そして今週の始まりも同じく寒くてしぐれています。ユーウツ
それでも、亡き夫が植えた我が家の庭の「ヒュウガミズキ」が咲きだしました。
姫孫のチァーダンスの発表会に遠くまで行ったり、父の三回忌に息子と出席したり
ストレッチ体操やコーラスサークル、写真クラブなどの趣味の会が続く忙しい第二週目でした。
そしてあの悲惨な「東日本大震災」が起きた5年目の3月11日を迎えましたね。
復興はいまだに道半ば・・・
原発事故の収集はいまだメドが立たずにいるようです。
2月中旬から咲きだしている我が家の「マンサク」はそろそろ終わりです。
この一週間、TVなどでも震災の特集番組か流れ・・・
それを観ては5年前を思い出し心が乱れて、涙ぐむ日々でした。
すっかり心がもろくなっています
5年前のあの時のショックは大きかったけど、当時私は今よりずっと気丈でした
夫が遺したたくさんの鉢植えの中から、「姫リュウキンカ」が真っ先に咲きだしました。
雨戸を開けるたびに目にして気づいていたのですが・・・
写真を撮ろうとカメラを持って庭に出た時は、すでに散っていました
ビタミンカラーのお花が、今年は5輪も咲いたのに
上の画像は5年前の3月29日に撮った「姫リュウキンカ」です。
大震災があったあの3月は春の訪れが遅かったのですね。
計画停電があり暖房が使えず、寒さに震えた覚えがあります。
先週は暇な時間を見ては、記録のために残した5年前の3月のマイブログを開いて読んでおりました。
(ご興味のある方はこちらとこちらをどうぞ)
でもあの時は両親も生きていて、夫も元気・・・
未曽有の大津波や世界最高の危険レベルの原発事故に日本はどうなるのか、との不安は募り
物不足や電力不足に生活は振りまわされ途方に暮れましたが
淋しさや孤独感は無かった
今の私は、あの震災で愛する家族を亡くした方々の喪失感と癒えぬ悲しみが良く分かり
TVを見ながら涙します。
そして狭い仮設住宅から広くなった災害公営住宅に移った一人暮らしのお年寄りが
「以前のような隣近所の方々とのお付き合いができずに淋しい」と呟いていたTVの中での姿が
やがて来るかもしれない首都直下型の地震時の私の姿とダブります
ご近所仲間から「クリスマスローズ」をもらいました。
いつまでも夫が遺した花々に思いをはせていても前に進めません。
これからは少しづつ私の庭にしていかなくては・・・
「今年こそ転勤があるかも」と言っていた息子も、今回は移動がありませんでした
息子宅も大きめな物置を買い、水や災害用の品々を準備したそうです。
「親父は物をため込む人だったから、イザとなったら頼るつもりでいたけど」
「お袋一人ではアテにできないから、我が家で準備した」
「災害の時にはお袋が我が家に来ればいい」と言ってくれていますが・・・
地方に転勤で家族ともども居なくなった時に、首都圏直下型地震(今後30年で70%の確率とか)に
遭遇したら、歳とった私は一人でどうなるのぉ~
父の三回忌に弟一家と会食しましたが、その時「おばちゃんも今年70歳」
「お兄ちゃん(息子)が転勤で居なくて、私が一人の時に病気になったり災害に遭遇した時は助けてね」と
三十代独身の二人の姪に頼みましたよ。
(そのために大学卒業まで、誕生祝やお年玉を毎年せっせと渡していたのだわ)
「伯母ちゃんに何かあったら協力するけど、まずはご近所さんと親しくする事が大切よ」と
生意気にのたまう・・・
「私はお婆ちゃん(私の母)と違って、そこはバッチリよ」とは言ったものの
今後はご近所さんも皆高齢化して、自分の事で精いっぱいかも知れない
現に一番頼りにしている「元神奈川県警の刑事さん」だったのんちゃんのご主人が
心臓の手術で入院となりましたわ
地区センター祭りへ
先月の下旬、以前勤めていた地区センターのお祭りに行ってきました。
考えてみると、あの震災があった5年前の三月末で私はスタッフの仕事を卒業したのです
今回は日頃から親しくしているSさんが、我が家の夫が所属していた「男の料理教室」に
彼女のご主人を参加させたいということで、代表の方を紹介するのが目的でした。
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相変わらず手際が悪くて待たされましたが、私が居た頃からもう7~8年も続いている
