⑤ 私が担任した学級の子ども達は、
どう言う訳なのか、給食をよく食べた。
食べ残しに困ったことなど、なかった。
2年生を担任していたある日、
いつになく子ども達が上機嫌だった。
給食の献立が、松茸ご飯だったのだ。
配膳が済み、食べ始めた。
すると、口数が少なく控え目な男の子が、
シクシクと泣き出した。
その理由を尋ねると、
「隣の女の子には、松茸が3つ入っているのに、
僕は2つしかない。」と、言う。
「そんなことで泣くな。」と、言いたかったが、
「先生のを1つあげるね。それでいい?」
私の松茸を、彼のごはんにのせてあげた。
すぐに、機嫌が直り、食べ始めた。
低学年を担任しても、高学年でも、
これに類似したことがよくあった。
「先生だけ盛りが多すぎる。」と、
配膳当番同士が、ケンカする場面もしばしば。
だから、いつも「先生は少なくていいよ。」
と、言っていた。
おかげで、退勤時には空腹感があった。
帰り道、駅の立ち喰いそば店の前で、
足が止まることがしばしばあった。
いつ頃だっただろうか、
総武線沿線の立ち喰いそば店『あじさい』に、
ラーメンのメニューが追加された。
それは、ラーメンの王道と言うべき醤油味だった。
薄いチャーシュー1枚、なると1切れ、シナチク3つ,4つ、
それにわかめが少々のっていた。
沿線で途中下車し、それを注文すると、どこでも同じ味だった。
だんだんと癖になる味だ。
共働きなので、夕食が遅かった。
「それまでのツナギ。」という勝手な理由までつけて、
『あじさい』のラーメンで、空腹を満すことが増えていった。
次第に、お腹が突き出ていった。
⑥ 首都圏で暮らしていた頃だ。
お盆の墓参りを済ませ、
新千歳空港で北海道みやげを物色していた。
土産店の陳列棚に、
『白樺山荘』『山頭火』『味の時計台』など、
全国的にも名の通った店の箱詰ラーメンが積まれていた。
その中に、旭川ラーメン『橙や』のものがあった。
私にとっては、意外だった。
しかし、驚きとともにちょっとだけ嬉しくなり、
『橙や』の箱を指さしながら、家内にその場で語り出した。
ほら、去年の夏、例の8人で旭川や美瑛を旅行しただろう。
あの時、旭川で『男山酒造』の酒蔵に寄ったんだ。
そこで、Bチャンが受付のお姉さんに、
「この辺りに、美味しいラーメン屋はない?」
って訊いたんだよ。
すると、そのお姉さんが薦めたのが、この『橙や』さ。
俺の知らない店だったし、
ラーメンなら、みんなを『旭川ラーメン村』に、
案内しようと思っていたんだ。
だから、ちょっとだけ嫌な気分になった。
でも、みんなが「行きましょう。」「行きましょう。」と言うんで、
しぶしぶレンタカーに乗り込んで、その店に行ったの。
天気のいい日で、旭川は暑くて暑くて。
その上、店に着くと列ができていたんだよ。
待ち時間30分だって言うので、
いいかげん嫌になったけど、
そこはBチャンの顔を立てて、だまって外で待つことにした。
すぐに汗だくさ。
ところが、結局、40分が過ぎても、席が空かず、
すっかり機嫌が悪くなってしまった。
みんなは、その表情を見て、気をもみ始めてさ。
これで、「美味くなかったら。」と。
1時間後、ようやく『橙や』の醤油ラーメンにありつけたんだよ。。
すると、“これが、待った甲斐ありさ!”
