毎週火曜の夜、BSプレミアムで、
『男はつらいよ』シリーズが放映されている。
第1作からではないが、この映画が話題になり始めた頃から、
封切りを楽しみにするようになった。
知っての通り、喜劇である。
毎回、映画館では人目を気にせず、
誰よりも早く、大声で笑った。
無条件で面白いと思える場面が、どのシリーズにもあった。
そして、そのストーリーのいたるところで、
生きるとは、人とは、学ぶとは、愛するとはと問われ、
いつの間にか、監督・山田洋次ワールドに引き込まれた。
今、再び、テレビでその映画を観ながら、
数々の名場面が、私の中で、また輝いている。
① 周りの人々が 好き
▼ 第8作『寅次郎恋歌』は、
森川信が最後のおいちゃん役だった。
森川信のおいちゃんが好きだった。
毎回、寅さんの言動に呆れ果て、「ばかだねぇ。」と、
温かみのあるため息をつくシーンが、強く心に残っている。
この作には、おいちゃんのセリフで、そのおかしさの余り、
涙まで出てしまう、私の『笑いのツボ』がある。
いつも通り、寅さんの行いにおいちゃんは、
呆れかえる場面での言葉だ。
「あー、いやだ、いやだ。俺はもう、横になるよ。
おい、まくら、さくら取って、
いや、さくら、まくらとってくれ、あぁ・・・」
こう書きながら、今も笑いをこらえている。
▼ 同じ第8作だが、
寅さんは、さくらの義父である諏訪飈一郎と、
備中高梁で意気投合する。
しかし、ある日、飈一郎からお説教され、
深く反省して柴又へと帰る。
その説教が胸をうつ。
飈一郎役の志村喬の渋い語りもさることながら、
南吉童話のような、その言葉に、
私も、寅さんと同じ気持ちに導かれていった。
『寅次郎君、
今、君は女房も子供もいないから身軽だと言ったね。
あれはもう10年も昔のことだが、
私は信州の安曇野という所に旅をしたんだ。
バスに乗り遅れて、田舎道を一人歩いている内に
日が暮れてしまってね、
暗い夜道を心細く歩いていると、
ポツンと一軒の農家が建っているんだ。
リンドウの花が庭いっぱいに咲いていてね。
開け放した縁側から、
明かりのついた茶の間で家族が、
食事をしているのが見える。
まだ食事に来ない子供がいるんだろう、
母親が大きな声で、その子供の名前を呼ぶ声が聞こえる。
私は、今でもその情景をありありと思い出すことができる。
庭一面に咲いたリンドウの花、
明々と明かりのついた茶の間。
にぎやかに食事をする家族達。
私はその時、それが、
それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと、
ふとそう思ったら、急に涙が出てきちゃってね。
人間は絶対に一人じゃ生きていけない。
逆らっちゃいかん。
そこに早く気がつかないと、不幸な一生を送ることになる。
分かるか、寅次郎君。』
▼ 第15作『寅次郎相合い傘』は、
浅丘ルリ子がリリー役で2回目のマドンナで登場する。
物語は、エリート課長・兵頭が蒸発し、
寅さんと一緒に旅をするところから始まる。
その時のお礼にと、
兵頭が最高級のマスクメロンをみやげにとら屋を訪ねる。
そのメロンを、リリーさんが来たからと
食べることになった。
たまたま寅さんは不在だったので、
おばちゃんが、寅さんの分を頭数に入れずに、
切り分けてしまった。
そんな時に限って、寅さんは帰ってくるのだ。
そして、伝説の名シーンと言われる
『メロン騒動』が始まるのである。
何度観ても飽きない。何度観ても笑ってしまう。
たかがメロン一切れのことだが、
この騒動は、どこの家庭でもありそうで。
寅さんファミリーそれぞれが騒動に加わり、
対応する様に笑いが止まらない。
とにかく、面白くて、おかしいやり取りがいい。
高級メロンを目の前にした庶民の感覚を、
寅さんフェミリーが、見事な笑いに替えてくれたシーンだ。