男の料理のレストランです。
夫が亡くなった折には8人ものお仲間さんが我が家にお線香をあげに来てくれました。
1年半ぶりに会長に会いSさんを紹介し、改めてその節のお礼を言うと
80歳近い会長は「Iさん(夫)は我々の中では一番元気だっただけにいまだに信じられない」と・・・
そして「奥さん、今でも仲間だと思っているから何かあったら声かけて下さい」と・・・
私は涙がポロポロと溢れました。
舞台では各サークルの発表会が催されていました。
私がスタッフをしていた頃は華やかな「フラダンス」のグループが目立ちましたが・・・
(5年前の地区センター祭りの様子はこちらです)
私が以前所属していた「リメイク教室」の作品が並んでいました。
落ち付いたら又通ってみようかなぁ~とも思っていますが、講師の姿は見えませんでした。
以前出展していた「写真の会」の作品は見当たらない・・・
代わりに私の好きな「ユキワリソウ」の鉢が並んでいました。
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裏方仕事で忙しそうなスタッフさんも、顔見知りの方々は3人のみ
すっかり若返っています。
その中に、私より二ヶ月前に64歳のご主人を突然亡くしたNさんの姿がありました。
私と一緒にヨガ教室に所属し、会計をやってくれた後輩です。
今度地区センターの図書室が市の図書館とオンラインで結ばれることになりスタッフを増員
声をかけられ、今年になって舞い戻ったとのこと・・・
彼女はまだ62歳の未亡人、まだまだ若さも美貌もあります
「1年半以上も家で夫を偲んでボオ~と過ごしてきたから疲れて疲れて」
「まだ夜の図書担当が決まらないから、naoさんも戻ってきてよ」と言われ
「私の歳で雇ってもらえるはずないでしょう・・・」
「私も舞い戻った時が貴女と同じ62歳だったわ。仕事をしていた方が心身ともに良いから是非頑張って」
とエールを送りましたよ。
そして反面、もう声をかけられなくなった自分の年齢を痛感し淋しくもありました。
東日本大震災に遭遇した三月末に、仕事を卒業した私の心境はこちらで記しています。
あれから5年経って・・・
私の状況もすっかり様変わりしたことに愕然とさせらた一日でした。
今回の記事では5年前の三月の記事の紹介だらけになりましたが
私の人生の節目にもなった記録が「ブログという形」で残せて良かったと思っています。
1週間にお会いになった人の数、凄いでしょう。
ご自身や亡きご主人様と築かれた友達の輪は普通の人よりかなり広いですね。素晴らしいです。
お庭にはマンサクやヒュウガミズキまであって、早春も花に溢れたお庭ですね。ご主人様がいらっしゃらなくてもちゃんと、お庭を手入れされ、畑までされていて凄いですよ。そういうことも体にいいのでしょうね。
何でも参考になります。
今日は1日中雨の天気でした。
コーラスの後 家に帰りなんだかぼーっとのんびりいた感じです。
nao さんは毎日忙しく行動していらっしゃいますね。
大震災から5年が過ぎ、早いような遅いような何とも言えないそんな日々でした。我が家も塀が倒れ、屋根の瓦はめちゃくちゃに割れ、壁はひびが入りました。
思い出しただけでもいやですね。
福島はまだまだ復興は進んでいませんし、放射能問題は時間がかかりますね。
この5年の間にもいろんなことがあり戸惑うことばかりでした。
主人 実母 義兄 叔母 が亡くなり、自分一人でしなくはならないことばかりで大変でした。
今もそうですね。
naoさんのお庭にはご主人が植えられた木々がたくさんありますね。
マンサク ミズキ ヒメリュウキンカ・・・咲いたお花を見ては涙をぬぐときもおありでしょうね。
19日は3回忌 そろそろ元の私に戻らないと・・・
いつもそう思っているんですが…そういかない時もありますね。
地区センターのおまつりは地域の方にとっては楽しい催しなんでしょうね。
男の料理教室・・・カレーおいしそうですね。
これから春の花がたくさん咲き出します。
いつまでもくよくよしていては体によくありません。
明るく前を向いて歩いてください。
昨日まで寒い日が続いていましたが、今日から暖かく
なるようです。
桜の便りもまもなく届いてくるようです。