美味い。うまい。スープも、麺も、チャーシューも美味いんだよ。
すっかり機嫌がよくなり、Bチャンにも、
男山酒造のお姉さんにも、すっかり掌を返して、感謝、感謝さ。
箱詰ラーメンが並ぶ棚の前で、
そんなことを語っている間、
私のすぐ横で、スーツ姿の紳士が一人、
これまた、お土産を探していた。
その紳士が、突然、私に顔を向けた。
「ほなら、私、こうて行きますわ!」
『橙や』のラーメンを1箱手にして、足早にレジに向かっていった。
一瞬、理解不能だった。
「そっか、聞いていたんだ。」
私は、まばたきをしながら、その後ろ姿を追った。
もう、笑いをこらえるのに、必死。
⑦ 『北海道ラーメン』という響きに、ついつい惹かれた。
特に、黄色みを帯びた縮れた麺が、やけに食べたくなる時があった。
錦糸町駅の北口近くに、『北海道ラーメン ひむろ』がある。
ここの醤油ラーメンが好きだった。
月1回は、そのカウンターに座っていた頃もあった。
いつもその味に満足した。
小岩駅北口近くには、『北海道ラーメン 味源』があった。
店の雰囲気は、錦糸町の『ひむろ』に似ていた。
ここでも、醤油ラーメ、ンを注文した。
私の舌には、『ひむろ』と同じ味だった。
カウンターの目の前にある厨房での、
調理の手順が2店とも同じだった。
大き目の中華鍋を温める。
少し炎を上げながら、もやし等を炒める。
そこに、暖かい特性の白濁スープを入れ、
醤油や塩、味噌の味つけをする。
丼に茹でた麺を入れてから、中華鍋のスープを加える。
最後に、チャーシューやシナチクをのせて仕上げるのだ。
店の名は違っても、食べたくなったら、
同じ味なので、錦糸町でも小岩でもよかった。
ここに限らず、首都圏の駅周辺、
いたるところに『ひむろ』や『味源』はあった。
どこも同じ味のように思えた。
どうやら系列店らしいのだった。
さて、伊達に移り住んでからになる。
『北海道ラーメン』と名乗るからには、
「元祖は、北海道にあるのではないだろうか。」
と思い立ち、調べてみた。
すると、「あった。あった。」
札幌市白石区に、『味源本店』があった。
3年前の冬だ。
札幌に行った折に、本店を訪ねてみた。
店の作りは、古かった。
周りには、除雪した雪山があった。
カウンターに座った。
厨房での手順は同じだった。
出てきた醤油ラーメンの味は、驚いた。
さすが本店だと思った。
私の舌には、首都圏で食べたどの店の味よりも、
美味しさが数段上のように思えた。
「そうか。この味が各系列店の元になっているんだ。」
納得しながら味わった。
雪に囲まれた『味源本店』のあの味、今も記憶にある。
路傍に生育するイタドリ 今が花盛り
どう言う訳なのか、給食をよく食べた。
食べ残しに困ったことなど、なかった。
2年生を担任していたある日、
いつになく子ども達が上機嫌だった。
給食の献立が、松茸ご飯だったのだ。
配膳が済み、食べ始めた。
すると、口数が少なく控え目な男の子が、
シクシクと泣き出した。
その理由を尋ねると、
「隣の女の子には、松茸が3つ入っているのに、
僕は2つしかない。」と、言う。
「そんなことで泣くな。」と、言いたかったが、
「先生のを1つあげるね。それでいい?」
私の松茸を、彼のごはんにのせてあげた。
すぐに、機嫌が直り、食べ始めた。
低学年を担任しても、高学年でも、
これに類似したことがよくあった。
「先生だけ盛りが多すぎる。」と、
配膳当番同士が、ケンカする場面もしばしば。
だから、いつも「先生は少なくていいよ。」
と、言っていた。
おかげで、退勤時には空腹感があった。
帰り道、駅の立ち喰いそば店の前で、
足が止まることがしばしばあった。
いつ頃だっただろうか、
総武線沿線の立ち喰いそば店『あじさい』に、
ラーメンのメニューが追加された。
それは、ラーメンの王道と言うべき醤油味だった。
薄いチャーシュー1枚、なると1切れ、シナチク3つ,4つ、
それにわかめが少々のっていた。
沿線で途中下車し、それを注文すると、どこでも同じ味だった。
だんだんと癖になる味だ。
共働きなので、夕食が遅かった。
「それまでのツナギ。」という勝手な理由までつけて、
『あじさい』のラーメンで、空腹を満すことが増えていった。
次第に、お腹が突き出ていった。
⑥ 首都圏で暮らしていた頃だ。
