梅雨がないはずなのに、
『蝦夷梅雨』などと言う耳慣れない言葉を聞き、
北海道での気候変動を感じた。
だが、2週間程前から、本格的な夏がやってきた。
伊達も「暑い!」。
と言っても、30度を越える日はまだない。
「35度だ!」「40度だ!」と、
危険な猛暑が続く各地の皆さんには、
申し訳ない思いでいる。
さて、全国的に夏休みである。
この休みを利用して、東京都内の小学校では、
5,6年生の『林間学校』『臨海学園』等々と呼ばれる、
宿泊学習が行われているだろう。
この時期は、避暑地である長野県、栃木県や、
房総、湘南方面の海水浴場での2泊3日が多い。
今年3月のブロク「宿泊学習での『危機』」で書いたが、
『学校内の日常とは違う3日間である。
思いがけない出来事に遭遇することも、珍しくなかった。
「危機」とは、やや大袈裟だが、そんな出来事』が、しばしばあった。
夏休み中の宿泊学習ではないが、続編を2つ記そうと思う。
その3
校長として着任してまもなく、5月末だったと思う。
6年生の宿泊学習があった。
前年度末には、
宿泊先から3日間のスケジュールの大枠が決まっていた。
私は、事後承認のような形で、
それを確認するだけだった。
だが、一つだけ反旗を振った。
それは、その3日間を終えた翌日のことだ。
計画では、宿泊体験から戻った次の日、
6年生の登校は2時間遅れになっていた。
理由は、「3日間の宿泊で子供が疲れている」と言うのだ。
私は、納得しなかった。
今までの経験から、確かに翌日の子供には疲労感からか、
覇気が薄れていた。
だからと言って、登校を2時間遅らせることが、
その改善になるとは思えなかった。
疲労の残る子ども達であっても、
それに応じた内容や進め方など、
学習を工夫すれば、それでいいだけなのだ。
職員会議で話し合った。
そして、私は、若干強引に、翌日の通常登校を指示した。
6年担任をはじめ、教職員は渋々それに応じた。
ところが、このことが、意外な展開をみせた。
宿泊学習から戻った翌朝、
6年生も他学年と一緒に通常通り登校した。
しかしなのだ。
各学級で朝の出欠を確認した。
6年担任がそろって、校長室に駆け込んできた。
6年生の2学級とも、
半数近い子が登校していないのである。
連絡のあった欠席や遅刻の理由は
『体調が悪いので、病院へ行きます。』
『おきられないようなので、様子をみてから・・。』
『昨日、戻ってから、元気がなく・・。』等々だった。
6年担任は、そんな状況を報告しながら、
「だから、2時間遅れの登校がよかったんです。」
ありありとそう言いたげな表情をした。
出欠の報告を受け、私も若干反省するしかなかった。
それにしても、体力のない6年生に、
若干違和感を抱いた。
10時を回った頃だったろうか。
養護教諭が、緊張した表情で校長室にやって来た。
「保健所から緊急連絡がありました。」
本校の6年生児童に集団食中毒の疑いがあると言うのだ。
学校近隣の内科医院から、
「食中毒とみられる同じ症状の6年生が来院している」。
保健所にそんな通報があったのだ。
いずれも症状は軽く、回復傾向にあるとのことだった。
しかし、集団食中毒の疑いがある。
時間を待たず、保健所からの『聞き取り班』がやって来た。
当然、3日間の宿泊学習の食事が疑われた。
調査は、すぐにその宿舎に及んだ。
結果は、調査を待つしかなかった。
予想もしない展開に、私はその対応に奔走した。
そうしながら、
今日の6年生の欠席や遅刻の原因が、
「2時間遅れではなく、通常登校に変更したこと」とは、
無関係なことに安堵した。
1週間後、臨時保護者会を行った。
区教委と保健所から、
集団食中毒の疑いに対する調査報告があった。
宿泊先からは食中毒の原因と思われるものは、
特定できなかった。
また、食中毒の感染経路も明確にならなかった。
ただ、6年生の児童に、
集団食中毒と同様の症状が見られたと言うのだ。
出席した保護者も私も釈然としなかった。
しかし、その後の6年生は何事もなかったかのように、
全員元気に過ごした。
なので、その出来事はそれで終止符が打たれた。
その4
その年、同伴した6年生は、1組も2組も際だって仲が良かった。
初日も2日目も、明るい声、笑い声が絶えなかった。
集団行動もしっかりとしており、
いつも集合時間の5分前には全員がそろった。
校長として引率していても、
余分な気配り、目配りの必要がなかった。
私も、自然に子供の輪に入り、
楽しいやり取りを続けていた。
ところが、最終日、3日目の朝だった。
予定の時間に、宿舎の食堂で朝食を終えた。
全員で、その後片付けを始めて間もなくだった。
男子の明るい声が、私に言った。
「先生、僕のヨーグルト、賞味期限、切れていたよ。」
とっさに私は、訊いた。
「どうした?」
「ウン、食べたよ。平気!平気!」
「みんな、もう一度、席に着いて・・。
自分の席に、座って下さい。」
私は、声を張り上げた。
