ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

『わたし遺産』大賞から

2017-03-10 22:27:25 | 出会い
 三井住友信託銀行が主催する
『私が綴る、未来に伝える物語。「わたし遺産」』
の第4回結果発表があった。
 400字に込められた8236作品の中から、
3つの大賞作と選定委員のコメントが朝日新聞にあった。
 その2つに、心がふるえ、知らず知らず熱いものがこみ上げた。

 実は、数日前から、インフルエンザで寝込んでいた。
そんな霞のかかった頭をクリアーにしてくれた。
 

  ◎ たった、それだけで
           宮崎 祐希(長野県27歳)

 私の睫毛がちょっと好きだ。
 19歳の夏、深夜。うまくいかない世界のことや、
今までの悲しい記憶や、形を成さない不安や寂しさに
堪えきれずに大泣きして、誰でもいいから助けて欲し
いと警察署へ電話した。今思えばとても非常識だけれ
ど、当時の私は粉々になる寸前だった。
 サイレンを消したパトカーに乗り、取調室のような
所でばかみたいに泣きじゃくった。もういなくなりた
い。最後に私がぽつりと言うと、向かいに座った警察
官の男性が、
 「睫毛長いじゃん。すっぴんでその長さなんて、珍
しいからもったいないよ。」
 いきなり睫毛の話が来るとは夢にも思わず、ふあ?
と変な声が出た。でも自分の何かを誉めてもらえたの
は随分と久しぶりで、勝手に涙が出た。先ほどのとは
全く違う涙が。
 今でもあの言葉をふと思い出す。睫毛にそっと触る
と、何だか全部大丈夫な気がする。


   ◆深夜、誰も知らない命の物語
            選定委員:大平一枝(ライター)

 「ごめんなさい。死にたいんですけど、
 どうしたらいいですか」

  深夜2時。19歳の祐希さんは地元の警察署の生活安全課に、
 泣きながら電話をした。
 若そうだが、穏やかな声の男性が出た。
 「迎えに行くから、とりあえず落ち着き」
 「あの……、サイレン鳴らしてもらったら困るんですけど」

  家族に内緒でそっと家を出て坂道を下ると、
 パトカーが停まっていた。
 「宮崎さん?」「はい」「乗り」。

  スチールの机と椅子がある署の個室で、
 警察官は熱いココアを出してくれた。
 そして黙って最後までうんうんと聞いてくれた。
 「説教も、いい悪いも言わない。
 最後まで話を遮らずに大人に話を聞いてもらったこと、
 私、あれが初めてでした」。

  で、27歳という警官が最初に言ったのが
 「睫毛長いじゃん」。
 9年前の話だ。
 今、どの警官もそうするのか、正しい法規を私は知らない。
 ただ、どう考えてもそれは正義そのものだ。
 誰にも褒められず、認められず、やることがうまくいかず、
 友達もいない。
 生きる意味を見失った少女に、全力で、だけどさりげなく、
 精一杯真摯に向き合った。
 睫毛は、「あなたは生きる価値のある人間だよ。」
 の言い換えだと彼女にもわかった。
 誰も知らない深夜の一室で、
 警官はたしかにひとつの命を救ったのだ。
 夜明け前に帰宅した祐希さんは思った。
 ーーー夢だったのかな。

  その警官は見事だ。
 命を救った挙句、
 時を経て大賞という贈り物まで彼女にしたのだから。
 名もなき公人の、
 隠れた尊い行為に光を当てた祐希さんに、
 最大の賛辞を送りたい。


   *私の想い

   粉々になる寸前、深夜の大泣き。
  そして、次は取調室で若い警官を前にして、
  泣きじゃくった。
   その後、彼女は、警察官のひと言を聞き、
  それまでとは全く違う涙を流す。

   選定委員は記す。
  「深夜の一室で、警官はたしかに
  ひとつの命を救ったのだ。」

   私は、言葉がもつ力を再認識した。
  しかし、その言葉に、驚きを隠せない。
  「睫毛長いじゃん。
  すっぴんでその長さなんて、
  珍しいからもったいないよ。」

   どう逆立ちしても、
  私からは出てこない言葉である。
   瑞々しい言語感覚に、驚いた。
  
   それもそうだが、選定委員は言う。
  『今、どの警官もそうするのか、
  正しい法規を私は知らない。
  ただ、どう考えてもそれは正義そのものだ。』

   ともすると、今時、
  年齢に関係なく、睫毛と言えども、
  女性の容姿についてコメントすることは、
  薄氷を踏む行為のように思える。

   しかし、『精一杯真摯に向き合う』警察官の言葉を彼女は、
  「あなたは生きる価値がある人間だよ。」
  と、理解し、今もそれを力にしている。 
   
   ひとつの言葉がこんなエネルギーを持っているのだ。
  まさに正義である。

   それから9年後、救われた彼女は、
  「名もなき公人の、隠れた尊い行為に
  (大賞という)光を当てた」。
   凄い。 


  ◎ 「卒業」証書
           高橋 彩(神奈川県27歳)
 
