頭がクラクラしています。
嗚呼、あのまま軽井沢に滞在していたかった。
午前中は賑やかな蝉時雨でしたが、暑い日中はぴたっとやんでいます。
蝉すらもこの酷暑にお昼寝中なのでしょうか?
2週間ほど続いた戻り梅雨のような不安定なお天気の後に、再び暑さが襲ってきて
身体の調子も乱れがちです。
朝からクーラーを入れる日々・・・
電力事情も気になりますが、まずは熱中症予防が大事と、
室内温度を28度に設定し、扇風機も回してふぅ~ふぅ~言っています
先日の豪雨で多くの水力発電所が破壊された東北電力の電力事情が危ういらしいですね。
火力発電所の運転が充実してきた東京電力が、一部を電力供給をしているとか・・・
暑さの中、被災地の皆さまの苦労を考えると、協力し合わねばと思い、
私は通販で買ったひんやりタオルを首に巻いたりしていますが。。。
8月4日、「高ポッチ高原・鉢伏山」ハイキングを楽しんでから、
長野自動車道を通り、宿の有る軽井沢に向いました。
途中、軽井沢の隣町「東御市」の「海野宿」(うんのじゅく)に寄りました。
山には雲がかかっていますが、下界は快晴
30度を越える暑さの中を歩いて、北国街道の宿場町を見学しました。
まず「海野宿」のことをこちらでお勉強
寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された海野宿。
道の中央を流れる用水 | 格子戸のはまった美しい家並み |
江戸時代の旅籠屋造り | 賑わいを見せた往時が偲ばれます |
北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道(信州追分から越後の直江津まで)で、
佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、
江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くあったそうです。
「海野格子」と呼ばれている格子は江戸時代のもので、2階の出格子に見られます。
長短2本づつ交互に組み込まれ、海野宿特有の美しい模様を織りなしています。
堅牢な造りの蔵 | 旅籠屋の格子戸が美しい・・・ |
宿場時代の建物としては、出桁造りの旅籠屋(一般の人が泊まる旅館)や、
防火壁の役割を果たしている立派な卯建の立っている家もあります。
「気抜き」は明治時代の蚕室造りの象徴です
「本うだつ」は江戸時代のもの、「袖うだつ」は明治時代のもの・・・
どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。
このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生れています。
左奥が「本うだつ」、右側が「袖うだつ」
江戸時代の寛政年間(1790年頃)に建てられた建物がそのまま
「海野宿資料館」になっていました。
200円を払って入ります。
入るとすぐに目についた「お雛様」
毎日見ているNHKの朝のドラマ、信州を舞台にした「おひさま」で観たばかり
紙でできた「押し絵雛」というらしい・・・
海野宿特有の建物内に | 宿場の風土・歴史・資料が展示されてます。 |
養蚕農家の特徴も備えている資料館 | 海野宿は交通の要所であったらしい |
資料館母屋の裏庭には、「市の神様」や養蚕用の小屋なども並んでいました。
江戸時代の「海野宿」は商業も栄え、月に5回も市が開かれたようですね。
大きな構えの店横には、馬用の「塩なめの石桶」が置いてありました。
こちらは本陣跡・・・
賑やかだった往時が偲ばれます。
明治時代になると宿場の機能は失われ、本陣・脇本陣は衰微し、建物も大部分を失いましたが、
その他の家は広い部屋を利用して養蚕・蚕種業を始め、
そのため旅籠屋の建物はそのまま残される結果となりました。
海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、
昭和61年には「日本の道百選」に、
62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。
(以上、東御市観光協会のホームページを参考にさせて戴きました)
中山道の馬篭や妻籠の宿に負けないくらいの立派な街並みが保存されているのに
観光客の少ないことに驚かされました。
私もブログ仲間のekoさんがUPなさった画像を見るまで知りませんでした。
お土産屋さんがにぎやかに並ぶ派手さはありませんが、観光地としてお薦めです。
海野宿の一番東側、専用駐車場(300円)のすぐそばに「白鳥神社」が建っています。
白鳥神社は上田城主の真田氏からもあつく崇敬されました。
この神社は真田氏のルーツの海野一族の氏神とされ、この辺りが海野氏の本拠地でした。
御神木のケヤキの巨木が見事ですね。
山岡荘八の小説「徳川家康」を何度も読み返している主人は
「真田幸村」の事にはとても詳しい・・・
「翌日時間があったら、是非上田城跡公園にも行こう」
今年のNHKの大河ドラマ「お江」は、今まではあまり観ていませんでしたが
最近江姫が三番目の夫、徳川秀忠に嫁いでから俄然面白くなりました。
関が原の戦いでは真田家も関わってきますね。楽しみ!楽しみ!