お盆の墓参りを済ませ、
新千歳空港で北海道みやげを物色していた。
土産店の陳列棚に、
『白樺山荘』『山頭火』『味の時計台』など、
全国的にも名の通った店の箱詰ラーメンが積まれていた。
その中に、旭川ラーメン『橙や』のものがあった。
私にとっては、意外だった。
しかし、驚きとともにちょっとだけ嬉しくなり、
『橙や』の箱を指さしながら、家内にその場で語り出した。
ほら、去年の夏、例の8人で旭川や美瑛を旅行しただろう。
あの時、旭川で『男山酒造』の酒蔵に寄ったんだ。
そこで、Bチャンが受付のお姉さんに、
「この辺りに、美味しいラーメン屋はない?」
って訊いたんだよ。
すると、そのお姉さんが薦めたのが、この『橙や』さ。
俺の知らない店だったし、
ラーメンなら、みんなを『旭川ラーメン村』に、
案内しようと思っていたんだ。
だから、ちょっとだけ嫌な気分になった。
でも、みんなが「行きましょう。」「行きましょう。」と言うんで、
しぶしぶレンタカーに乗り込んで、その店に行ったの。
天気のいい日で、旭川は暑くて暑くて。
その上、店に着くと列ができていたんだよ。
待ち時間30分だって言うので、
いいかげん嫌になったけど、
そこはBチャンの顔を立てて、だまって外で待つことにした。
すぐに汗だくさ。
ところが、結局、40分が過ぎても、席が空かず、
すっかり機嫌が悪くなってしまった。
みんなは、その表情を見て、気をもみ始めてさ。
これで、「美味くなかったら。」と。
1時間後、ようやく『橙や』の醤油ラーメンにありつけたんだよ。。
すると、“これが、待った甲斐ありさ!”
美味い。うまい。スープも、麺も、チャーシューも美味いんだよ。
すっかり機嫌がよくなり、Bチャンにも、
男山酒造のお姉さんにも、すっかり掌を返して、感謝、感謝さ。
箱詰ラーメンが並ぶ棚の前で、
そんなことを語っている間、
私のすぐ横で、スーツ姿の紳士が一人、
これまた、お土産を探していた。
その紳士が、突然、私に顔を向けた。
「ほなら、私、こうて行きますわ!」
『橙や』のラーメンを1箱手にして、足早にレジに向かっていった。
一瞬、理解不能だった。
「そっか、聞いていたんだ。」
私は、まばたきをしながら、その後ろ姿を追った。
もう、笑いをこらえるのに、必死。
⑦ 『北海道ラーメン』という響きに、ついつい惹かれた。
特に、黄色みを帯びた縮れた麺が、やけに食べたくなる時があった。
錦糸町駅の北口近くに、『北海道ラーメン ひむろ』がある。
ここの醤油ラーメンが好きだった。
月1回は、そのカウンターに座っていた頃もあった。
いつもその味に満足した。
小岩駅北口近くには、『北海道ラーメン 味源』があった。
店の雰囲気は、錦糸町の『ひむろ』に似ていた。
ここでも、醤油ラーメ、ンを注文した。
私の舌には、『ひむろ』と同じ味だった。
カウンターの目の前にある厨房での、
調理の手順が2店とも同じだった。
大き目の中華鍋を温める。
少し炎を上げながら、もやし等を炒める。
そこに、暖かい特性の白濁スープを入れ、
醤油や塩、味噌の味つけをする。
丼に茹でた麺を入れてから、中華鍋のスープを加える。
最後に、チャーシューやシナチクをのせて仕上げるのだ。
店の名は違っても、食べたくなったら、
同じ味なので、錦糸町でも小岩でもよかった。
ここに限らず、首都圏の駅周辺、
いたるところに『ひむろ』や『味源』はあった。
どこも同じ味のように思えた。
どうやら系列店らしいのだった。
さて、伊達に移り住んでからになる。
『北海道ラーメン』と名乗るからには、
「元祖は、北海道にあるのではないだろうか。」
と思い立ち、調べてみた。
すると、「あった。あった。」
札幌市白石区に、『味源本店』があった。
3年前の冬だ。
札幌に行った折に、本店を訪ねてみた。
店の作りは、古かった。
周りには、除雪した雪山があった。
カウンターに座った。
厨房での手順は同じだった。
出てきた醤油ラーメンの味は、驚いた。
さすが本店だと思った。
私の舌には、首都圏で食べたどの店の味よりも、
美味しさが数段上のように思えた。
「そうか。この味が各系列店の元になっているんだ。」
納得しながら味わった。
雪に囲まれた『味源本店』のあの味、今も記憶にある。
路傍に生育するイタドリ 今が花盛り