しっかりした子ども達だ。
後片付けの手を止め、すぐに朝食の時の席に座った。
私は、訳を説明した。
賞味期限切れと知りながら、
ヨーグルトを食べた子は、男子1人だけだった。
他の子は、そんなことを気にも止めず、
確認などしないまま食べていた。
それは、至極当然のことだと思う。
班ごとに囲んだテーブル席の上には、
片付け途中のヨーグルトカップが重ねられていた。
手分けして、そのカップの賞味期限を確認した。
その男子がいた班のテーブルにあった12個のカップから、
6個の賞味期限切れが見つかった。
しかし、それを誰が食べたかは、すでに不明だった。
「きっと大丈夫だ思うけど・・。」
子ども達にそう言いつつ、
『区立の宿泊施設で、賞味期限切れを提供するなんて・・』
驚きと共に、怒りがこみ上げていた。
食堂の調理さんの答えは、
「気づかなかった」をくり返すだけだった。
私は、時間を待って、宿舎から区教委へ電話連絡を入れた。
1つは、賞味期限切れのヨーグルトを食べた場合の、
健康被害について調べ、その対処法を知らせてほしいこと。
もう1つは、本日夕方、帰校するまでに、
事実を保護者に伝え、謝罪する手立てを整えてほしいこと。
その2つを要望した。
その後、子ども達と一緒に3日目の見学や体験学習を、
予定通り進めた。
その間、腹痛や体調不良を訴える子は現れなかった。
行く先々で、区教委からの電話が入った。
大きな健康被害は考えにくい。
しかし、発熱や下痢の体調不良も考えられる。
そんな回答があった。
そして、私からの強い要望を受け、
帰校後出迎えにきた保護者に、
その場で、宿舎の管理者にあたる区教委から、
事実経過の報告、そして謝罪をすることになった。
帰校すると、その準備が整っていた。
下校する子どもには、
事実と予想される健康被害、謝罪が記された印刷物が渡された。
子ども達と保護者が下校すると、間髪を入れず、
私は、区教委の幹部と担当職員を連れ、
期限切れを食べた男子と、
その可能性のある子供の家庭を訪問した。
そして、一軒一軒、丁寧に説明とお詫びをした。
そんな対応に、保護者は恐縮していた。
12軒目を終えた時には、夜も深まっていた。
翌日、子ども達は全員笑顔で登校した。
誰一人、体調不良はいなかった。
安堵した。
それでも、私は区教委に原因究明を強く求め続けた。
この色の 紫陽花に 目がいく
≪ 次回の更新は 8月17日の予定 ≫
『蝦夷梅雨』などと言う耳慣れない言葉を聞き、
北海道での気候変動を感じた。
だが、2週間程前から、本格的な夏がやってきた。
伊達も「暑い!」。
と言っても、30度を越える日はまだない。
「35度だ!」「40度だ!」と、
危険な猛暑が続く各地の皆さんには、
申し訳ない思いでいる。
さて、全国的に夏休みである。
この休みを利用して、東京都内の小学校では、
5,6年生の『林間学校』『臨海学園』等々と呼ばれる、
宿泊学習が行われているだろう。
この時期は、避暑地である長野県、栃木県や、
房総、湘南方面の海水浴場での2泊3日が多い。
今年3月のブロク「宿泊学習での『危機』」で書いたが、
『学校内の日常とは違う3日間である。
思いがけない出来事に遭遇することも、珍しくなかった。
「危機」とは、やや大袈裟だが、そんな出来事』が、しばしばあった。
夏休み中の宿泊学習ではないが、続編を2つ記そうと思う。
その3
校長として着任してまもなく、5月末だったと思う。
6年生の宿泊学習があった。
前年度末には、
宿泊先から3日間のスケジュールの大枠が決まっていた。
私は、事後承認のような形で、
それを確認するだけだった。
だが、一つだけ反旗を振った。
それは、その3日間を終えた翌日のことだ。
計画では、宿泊体験から戻った次の日、
6年生の登校は2時間遅れになっていた。
理由は、「3日間の宿泊で子供が疲れている」と言うのだ。
私は、納得しなかった。
今までの経験から、確かに翌日の子供には疲労感からか、
覇気が薄れていた。
だからと言って、登校を2時間遅らせることが、
その改善になるとは思えなかった。
疲労の残る子ども達であっても、
それに応じた内容や進め方など、
学習を工夫すれば、それでいいだけなのだ。
職員会議で話し合った。
そして、私は、若干強引に、翌日の通常登校を指示した。
6年担任をはじめ、教職員は渋々それに応じた。
ところが、このことが、意外な展開をみせた。
宿泊学習から戻った翌朝、
6年生も他学年と一緒に通常通り登校した。
しかしなのだ。
各学級で朝の出欠を確認した。
6年担任がそろって、校長室に駆け込んできた。
6年生の2学級とも、
半数近い子が登校していないのである。
連絡のあった欠席や遅刻の理由は
『体調が悪いので、病院へ行きます。』
『おきられないようなので、様子をみてから・・。』
『昨日、戻ってから、元気がなく・・。』等々だった。
6年担任は、そんな状況を報告しながら、
