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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

水上月

2013年09月16日 | 日本古典文学-和歌-秋

石ばしる滝つ岩ねの秋の月やどるとすれど影もとまらす(続拾遺和歌集)

おちたぎつはやき川瀬にやどりてもながれぞやらぬ秋の夜の月(嘉元百首)

てる月のひかりさえ行く宿なれは秋の水にも氷ゐにけり(金葉和歌集)

天河(あまのがは)雲のみを行く月影をせき入れてうつす宿の池水(続後撰和歌集)

池水にうつれる影ものどかにて秋の夜すがらすめる月かな(新拾遺和歌集)

にごりなく千世をかぞへてすむ水に光をそふる秋の夜の月(後拾遺和歌集)

水のおもに月のしづ むをみざりせばわれひとりとや思ひはてまし(拾遺和歌集)

さもこそは影とどむへき世ならねど跡なき水に宿る月哉(千載和歌集)


古典の季節表現 秋 秋の月

2013年09月14日 | 日本古典文学-秋

望月のくまなきを千里の外まで眺めたるよりも、曉ちかくなりて待ち出でたるが、いと心ぶかう、青みたるやうにて、深き山の杉の梢にみえたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴、しらがしなどのぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらん友もがなと、都戀しう覺ゆれ。
(徒然草~バージニア大学HPより)

月歌の中に 藤原定宗朝臣
出るより雲もかゝらぬ山のはをしつかにのほる秋の夜の月
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

むらくもやつきのくまをははらふらむはれゆくたひにてりまさるかな
(散木奇歌集~日文研HPより)

崇徳院に、百首歌たてまつりけるに 左京大夫顕輔
秋風にたなひく雲の絶まよりもれ出る月の影のさやけさ
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

寛元々年九月十三夜、西恩寺入道前太政大臣真木島にまかりて、月十首歌よみ侍ける時 常盤井入道前太政大臣
長き夜をねぬに明ぬと諸人のいふはかりなる秋の月影
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

九月十四日、殿の上表也。ことゞもはてゝ、夜ふくるほどにまゐらせ給ひて、「あまりに月のおもしろきに、女房たちさそひて、月み侍らむ。」とて、南殿・つりどのなどの月御覽ず。「かやうの月のよは、むらかみ一條院の御ときは、わかきかんだちめ・殿上人など、いまやううたひ、ど經あらそひなど侍りけるに、まゐりてあそぶ人のなき、いとこそくちをしけれ。こよひのばんの人はたれか候ひつる。」ととはせ給へば、「萬里小路大納言たゞいまゝで候ひつるものを。いましばし。」など申しいでゝくちをし。すけよしといふ六位めし出て、月みるべきやうなどをしへさせ給ふも、いとをかし。あかつきがたにもなりにしかば、御ちよくろへいらせ給ひしに、兵衞督どの、「御なごり申さばや。」とあらまして、辨内侍、
いざといひてさそはざりせば久方の雲ゐの月を誰か詠めむ
(弁内侍日記~群書類從)

秋の月あかき夜、
名にたかき二夜のほかも秋はたゞいつもみがける月の色かな
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

さきそむるまかきのきくのはなの色にまかひてすめる秋のよの月
うつりゆくまかきのきくのしものうへにかさねてさゆる夜半の月かけ
(建治元年九月十三日・摂政家月十首歌合~日文研HPより)

閑庭露といへることをよませ給うける 後伏見院御製
浅茅原はらはぬ庭の露のうへに心のまゝにやとる月哉
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

文永七年八月十五夜、五首歌めされしついてに、野月をよませ給うける 法皇御製
見るまゝに心そうつる秋萩の花野の露にやとる月かけ
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

野月
我かままに野守はみるや秋の月草のいほりを露にまかせて
(宝治百首~日文研HPより)

建長二年八月十五夜、鳥羽殿にて、池上月といへることを講せられけるにつかうまつりける 冷泉前太政大臣
池水にますみの鏡影そへてちりもくもらぬ秋の夜の月
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

建仁元年八月十五夜和歌所撰歌合に、河月似氷といへることを 嘉陽門院越前
月影は氷とみえてよし野河岩こす浪に秋風そふく
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

月歌とて 西行法師
いつことてあはれならすはなけれともあれたる宿そ月やさやけき(イ月はさやけき)
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

 (述懐)右大臣家歌合、月前述懐 経家朝臣
月みれば雲井はるかにすみのぼる心ばかりは人におとらじ
(言葉集~新編国歌大観10)