ここは叉、木曽義仲挙兵の地でもあるようです。
来年のNHKの大河ドラマは「平の清盛」だそうで、こちらも関わってきますね。
楽しみにしていますよ。
神社の前は「千曲川」が流れていました。
川の畔には「白鳥桜」と名づけられた桜の並木が続いていました。
ここは春の桜の季節に訪ねるのが良いかも知れませんね
北国街道ですね。よく覚えておきます。我家の近くには東山道と鎌倉街道がありましたが、このような街並みが残っているところはありません。大河ドラマゆかりの地でもあり、是非訪ねて見たいですね。ご紹介ありがとうございました。
小諸城址にはこの時期撮るものが無いからと、急遽海野宿に変更になり、45分ぐらいの撮影時間だったので、私の見ていないものが沢山あり、びっくりしています。
一番目の写真等とても好い構図ですね。
私が迷って撮りきれない所を、ビッシと決めて、お上手だなと思います。
撮る所のつぼは決めていますもの。
凄いです~~
ディテールにばかりこだわって、何していたんだろうと、後悔しています。
とても、教えられました。
有難うございました。
>佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、
そのような歴史の街道立派ですね。
卯だつ街並み、は愛媛は大洲(ドラマおはなはん)撮影場所近くにありますが、
「海野宿」は広さと言いますか、大きさが違っています。
観光化されないのも維持が大変でしょうね。
それに引き換え、この「海野宿」は観光客の姿も少なくてとても静かでした。
目の前が千曲川・・・
この街道は、小諸・上田と続いています。
関が原の合戦に駆けつける徳川秀忠を迎え撃ち、足止めさせた真田氏のお話しは有名ですね。
テレビドラマでも、そこのところが出てくるでしょうか?
カメラ教室での撮影会で写すのと、個人で観光に出かけて写すのとでは、気持ち的に全然違うような気がします。
まして連れ合いがいたらジックリ撮影は無理ですね。
歩きながら手当たり次第にバシバシと撮っただけなのですよ。
三ヶ月、計6回ほどカメラ教室に通って感じた事は「ドラマがある画像」が大切なのかも・・・
と言うことです。
私はまだまだ遠く及ばす・・・
結局旅行案内の説明文の添え物的な写真ばかりになりました。
でもとても良い所をご紹介いただき感謝しています。
そして、先日のデジブックへのコメントイとグッドもありがとうございました。
自由に建て替えられないので、維持も大変かと思います。
お土産屋さんやカフェなどのお店に、人が集まれば良いのですが・・・
(妻籠や大内宿などは、それで賑わっていました)
暑い季節なので人の姿が少なかったのかもしれませんが、まだまだ宣伝の余地がありますね。
維持管理は市がやっているのだと思います。
文部省など国からもお金が出ているのでしょう。
軽井沢の近くで便利な所にありますので、気軽に訪ねられる所でした。
萩とか京都など有名所しか見てなかったので、海野宿について、写真入りで勉強させていただきました。
卯建も気抜きもあちこちで見かけますね。
ここの卯建は見事です。
木曾義仲挙兵の地は意外でした。
格子もなかなか美しいです。
歴史を感じさせる街並みが見事に保存されているのですね。
歴史の好きな私にはかなり興味があります。
よく調べられていますね。
「重要伝統的建造物群保存地区」と言うことは
保存にも随分お金も掛かることでしょうし
大変でしょうね。でもこういうところは
何時までも大雪に保存して行って欲しいと思いました。
やはり街道筋には格子造りの家もたくさん
残っていて往年の賑やかさを感じました。
「うだつ」がある家もありました。
北国街道は塩の道とも交わっているようです。
来月から「奥の細道」を歩く予定です。
東北は後回しにしてとりあえず新潟の出雲崎あたり
から西に向かう予定です。
10月には鎌倉街道も再開します。
詳細が決まったらお知らせしますから、ご一緒に
歩きませんか?
いい景色ですね。大好きなんですよ。ありがたや^^♪私と同じね!
ここの名前は知りません。熊川宿と同じです。でも、知られてなくって・・・
妻籠、馬篭宿のような喧騒が有りませんね。ゆったりと出来ましたか!
私は、嬉しくって、楽しくって!楽しめました!モニターテレビのまん前に立ち、拡大鏡をくっ付けて「熊川」って文字を見つけた私!
真田城もわざわざ出かけました。幸い上田にブログ友が出来ました。
彼女は市の観光案内人を努めています。堪能する案内をしてもらいました。
あの時も片道900キロを遠いなんて思わなかったです。帰りは・・・堪えましたよ^^;;
続きを楽しみにしています^^♪