▼ 第17作『寅次郎夕焼け小焼け』は、
全49作の中で一番好きな作品である。
この映画だけで、多くを語れる気がする。
それだけ心動かされている。
中でも、いつまでも心から離れないシーンがある。
寅さんと知り合いになった日本画の大家・池ノ内青観(宇野重吉)が、
かつての恋人・志乃(岡田嘉子)と、
志乃が暮らす・田舎町龍野で再会する。
夕暮れ時、二人だけ、静寂の和室で対座する。
青観が、過去をふり返り、悔いると、
志乃は諭すような口調でゆっくりとこう言うのだ。
「人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって、
ああすればよかったなあ、という後悔と、
もうひとつは、どうしてあんなことをしてしまったのだろう、
という後悔・・・」
喜劇映画であることを忘れ、
人生という山も谷もある道中を歩んできた全ての人が、
共有する感情にふれる場面だと思う。
いつ思い出しても、心がザワザワするのは私だけだろうか。
② 人柄が 好き
▼ 『言ってみりゃ、リリーも俺も同じ旅人さ
見知らぬ土地を旅している間にゃ
そりゃ人に言えねぇ苦労もあるのよ・・・・
例えば、夜汽車の中、少しばかりの客は
みんな寝てしまって、なぜか俺一人だけが
いつまでたっても眠れねぇ
真っ暗な窓ガラスにホッペタくっつけて
じっと外をみているとね、遠くに灯りがポツンポツン・・・
あー、あんな所にも人が暮らしているかあ・・・
汽車の汽笛がポーッ・・・ピーッ
そんな時、そんな時よ、ただわけもなく悲しくなって
涙がポロポロこぼれてきちゃうのよ』
第11作『寅次郎忘れな草』での、寅さんである。
いつの間にか、しんみりとした切ない気持ちになってしまう。
つい先日、寅さんを演じる渥美清さんが、
俳句を詠んでいたと知った。
『赤とんぼじっとしたまま明日はどうする』
トンボを見ながら、そうつぶやいているのが、
寅さんそのままな気がして、不思議だ。
何となくもの悲しさを漂わせながら、
どんな物事をも、大事に大切にする寅さんの心。
私は、そこに惹かれてしまう。
▼ 寅さんは、第42作『ぼくの伯父さん』で、
浪人生になった甥・満男にこう言った。
『俺はな、学問つうもんがないから、
上手い事はいえねぇけれども
博がいつか俺にこう言ってくれたぞ。
自分を醜いと知った人間は
決してもう、醜くねぇって・・・』
寅さんの心の内を垣間見ることができた、
そんな言葉のように思った。
また、第6作『純情篇』では、
さくらとこんなやりとりがある。
『寅「いや頭の方じゃ分かっているけどね、
気持ちの方が、そうついてきちゃくれないんだよ、ねぇ?
だから、これは俺のせいじゃねぇよ」
さくら「だって、その気持ちだって、
お兄ちゃんのものでしょう?」
寅「いや、そこが違うんだよ、早い話がだよ
俺は、もう二度とこの柴又へもどってこねぇと
そう思ってもだ、な、
気持ちの方は
そう考えちゃくれねぇんだよ、
アッと思うとまた俺はここへもどってきちゃうんだよ、
本当に困った話だよ』
続いて、前出の第8作では、同じくさくらとやりとりがある。
『寅「大丈夫だよ・・・俺だって、
他人(ひと)の奥さんに懸想するほどバカじゃねぇよ、
今だってよ、もう一人の俺によおく言いきかせたんだよ」
さくら「で、もう一人のお兄ちゃん、ちゃんと納得したの」
寅「やっとな」
さくら「そう、よかったね」』
誰にでもある、想いとは裏腹な自分、
様々な葛藤、心の内の醜さ。
それをサラッと言ってくれた寅さん。
寅さんは凄い。
寅さんのそんな言葉に共感し、
想いを共有できたことが嬉しかった。
満男だけでなく、私もさりげなく励まされた。
映画を見終わって、元気に席を立ったのは、
決して私だけではなかったと思う。
(つづく)
秋の味覚・栗 間もなく
『男はつらいよ』シリーズが放映されている。