昨日一日冷たい雨が降っていましたが、今朝はようやく晴れました。今日は富士山も良く見えています。
tonaさんとお会いした翌日は孫のチァーの発表会、その翌日は父の三回忌でした。
私の趣味の会は何故か?第二週目に集中しており、どのお教室も20名前後います。
ストレッチはご近所の友人4人と行き、毎回ランチを共にし午後はお喋りも楽しみますね。
庭は完全に夫にお任せだったので木が多く、正直途方に暮れています。
昨秋、ご近所の友人がずいぶん切ってくれましたが、今は猛烈な勢いで草が生え出しています。
雨続きで草取りもできませんでしたが、ラッシーママさんを見習って、私もガーデニングに目を向けねばと・・・
畑作業もお彼岸から忙しくなりそうですが、遊びの計画も続々と入り、問題は身体が持つか?ですね。
私は何もしてなかったけどnaoさんはいろいろと活躍していたのですね。
最近時々昔のブログを読み返しています。
涙を流したり私にもブログをやっていて良かったといつも思ってます。年を重ねることは寂しいけどnaoさんを見習って前向きになっていこうとおもってます。
被災地の人は5年たってもまだまだ苦労がおおいいですね。
nao♪さんの過ごされた5年も色んなことがありましたね。
我が家は、あの年の新年早々に婿の母が急逝と言う辛い日があって
娘夫婦がその辛さを必死で乗り越えようとしているのを目の当たりに見ていて私も辛かったです。
その2か月後にあの震災でした。
震災の日あたりにテレビで流れる映像にあの日が蘇り又 被災者の人の事とか思ったりしました。
nao♪ さんも息子さんの転勤が気になるところですね。
娘婿も大阪勤務が長いのでここ数年ヒヤヒヤしています。
娘が婿に転勤の辞令が出なくて良かったと話すと私、娘を追っかけて来たのにと思う年度末です。
私もいろいろと思うことがあります。
家族や仲間の安否を心配したり、
再会をするためにまだ、爪痕の残る岩手に行ったり
でも、まだまだ人の手が必要なんですよね。
忘れてはいけない。
そして、いつでもわが身に起こるかもしれないということ
ちゃんと備えしておかなければ。
年おいた義理母や実家の父母の事を思うと
ため息が出てしまいますが、自分が出来ること
小さなことでも進んでやることが大切なんだな~って
思う今日この頃です。
nao♪さんは忙しさが2週目に集中してるようで、特に忙しかったのですね。
nao♪さん宅の庭はご主人が面倒見てたヒュウガミズキや姫リュウキンカが咲き
それらを目にすると、余計に淋しさを感じてしまうのでしょう。
これからはnao♪さんの好きなようなお庭に変身させてみたら・・・
庭からのご主人の想い出は無くなっていきますが、ご主人との思い出は他に沢山あるでしょ。
震災から5年が経ち、被災された方々も辛い思いを胸に秘めて
元の生活に戻ろうと頑張っています。
周りの人達も5年の内に状況が違ってきてる方が大勢いますし
私達の歳になれば楽しい事より辛い事の方が多くなりますが
nao♪さんの周りには、nao♪さんを心配してくれる人達に恵まれていますよ。
早春の花を見ると、未来に希望が持てる気がします。
大いにサークル参加して、友達作りされて下さいね♪
過去も大事ですが、これからはnao さんの人生ですものね。
地球規模で起こる災害、今後は何が何処でと、心配は尽きません。
関西淡路大震災に夫が遭遇したので。
最低限の対処は、物置と車にストックしましたが・・・
喉元過ぎればが怖いですね。
連日出かけておりました。
暖かくなるという天気予報のわりには、朝晩は寒くて・・・
今日も曇りがちのお天気でした。
震災の被害、我々はTVや新聞でしか見聞きはできませんが・・・
福島にお住いのkikiさんにとってのこの5年間は、計り知れないほどのたくさんのご苦労があったと思います。
何十年もかかる原発の廃炉問題も重い課題ですね。
私ができることは東北のワカメの取り寄せくらいしかできませんが・・・
とにかく未曽有災害は起こりうるのだという事を学び、この東日本大震災の悲惨な被害を風化させてはなりませんね。
備えも「のど元過ぎれば」とならないようにと思っています。
今週末はご主人さまの三回忌ですね。
同じ頃亡くなった父の三回忌は6日に済ませました。
あの時に満開だった白モクレンが咲き始めましたよ。