夏四月節也 因此廿三日之暮忽思霍公鳥暁喧聲作歌二首
常人も起きつつ聞くぞ霍公鳥この暁に来鳴く初声
霍公鳥来鳴き響めば草取らむ花橘を宿には植ゑずて
(万葉集~バージニア大学HPより)

 四月のついたちの日殿上人山里へいきて郭公をまつ
みやこ人まつをもしらて郭公月のこなたにけふはなかなん
(実方朝臣集~群書類従14)

先帝の御とき卯月のついたちの日うくひすのなかぬをよませ給ひける公忠
春はたゝ昨日はかりを鶯のかきれることもなかぬけふかな
となむよみたりける
(大和物語~バージニア大学HPより)

四月朔日よみ侍ける もとすけ
春はおし郭公はたきかまほしおもひわつらふしつこゝろかな
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

四月ついたちの日よめる 和泉式部
桜色にそめし衣をぬきかへて山郭公けふよりそまつ
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 持統天皇御歌
春過て夏きにけらし白妙の衣ほすてふあまのかく山
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

冷泉院の東宮におはしましける時、百首歌たてまつれとおほせられけれは 源重之
花の色にそめしたもとのおしけれは衣かへうきけふにもある哉
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

ころもをはひとへにかふるけふもなほはるのをしさはかさねてそおもふ
(実国家歌合~日文研HPより)

更衣の心を 前大納言忠良
桜色の花の袂をたちかへてふたゝひ春の名残をそ思ふ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

夏の歌の中に 従二位宣子
なれきつる花の香おしき衣手を今日たちかへて夏はきにけり
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

家に五首歌よみ侍けるに、同し心(更衣の心)を 等持院贈左大臣
昨日にも空はかはらてもろ人の衣の色に夏は来にけり
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

かくて、四月一日に君だち帰りたまふ。吹上の宮より出で立ちたまふ。その日の饗、常よりも心殊なり。君だち、唐の花文綾の綾の直衣、綾の■(いとへん+兼:かとり)の下襲、薄物の青色の指貫、白襲の綾の細長一襲づつ奉る。
 かくて、御折敷前ごとに参り、机十前ごとに立て並べて、かはらけ始まり御箸下りぬ。御前に舞台結ひ、握打つ。
 かかるほどに、国の守のぬし、今日出で立ちたまふなりとて、行く先にとまりたまふべき御こと設けしに遣はして、みづからは吹上の宮に、国の官率ゐてまうでたまへり。
かくて、ものの音など、惜しむ手なくかき合はせて遊ばしつつ、日高くなりゆけば、急ぎたまふ折に、あるじの君、かはらけ取りてかくのたまふ。
  語らはぬ夏だにも来る今日しもや契りし人の別れ行くらむ
少将、
  かへるとも君を恋ふべき衣をや着れども夏は薄き快を
侍従、
  たち返り会はむとぞ思ふ夏衣濡るなる袖も乾きあへぬに
良佐、
  夏衣今日たつ旅のわびしきは惜しむ涙も漏るるなりけり
(略)
とて、かはらけ度々になりぬ。
かかるほどに、贈り物、引出物、設けたる数のごと奉りたまふ。御馬ども飾り装束きて、闕腋の衣着たる御厩の人ども、馬一つに二人つけつつ、駒形先に立てで、、駒遊びしつつ出でて、次々にみな引き並べたり。かくて、物負ほせたる馬どもは遅れて出でて、かかる引出物の折ごとに、乱声し舞す。
(宇津保物語~新編日本古典文学全集)

 山吹の咲きそむるより、もの言はぬものから、暮れ行く春の色を知らせ顔なるに、山時鳥の、ほのかなるに、<今日は衣を替ふる日>と、思し出でて、
 春過ぎて夏はきぬれどいたづらにぬぎこそかへね波の濡れ衣
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

壁代もみすにそへたるうす物も今朝立ちかへて袖や涼しき
(草根集~日文研HPより)

四月になりぬ。更衣の御装束、御帳の帷子など、よしあるさまにし出でつつ、よろづに仕うまつりいとなむを、「いとほしう、すずろなり」と思せど、人ざまのあくまで思ひ上がりたるさまのあてなるに、思しゆるして見たまふ。
(源氏物語・明石~バージニア大学HPより)

夏の御方より、御衣更の御装束たてまつりたまふとて、
「夏衣裁ち替へてける今日ばかり古き思ひもすすみやはせぬ」
御返し、
「羽衣の薄きに変る今日よりは空蝉の世ぞいとど悲しき」
(源氏物語・幻~バージニア大学HPより)

(建暦二年四月)二日。天晴る。少将白重を着し、修明・陰明両院、内裏に出仕せしむ。申の時許りに帰り来たる。仰せに依り、衣冠を着して帰参す。宗宣・棟基、白重を着して出仕と云々。近代非職の雲客、一人も更衣する者無し。無慙と謂ふべし。更衣、又習礼有るべきか。然らざれば、永く此の事有るべからず。平座、今日之を行ふと云々。更衣の御装束、同じく今日と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)