第1作からではないが、この映画が話題になり始めた頃から、
封切りを楽しみにするようになった。
知っての通り、喜劇である。
毎回、映画館では人目を気にせず、
誰よりも早く、大声で笑った。
無条件で面白いと思える場面が、どのシリーズにもあった。
そして、そのストーリーのいたるところで、
生きるとは、人とは、学ぶとは、愛するとはと問われ、
いつの間にか、監督・山田洋次ワールドに引き込まれた。
今、再び、テレビでその映画を観ながら、
数々の名場面が、私の中で、また輝いている。
① 周りの人々が 好き
▼ 第8作『寅次郎恋歌』は、
森川信が最後のおいちゃん役だった。
森川信のおいちゃんが好きだった。
毎回、寅さんの言動に呆れ果て、「ばかだねぇ。」と、
温かみのあるため息をつくシーンが、強く心に残っている。
この作には、おいちゃんのセリフで、そのおかしさの余り、
涙まで出てしまう、私の『笑いのツボ』がある。
いつも通り、寅さんの行いにおいちゃんは、
呆れかえる場面での言葉だ。
「あー、いやだ、いやだ。俺はもう、横になるよ。
おい、まくら、さくら取って、
いや、さくら、まくらとってくれ、あぁ・・・」
こう書きながら、今も笑いをこらえている。
▼ 同じ第8作だが、
寅さんは、さくらの義父である諏訪飈一郎と、
備中高梁で意気投合する。
しかし、ある日、飈一郎からお説教され、
深く反省して柴又へと帰る。
その説教が胸をうつ。
飈一郎役の志村喬の渋い語りもさることながら、
南吉童話のような、その言葉に、
私も、寅さんと同じ気持ちに導かれていった。
『寅次郎君、
今、君は女房も子供もいないから身軽だと言ったね。
あれはもう10年も昔のことだが、
私は信州の安曇野という所に旅をしたんだ。
バスに乗り遅れて、田舎道を一人歩いている内に
日が暮れてしまってね、
暗い夜道を心細く歩いていると、
ポツンと一軒の農家が建っているんだ。
リンドウの花が庭いっぱいに咲いていてね。
開け放した縁側から、
明かりのついた茶の間で家族が、
食事をしているのが見える。
まだ食事に来ない子供がいるんだろう、
母親が大きな声で、その子供の名前を呼ぶ声が聞こえる。
私は、今でもその情景をありありと思い出すことができる。
庭一面に咲いたリンドウの花、
明々と明かりのついた茶の間。
にぎやかに食事をする家族達。
私はその時、それが、
それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと、
ふとそう思ったら、急に涙が出てきちゃってね。
人間は絶対に一人じゃ生きていけない。
逆らっちゃいかん。
そこに早く気がつかないと、不幸な一生を送ることになる。
分かるか、寅次郎君。』
▼ 第15作『寅次郎相合い傘』は、
浅丘ルリ子がリリー役で2回目のマドンナで登場する。
物語は、エリート課長・兵頭が蒸発し、
寅さんと一緒に旅をするところから始まる。
その時のお礼にと、
兵頭が最高級のマスクメロンをみやげにとら屋を訪ねる。
そのメロンを、リリーさんが来たからと
食べることになった。
たまたま寅さんは不在だったので、
おばちゃんが、寅さんの分を頭数に入れずに、
切り分けてしまった。
そんな時に限って、寅さんは帰ってくるのだ。
そして、伝説の名シーンと言われる
『メロン騒動』が始まるのである。
何度観ても飽きない。何度観ても笑ってしまう。
たかがメロン一切れのことだが、
この騒動は、どこの家庭でもありそうで。
寅さんファミリーそれぞれが騒動に加わり、
対応する様に笑いが止まらない。
とにかく、面白くて、おかしいやり取りがいい。
高級メロンを目の前にした庶民の感覚を、
寅さんフェミリーが、見事な笑いに替えてくれたシーンだ。
▼ 第17作『寅次郎夕焼け小焼け』は、
全49作の中で一番好きな作品である。