もろこしにて月をみてよみける 安倍仲麿
あまの原ふりさけみれはかすかなるみかさの山に出し月かも
このうたは、むかしなかまろを、もろこしに物ならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへてえかへりまうてこさりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるにたくひて、まうてきなんとていてたりけるに、めいしうといふ所のうみへにて、かのくにの人むまのはなむけしけり、よるになりて月のいとおもしろくさしいてたりけるをみてよめるとなんかたりつたふる
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

月の前に思ひをのふといふこゝろをよみ侍ける 藤原実綱朝臣
いつとてもかはらぬあきの月みれはたゝいにしへの空そ恋しき
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

これさたのみこの家の歌合によめる 大江千里
月みれはちゝに物こそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねと
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

後京極摂政百首歌よませ侍けるに 小侍従
いくめくり過行秋にあひぬらんかはらぬ月の影をなかめて
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

百首歌奉りしとき、秋歌 二条院讃岐
むかし見し雲ゐをめくる秋の月今いくとせか袖にやとさむ
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

みしよりもすゑはすくなくなりにけりとおもふもおなじ秋のよの月
(193・逸名歌集-穂久邇文庫~新編国歌大観10)

八月十五夜、月御歌の中に 亀山院御製
いくほとゝ思へはかなし老の身の袖になれぬる秋の夜の月
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

題不知 正三位家隆
老ぬれはことしはかりと思ひこし又秋の夜の月をみるかな
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

憂き事も恋しき事も秋の夜の月には見ゆる心地こそすれ
(和泉式部集~岩波文庫)

なかむれはこころそいととすみわたるくもりなきよのあきのつきかけ
(寛治五年十月十三日・従二位親子歌合~日文研HPより)

月のくまなき夜よみ侍ける 選子内親王
心すむ秋の月たになかりせは何をうき世のなくさめにせん
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

月の歌とて 崇徳院御歌
見る人に物の哀をしらすれは月やこのよの鏡なるらん
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

かしらおろさむとて出でけるに、柱に書き付けける あづまの武士(もののふ)
限りぞと思ひ入りぬる山路にも月や変らぬ友となるべき
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

なにこともおもひすててしみなれともつきはなほこそなかめられけれ
(万代集~日文研HPより)


古典の季節表現 秋 九月十三夜

2013年09月13日 | 日本古典文学-秋

九月十三夜によめる 賀茂まさひら
暮の秋ことにさやけき月影は十夜にあまりてみよとなりけり
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

なかつきや月かけきよしとをかあまりくもらぬみよのあきのしるしに
(建治元年九月十三日・摂政家月十首歌合~日文研HPより)

顕季卿の家にて九月十三夜人++月の歌よみけるに 大宰大弐長実 
くまもなくかゝみとみゆる月影に心うつらぬ人はあらしな/(イくまもなき)
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

なにたかきあきのなかはのかけよりもなほなかつきのなかのみかつき
(住吉社法楽和歌~日文研HPより)

九月十三夜
雲きえし秋のなかばの空よりも月はこよひぞ名におへりける
(山家和歌集~バージニア大学HPより)

 十三夜月
さきまくり今ふたよをはみてすしてくまなき物は長つきの月
かそふれはもちにふつかはたらねとも光は空にみてる月かな
もち月に今宵の月をくらへはやいつれか空のはれまゝさると
昔よりなになかれたる長月のつきすみにけりあまのかはせに
いかなれはみたぬ今宵の月影のむかしのよゝりくまなかる覧
もちをのみ盛りと見るに長月は二夜もたらてくまなかりけり
(丹後守為忠朝臣家百首~群書類従11)

 清涼殿の南のつまにみかは水なかれいてたりその前栽にさゝら河あり延喜十九年九月十三日に賀せしめ給ふ題に月にのりてさゝら水をもてあそふ詩歌心にまかす
もゝ敷の大宮なから八十島をみる心ちするあきのよのつき
(躬恒集~群書類従15)

後冷泉院御時、九月十三夜月宴侍りけるに、よみ侍りける 大宮右大臣 
すむ水にさやけき影のうつれはやこよひの月の名になかるらん
(千載集~日文研HPより)