「だから、2時間遅れの登校がよかったんです。」
ありありとそう言いたげな表情をした。
出欠の報告を受け、私も若干反省するしかなかった。
それにしても、体力のない6年生に、
若干違和感を抱いた。
10時を回った頃だったろうか。
養護教諭が、緊張した表情で校長室にやって来た。
「保健所から緊急連絡がありました。」
本校の6年生児童に集団食中毒の疑いがあると言うのだ。
学校近隣の内科医院から、
「食中毒とみられる同じ症状の6年生が来院している」。
保健所にそんな通報があったのだ。
いずれも症状は軽く、回復傾向にあるとのことだった。
しかし、集団食中毒の疑いがある。
時間を待たず、保健所からの『聞き取り班』がやって来た。
当然、3日間の宿泊学習の食事が疑われた。
調査は、すぐにその宿舎に及んだ。
結果は、調査を待つしかなかった。
予想もしない展開に、私はその対応に奔走した。
そうしながら、
今日の6年生の欠席や遅刻の原因が、
「2時間遅れではなく、通常登校に変更したこと」とは、
無関係なことに安堵した。
1週間後、臨時保護者会を行った。
区教委と保健所から、
集団食中毒の疑いに対する調査報告があった。
宿泊先からは食中毒の原因と思われるものは、
特定できなかった。
また、食中毒の感染経路も明確にならなかった。
ただ、6年生の児童に、
集団食中毒と同様の症状が見られたと言うのだ。
出席した保護者も私も釈然としなかった。
しかし、その後の6年生は何事もなかったかのように、
全員元気に過ごした。
なので、その出来事はそれで終止符が打たれた。
その4
その年、同伴した6年生は、1組も2組も際だって仲が良かった。
初日も2日目も、明るい声、笑い声が絶えなかった。
集団行動もしっかりとしており、
いつも集合時間の5分前には全員がそろった。
校長として引率していても、
余分な気配り、目配りの必要がなかった。
私も、自然に子供の輪に入り、
楽しいやり取りを続けていた。
ところが、最終日、3日目の朝だった。
予定の時間に、宿舎の食堂で朝食を終えた。
全員で、その後片付けを始めて間もなくだった。
男子の明るい声が、私に言った。
「先生、僕のヨーグルト、賞味期限、切れていたよ。」
とっさに私は、訊いた。
「どうした?」
「ウン、食べたよ。平気!平気!」
「みんな、もう一度、席に着いて・・。
自分の席に、座って下さい。」
私は、声を張り上げた。
しっかりした子ども達だ。
後片付けの手を止め、すぐに朝食の時の席に座った。
私は、訳を説明した。
賞味期限切れと知りながら、
ヨーグルトを食べた子は、男子1人だけだった。
他の子は、そんなことを気にも止めず、
確認などしないまま食べていた。
それは、至極当然のことだと思う。
班ごとに囲んだテーブル席の上には、
片付け途中のヨーグルトカップが重ねられていた。
手分けして、そのカップの賞味期限を確認した。
その男子がいた班のテーブルにあった12個のカップから、
6個の賞味期限切れが見つかった。
しかし、それを誰が食べたかは、すでに不明だった。
「きっと大丈夫だ思うけど・・。」
子ども達にそう言いつつ、
『区立の宿泊施設で、賞味期限切れを提供するなんて・・』
驚きと共に、怒りがこみ上げていた。
食堂の調理さんの答えは、
「気づかなかった」をくり返すだけだった。
私は、時間を待って、宿舎から区教委へ電話連絡を入れた。
1つは、賞味期限切れのヨーグルトを食べた場合の、
健康被害について調べ、その対処法を知らせてほしいこと。
もう1つは、本日夕方、帰校するまでに、
事実を保護者に伝え、謝罪する手立てを整えてほしいこと。
その2つを要望した。
その後、子ども達と一緒に3日目の見学や体験学習を、
予定通り進めた。
その間、腹痛や体調不良を訴える子は現れなかった。
行く先々で、区教委からの電話が入った。
大きな健康被害は考えにくい。
しかし、発熱や下痢の体調不良も考えられる。
そんな回答があった。
そして、私からの強い要望を受け、
帰校後出迎えにきた保護者に、
その場で、宿舎の管理者にあたる区教委から、
事実経過の報告、そして謝罪をすることになった。
帰校すると、その準備が整っていた。
下校する子どもには、
事実と予想される健康被害、謝罪が記された印刷物が渡された。
子ども達と保護者が下校すると、間髪を入れず、
私は、区教委の幹部と担当職員を連れ、
期限切れを食べた男子と、
その可能性のある子供の家庭を訪問した。
そして、一軒一軒、丁寧に説明とお詫びをした。
そんな対応に、保護者は恐縮していた。
12軒目を終えた時には、夜も深まっていた。
翌日、子ども達は全員笑顔で登校した。
誰一人、体調不良はいなかった。
安堵した。
それでも、私は区教委に原因究明を強く求め続けた。
この色の 紫陽花に 目がいく
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