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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

共感すること

2014-11-13 17:07:36 | 映画
 その映画を観たのは、先週の金曜日だった。

 それから5日が過ぎ、昼食のために小さな食堂に入った。
 映画のワンシーンに似たテーブル席についた。
 最近はまっている醤油ラーメンを注文した。
 しばらくして、熱々のラーメンがテーブルに置かれた。

 辛くやるせない毎日、
だけど前を向き、歩もうとした彼と彼女そして弟。
三人で乾杯をする場面が思い出された。
ラーメンの湯気が、急に熱さを増した気がした。

その時突然、あるシーンがよぎり、
向かいの席でラーメンをすする家内に、
「彼女から、一緒にお墓参りに行こうって言われたとき、
どれだけ嬉しかっただろうね。」
と、私は胸をつまらせ、箸を止めた。
 食堂の方が、不思議そうな顔をして、何度も私を見ていた。

 映画を観ていた時、涙など全く浮かんでこなかった。
ただただ暗く重たいストーリーと映像に、
ついて行くのが精一杯だった。
きっと、映し出されたスクリーンは、
私のキャパを超えていたのだと思う。

ところが、
映画を見終わって、席を立ってから、
時間が経つにつれ、徐々に徐々に悲しみがこみ上げ
「あの時、達夫(主人公)は、
こんな思いであの繁華街を歩いていたんだ。」
「千夏(彼女)は、あんな立ち位置しかない現実の中で、
ああやって暮らすこと以外できないよ。」等々。
息が詰まりような切なさに襲われてた。
そして、その苦しみとやるせなさが深いだけに、
一瞬の嬉しさと安堵感は、
私の想像をはるかに越え、
あれから何日も過ぎたのに、
たびたびその衝動が、私を感涙へと誘った。

 最近、娯楽映画とホームドラマに取り囲まれ、
ハッピーエンドなストーリーに観慣れていたからか、
映画の悲劇性と優しさに魅せられた。

 聞くところによると、原作は23年前。
作者は41歳の若さで自ら命を絶ったと言う。
しかし、描かれた映画は、
全く色あせることなく、見事に現代を映し出し、
強いメッセージを私たちに託している。

 蛇足だが、綾野剛も池脇千鶴も菅田将暉もすごい役者だと思った。
また、この映画でモントリオール世界映画祭最優秀監督賞を
37歳の若さで受賞した呉美保監督もすごいと思った。

 この映画のチラシにある言葉を借りると
「男は彷徨っていた。生きる場所を探して―」
「女は諦めていた。生きる場所を探すことに―」

 そんな二人が、少しずつ距離を縮めていくのだが、
それでも現実はさらに過酷なものに。

 私自身の足下を見ると、類似した現実が数多くある。
過去には、過酷な現実の中で生活していた教え子を何人も見てきた。
そのような中で、私はただただ無力でしかなかった。
現実をチェンジする力も、言葉も私にはない。

 あるのは、彼らに共感することだけだった。
今もそれだけしかない。
あの悲しみや苦しみの一部分でも、
自分の悲しみや苦しみに、
せめてそれだけでもと思いつつ、
だけども、それがきっと無力から抜け出す力につながる
と、私は信じてきたし、これからもそう信じていく。

 この映画は、私にそんなことを気づかせてくれた。

 しかし、題名は、『そこのみにて光輝く』と言うのだけど。




唐松が橙色に染まった。まもなく落葉。



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