九月十三日月のよのつねならぬに御あそびあり。二ゐ中なごんさうのこと。もろかたのべんわごん。まさながの少将ふえなどいとおかし。夜ふくるまゝに。月すみのぼりやりみづのれいよりはひろくながれたる。いとおかし。うちおほとの御としのほどよりもいとのどやかにおとなしく。はづかしげにものせさせ給。御さ えなどもおはしまし。さるべきおり++のおほやけごとなどにも。としおとなひ給へる人だに。をのづからあやまり給こともあるに。ことのさほうなどめでたくめやすくせさせ給とて。おとなひ給へる。かんたちめなどめで申給。御かたちいときよげにけたかき御ありさまなり。としいゑの二ゐ中なごんいとはなやかにきよげに。かたち人$とみえ給へり。ほりかはの右のおほとのこそは。かたちのなとり給へりしかば。このとのばらもみないとよくものし給なるべし。うちおほとの
  冬ならでさやけき月にたきつせは音はせね共こほりしにけり。
              二ゐ中なごん〈としいゑ〉
すむみづにさやけきかけのうつれはやこよひの月のなになかるらん。
              中なごん〈よしなが〉
ちよまてにすむべき水のなかれには月ものどけくやどるなりけり
いはまよりなかるゝみづの月かけのうつれるさへそさやけかりける。
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

 九月十三夜、ことわりのまゝに晴れたりしに、親長の、物の沙汰などひまなくして、うちあけたるけしきもなくて、きとひきそばめ、はかなき物のはしにかきて、わかき人びと大盤所にありし中を、かきわけかきわけうしろのかたによりて、ふところよりとりいでて、たびたりし、
名にしおふよをなが月の十日あまり 君みよとてや月もさやけき
 かへし
名にたかきよをなが月のつきはよし うき身にみえばくもりもぞする
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

九月十三夜人のもとにまかりて、夜もすから物語して侍けるつとめて、「あかさりし君かなこりに久堅の月を入まてなかめつるかな」といひをこせて侍けるかへりことに 基俊
我もしかあかてかへりし月影の山の端つらきなかめをそせし
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

 道すがらも、あはれなる空を眺めて、十三日の月のいとはなやかにさし出でぬれば、 小倉の山もたどるまじうおはするに、一条の宮は道なりけり。(略)月のみ遣水の面をあらはに澄みましたるに、大納言、ここにて遊びなどしたまうし折をりを、思ひ出でたまふ。
 「見し人の影澄み果てぬ池水にひとり宿守る秋の夜の月」
 と独りごちつつ、殿におはしても、月を見つつ、心は空にあくがれたまへり。
(源氏物語・夕霧~バージニア大学HPより)

崇光院しはらく南山にわたらせ給うけるころ、九月十三夜、行宮に侍て都の月を思ひやりて、後八条入道前内大臣のもとに申つかはしける 儀同三司
長月や月も更ぬる影みえて身をあきはつるみ山への奥
返し 後八条入道前内大臣
なか月やうき世を秋の月みても深きみ山を思こそやれ
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

淀の渡りをし給ひしより、日数を指折らせ給ひければ、げにも十三夜にてありけり。「年頃、心に懸かりつる浦の名を問はざらましかば、ただにこそ過ぎなまし」とて、
  名にしおふ明石の浦に旅寝してしかも今宵の月を見るかな
<さこそ故郷(ふるさと)にも今宵の月を見るらん>と、思し出づるにぞ、さやけき影もかき曇りにき。
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

久しく年へて都に帰りのほりて侍ける九月十三夜、月くまなかりけるに、むかし物申ける人の許につかはしける 平泰時朝臣
みやこにて今もかはらぬ月影にむかしの秋をうつしてそみる
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

後冷泉院おはしまさでのち九月十三夜四条宮に参りて式部命婦と夜ひとよ昔のことなど申して 藤原清家朝臣
夜もすがら思ひや出づる古にかはらぬ空の月を詠めて
返し 式部命婦
雲の上の月の光はかはらねど昔の影はなほぞ恋しき
(続詞花和歌集~校註国歌大系)

安嘉門院、御いみにこもりて侍ける九月十三夜、藤原道信朝臣月みるよし申て侍けれは 前権僧正教範
今夜とて涙のひまもなき物をいかなる人の月をみるらん
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

九月十三夜に、をはりをとりける時、みつから書ける歌 妙宗法師
あきらけき今夜の月にさそはれてむなしき空に今帰ぬる
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