この映画だけで、多くを語れる気がする。
それだけ心動かされている。
中でも、いつまでも心から離れないシーンがある。
寅さんと知り合いになった日本画の大家・池ノ内青観(宇野重吉)が、
かつての恋人・志乃(岡田嘉子)と、
志乃が暮らす・田舎町龍野で再会する。
夕暮れ時、二人だけ、静寂の和室で対座する。
青観が、過去をふり返り、悔いると、
志乃は諭すような口調でゆっくりとこう言うのだ。
「人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって、
ああすればよかったなあ、という後悔と、
もうひとつは、どうしてあんなことをしてしまったのだろう、
という後悔・・・」
喜劇映画であることを忘れ、
人生という山も谷もある道中を歩んできた全ての人が、
共有する感情にふれる場面だと思う。
いつ思い出しても、心がザワザワするのは私だけだろうか。
② 人柄が 好き
▼ 『言ってみりゃ、リリーも俺も同じ旅人さ
見知らぬ土地を旅している間にゃ
そりゃ人に言えねぇ苦労もあるのよ・・・・
例えば、夜汽車の中、少しばかりの客は
みんな寝てしまって、なぜか俺一人だけが
いつまでたっても眠れねぇ
真っ暗な窓ガラスにホッペタくっつけて
じっと外をみているとね、遠くに灯りがポツンポツン・・・
あー、あんな所にも人が暮らしているかあ・・・
汽車の汽笛がポーッ・・・ピーッ
そんな時、そんな時よ、ただわけもなく悲しくなって
涙がポロポロこぼれてきちゃうのよ』
第11作『寅次郎忘れな草』での、寅さんである。
いつの間にか、しんみりとした切ない気持ちになってしまう。
つい先日、寅さんを演じる渥美清さんが、
俳句を詠んでいたと知った。
『赤とんぼじっとしたまま明日はどうする』
トンボを見ながら、そうつぶやいているのが、
寅さんそのままな気がして、不思議だ。
何となくもの悲しさを漂わせながら、
どんな物事をも、大事に大切にする寅さんの心。
私は、そこに惹かれてしまう。
▼ 寅さんは、第42作『ぼくの伯父さん』で、
浪人生になった甥・満男にこう言った。
『俺はな、学問つうもんがないから、
上手い事はいえねぇけれども
博がいつか俺にこう言ってくれたぞ。
自分を醜いと知った人間は
決してもう、醜くねぇって・・・』
寅さんの心の内を垣間見ることができた、
そんな言葉のように思った。
また、第6作『純情篇』では、
さくらとこんなやりとりがある。
『寅「いや頭の方じゃ分かっているけどね、
気持ちの方が、そうついてきちゃくれないんだよ、ねぇ?
だから、これは俺のせいじゃねぇよ」
さくら「だって、その気持ちだって、
お兄ちゃんのものでしょう?」
寅「いや、そこが違うんだよ、早い話がだよ
俺は、もう二度とこの柴又へもどってこねぇと
そう思ってもだ、な、
気持ちの方は
そう考えちゃくれねぇんだよ、
アッと思うとまた俺はここへもどってきちゃうんだよ、
本当に困った話だよ』
続いて、前出の第8作では、同じくさくらとやりとりがある。
『寅「大丈夫だよ・・・俺だって、
他人(ひと)の奥さんに懸想するほどバカじゃねぇよ、
今だってよ、もう一人の俺によおく言いきかせたんだよ」
さくら「で、もう一人のお兄ちゃん、ちゃんと納得したの」
寅「やっとな」
さくら「そう、よかったね」』
誰にでもある、想いとは裏腹な自分、
様々な葛藤、心の内の醜さ。
それをサラッと言ってくれた寅さん。
寅さんは凄い。
寅さんのそんな言葉に共感し、
想いを共有できたことが嬉しかった。
満男だけでなく、私もさりげなく励まされた。
映画を見終わって、元気に席を立ったのは、
決して私だけではなかったと思う。
(つづく)
秋の味覚・栗 間もなく
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