 「右の者は高等学校普通科の課程を修了したとは認
められなかったがー」私の卒業証書は、こんなふうに
始まる。早春、薄い光の差し込む国語科準備室で、私
はその手書きの証書を受け取った。私と恩師二人きり
の卒業式だった。大学受験を前に挫折し不登校になっ
た私に、「ちょっと出てこないか」と電話してくる人
だった。準備室は私を拒まず、進学校唯一の退学者と
なった私に、先生は居場所をくれた。「-困難な状況
と闘い、最善の努力をし続けた」と続く証書は、私と
いう存在の証書でもあった。塾で「先生」と呼ばれる
今、高校生には、十八歳だった自分のことを話す。あ
のとき言葉にならなかったことも、ゆっくり話す。そ
れがほんのわずかでも彼らの背中に手を添えること
になればと、話す。あの頃先生がそうしてくれたよう
に。疲れて帰宅する深夜、つぽん、と筒を開けると、
先生の達筆が見える。十八歳の私も手を振ってくれる。
私の遺産は、今も机の上にある。


   ◆教え子と「時をともに過ごす」
            選定委員:栗田 亘(コラムニスト)

  卒業証書は、貴重です。
 でも、のちのちくり返し読むものではない。
 文面は卒業生全員、同一ですし。
 しかし、高橋さんの「卒業」証書は違います。
 実物を読ませていただいて、
 ボクは、不覚にもウルウルッとなりました。
 ≪……最善の努力をし続けた
 よって卒業生と等しいものとここに証する
      第五十期生正担任団教諭 平高 淳≫

  世界にひとつだけの「卒業」証書です。

  受け持ちだった平高先生によれば
 「本物の卒業証書と同じ紙質の紙を選んで、
 書体も本物に似せて書き、学校印のところには、
 むかし私が彫った(篆刻)作品を押した」そうです。
 その学校印(!)は、古代中国の老子の言葉を引いて
 ≪孔徳之容≫と刻まれています。
 「すべてを受け入れる器」といった意味のようです。
 ひょっとすると本物の学校印より上等じゃないかしら。

  誠意に満ちたパロディー、ともいえますが、
 「先生」という立場でこれを制作するには、
 ちょっとした覚悟がいるはずです。
 平高先生はそれを軽々とやってのけた。
 そして同学年のほかの担任の先生たちも
 「異議なしっ」だったそうです。

  高3になった春、高橋さんは挫折し、
 登校できなくなった。
 けれど先生は高橋さんを信頼し、
 高橋さんも先生を信頼した。
 国語科の準備室で師弟はどんな話をしたのでしょうか?
 「たいした話はしてません。
 ただ、教室に来られなくなった彼女と
 <時をともに過ごす>
 のを大切にしようと心がけていました」
 と平高先生はおっしゃいました。


   * 私の想い

   ここでも、公人に光が当たっている。
   進学校唯一の退学者である教え子に、
  「ちょっと出てこないか」と電話し、
  国語科準備室という居場所を提供した高平先生。

   その先生手作りの「卒業」証書が、
  彼女の遺産となった。

   その証書には、
  『…困難な状況と闘い最善の努力をし続けた
  よって卒業生と等しいものとここに証する』
  とある。

   選定委員は記す。
  『誠意に満ちたパロディー、ともいえますが、
  「先生」という立場でこれを制作するには、
  ちょっとした覚悟がいるはずです。』

   学校現場や教師の社会性を、
  十分に理解した一文である。
   だからこそ、
  平高先生の子どもに寄り添った力強いあり方に、
  喝采である。
 
   加えて、学校印代わりにした、
  先生が彫った(篆刻)作品≪孔徳之容≫
  (すべてを受け入れる器)の意味合いが、
  これまた先生の想いを伝えており、私の心を打った。

   彼女は言う。
  「卒業」証書は、「私という存在の証し」。
   そして、平高先生は言う。
  「彼女と <時をともに過ごす>のを
  大切にしようと心がけていました」。
   その2つが、私の中で重なった。
  
   教師と教え子が、ずっと時をともに過ごすこと。
  本当の卒業証書の姿を見せてもらった。




   明日にも 福寿草が
コメント
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