九月十三夜に成ぬ。今夜は名を得たる月也。秋も末に成行ば、稲葉を照す雷の、有か無かも定なく、荻の上風身にしみて、萩の下露袖濡す。海士の篷屋に立煙、雲井に昇面影、葦間を分て漕船の、波路遥(はるか)に幽也。十市の里に搗砧、旅寝の夢を覚しけり。よわり行虫音、吹しをる風の音、何事に付ても藻にすむ虫の風情して、我から音をぞなかれける。更行秋の哀さは、何国もと云ながら、旅の空こそ悲けれ。冷行月にあくがれて、各心を澄しつゝ、歌をよみ連歌せられけるにも、都の恋しさあながち也。会紙を勧めけるに、寄月恋と云題にて、薩摩守忠度、
  月を見しこぞのこよひの友のみや都に我を思ひ出らん
修理(しゆりの)大夫(だいぶ)経盛
  恋しとよ去年のこよひの終夜(よもすがら)月みる友の思ひでられて
平(へい)大納言(だいなごん)時忠
  君すめば爰も雲井の月なれどなほ恋しきは都なりけり
左馬頭(さまのかみ)行盛
  名にしおふ秋の半も過ぬべしいつより露の霜に替らん
大臣殿
  打解けて寝られざりけり楫枕今宵の月の行へ清まで
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

(建仁二年九月)十三日。朝、天漸く晴る。雲靄。悉く尽く。夜、月清明なり。巳の時許りに参上す。人々多く雁衣を着す。左大臣殿、御早参あるべしと云々。午終許りに、布衣を着して、頻りに彼の御参りを相待たる。遊女の宿屋を以て、彼の御休息所となす。時刻漸く移る。申始許りに、御参りと云々。僧正御房先づ参じ給ふ。次で大臣殿(御車)・有家・資家御共して、直ちに弘御所に参ぜしめ給ふ。入道殿、早く参じ給ふべき由、仰せ事あり。頻りに其の由を申す。御参りの後、出でおはします。十五首の恋歌を合せ講ぜらる。予、例の如くに之を読む。漸く秉燭に及ぶの後、評定了り、当座の題を出ださる。小瘡の灸治、旁々術無し。題。月前秋の嵐、水路の秋月、暁月に鹿の声。詠じ出だし了り、仰せに依りて又之を読み上ぐ。又折り句あり(じうさむや)。十三夜、詠じ出し了りて、又之を読み上ぐ。又隠し題あり。みなせがは。又詠じ出し、読み上げ了りて、入りおはします。人々退出す。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建永元年九月)十三日。朝、小雨。天陰る。未後に晴る。参上す。出でおはしまし了りて退下す。酉の時に帰参す。庭に於て御小弓あり。雅縁僧正、御前に候す。十三夜、雲畳(たた)み、月黒し。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(寛喜三年九月)十三日。夜より雨降る。辰の時許りに休む。終日天陰る。日入るの後、雲僅に分る。月巳に及びて忽ち晴に属す。
 凉秋九月々方(まさ)に幽なり 況んや寂閑の人旧遊を憶ふをや
 良夜清光の晴れ未だ忘れず 当初の僚友往きて留まる無し
 眠らず臥さず謫居の思ひ 誰か問ひ誰か知らん沈老の愁ひ
 白露金風爰に計り会ひ 満袂袖を吹きて涙浟々(てきてき)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)


古典の季節表現 九月九日 重陽

2013年09月04日 | 日本古典文学-秋

重陽宴
九重に千代をかさねてかさすかなけふをりえたる白菊の花
長月の菊の杯九重にいくめくりともあきはかきらし
九重に久しくめくれもろ人の老いせぬ秋の菊のさかつき
菊の花けふ九重にかさしてそ老いせぬほとの色もみすへき
長月やけふをる菊の花のえに万代ちきる雲の上人
(宝治百首~日文研HPより)

  重陽
菊紅葉おなじく氷魚を取添てけふ給なり御酒のさかつき
(年中行事歌合~群書類従6)

君が経(へ)ん千代のはじめの長月の今日九日の菊をこそ摘め
(和泉式部集~岩波文庫)

弘安七年九月九日、亀山院にて、籬菊露芳といへる事を講せられけるに、いまたみこのみやと申ける時奉らせ給ける 伏見院御製
咲にほふきくのまかきの夕風に花の香やとす袖のしら露
弘安七年九月九日、亀山院に、籬菊露芳と云事を講せられけるに、位におましましける時奉らせ給ける 後宇多院御製
千世ふへききくの籬に色そへて花ゆへかほる秋のしら露
 前大納言為兼
秋ふかき籬の露も匂ふなり花よりつたふ菊のしつくに
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

九月八日、中宮の御かたより、菊のきせわたまゐりたるが、ことにうつくしきを、朝がれゐの御つぼの菊にきせて、夜のまの露もいかゞとおぼえわたされて、おもしろく侍りしかば、辨内侍、
九重やけふこゝぬかのきくなれば心のまゝに咲かせてぞみる
(弁内侍日記~群書類從)

九月九日は、曉がたより雨少し降りて、菊の露もこちたくそぼち、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされたる。つとめては止みにたれど、なほ曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたるもをかし。
(枕草子~バージニア大学HPより)

九月九日に菊のわたおほひたり
花の香をけさはいかにそ君か為まゆひろけたる菊の上の露
(忠見集~群書類従15)

九日、綿覆(おほ)はせし菊をおこせて、見るに露しげければ
をりからはおとらぬ袖の露けさを菊の上とや人の見るらん
(和泉式部続集~岩波文庫)

九日、菊の綿を、兵部のおもとの持て來て、「これ、殿の上の、とり分きていとよう、老拭ひ捨て給へと、のたまはせつる」とあれば、
菊の露わかゆばかりに袖ふれて花のあるじに千代はゆづらむ
(紫式部日記~バージニア大学HPより)

貞観三年九月九日庚辰、重陽の節。天皇、前殿に御(おは)せず、殿庭に於いて菊酒を親王以下侍従以上及び文人に賜(たま)ひき。酣飲(かんいん)して詩を賦し、勅して題を賜ふ。云はく、「菊暖(あたゝか)にして未だ開かず」と。日暮れて禄を賜ふ。各(おのおの)差(しな)有りき。
(「訓読日本三代実録」~臨川書店)

弘仁三年九月甲子(九日)
天皇が神泉苑へ行幸して侍従以上の者と宴を催した。女楽を奏し、文人に命じて詩を作らせ、五位以上の者と文人に身分に応じて禄を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

承和四年九月己巳(九日)
天皇が紫宸殿に出御して、重陽節の宴を催した。文人に命じてともに「露重なり菊花が鮮やかである」の題で詩を賦させた。宴が終了すると、差をなして禄を賜った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

承和八年九月丙子(九日)
天皇が紫宸殿に出御して公卿以下、文人以上の者と宴を催した。ともに「鳩が鷹になる」の題で詩を賦し、宴が終了すると禄を賜った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

長保元年九月九日。
天皇の御前において掩韻が行なわれた。右中弁が綸旨を承って、平中納言を召した。菊酒を侍従に下給するよう命じた。天皇の出御は無かった。通例によって行なった。しばらくして、内大臣(藤原公季)が参られた。すぐに退出した。「菊酒については、下臈が承って行なう」と云うことだ。また、右大臣(藤原顕光)が参られた。中納言は、(源)頼貞を介して、右大臣が参入したので、菊酒については上臈が申し行なうよう奏上させた。天皇がおっしゃって云ったことには、「申請によれ」と。御前において作文会が行なわれた。題は、「草樹は秋声を減じる」と。聞を韻とした。七言六韻であった。左右大臣〈以上は絶句。〉・宰相中将以下の侍臣が、詩を献上した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

九日 壬子 重陽ノ節ヲ迎ヘ、藤ノ判官代邦通、菊花ヲ献ズ。則チ南県ノ流レヲ移シ、北面ノ壷ニ栽エラル、芬芳境ヲ得テ、艶色籬ニ満ツ。秋毎ニ必ズ此ノ花ヲ進ズベキノ由、邦通ニ仰セラル。又一紙ヲ花ノ枝ニ結ビ付ク、御披覧ノ処ニ、絶句ノ詩ヲ載スト〈云云〉。
(吾妻鏡【文治二年九月九日】条~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 九月

2013年09月02日 | 日本古典文学-秋

九月
野分の風すさまじくすゝきはほに出てなにのたゝちにたれをかまねくらん
萩の葉かれゆきて蝉(せみ)のもぬけたる又あはれなり
咲つゝく菊のまがきは露うるはしくみえわたりてひときはのながめぞかし
もろこしの慈童(じどう)が菊のながれによはひをのべて七百歳(さい)をへしかどもかたちはただ十六七なり
ほうそといへる仙人(せんにん)になりけん
それよりこのかた菊を延年草(ゑんねんさう)と名づく
陽九(やうきう)といふは九月九日
これ大陽の日にして菊の酒をのむときはかならずやまひをのがるゝとかや
されば我朝(てう)には賀(か)州(しう)に菊酒(きくざけ)あり
むかしは菊の山ありて谷水なだれ出たるをさけにつくりてのみけん
人みな一百二百のよはひをたもちてやまひなかりし
そのためしよりいまにつたはる名物也
(佛教大学図書館デジタルコレクション「十二月あそひ」より)